002.未知(変な女)との遭遇

久世くぜ幹也みきや 2041年 4月1日 am10:01 東京旧台東区ヒイロガオカ地区】



 ぴちょん。


 マンガで言うならそんな『いかにも』な水音の反響を聞きながら、俺は地上の光を背に、ぽっかりと開いた洞窟の薄闇を見下ろしていた。


「アー、アーー。カメラ感度問題ナシ。カメラなのに声の調子でたしかめるって、ここ笑うところね。イエーイ。黒井さん、見てるー?」


 返事は当然、ない。ヘッドギア、および各種兵装を実に効率よく保持したハーネスタイプのウエポン・システムの肩と腰の部分に内蔵した超高精細カメラA R A L V


 これが捉える映像はあくまでも〝録画〟であり、俺がフリフリしたピースサインの一人称視点をだれかが見るのは〝任務〟が終わって、データカードを引き渡したあとのことだ。


 しかし俺が反応を期待したのは呼んだ苗字の人物ではない。

 くるっと振り返ってそこに立っていた黒スーツの男を見ると彼は「えっ?」とでも言いたげに戸惑った。


「……エージェント黒井彰人氏、は、あなたの任務達成後に報告を受け取りに上がるかと思われます。ですが、雲の上の方ですので詳しいことはわたしには……。その、ウル……いえミスター・久世、あなたと同じように」


 分かってるよ。真面目そうな人だ。現着の時のあいさつでは、アサノさんだったか……腕章は<日本迷宮管理局J L A>の紋章がプリントされ、〝協会〟を示す物品はない。いや、俺が悪かった。


「まだこれといって危険な異常は観測されておりませんが、あくまで<日本迷宮管理局J L A>の初期基本調査の結果です。入場規制も課しておりませんので一般人との遭遇もあり得ます。……お気をつけください」


 さっさと行ってね、ってことだ。分かってるって。

 超高精細カメラ――オールAレンジRアナリティカルAラビリンスLビジョンVをONにする。


 ヘッドギアのバイザーを降ろし、今度こそ映像を見る者へ二本指のピースサインを振ると、熱、電磁波ほか、〝スキル膜〟からEPCまでのあらゆる俺の生体反応が示す多色の波が揺らいで表示された。


「台東区、旧ヒイロガオカ地区『TTai-N02』に現着。これより新生迷宮の先行詳細調査を開始する」


それからサインを解いた手でA&M社製、試験型アンリミテッド・クラスのグローブの調子を再度たしかめ、握りしめる。


 マジック・フォームド・マテリアル化された高分子ゲルとカーボンナノチューブC N T製の複合人工筋繊維が力強い収縮のきしりを伝え、正体不明の〝迷宮〟ダンジョン奥底へ向けて宣戦布告のように響いていった。


 そして、よっと機材を背負い直して、とことこと進み始めた。


「じゃ、アサノさん。いってくるわ~」


「……。はい。ご武運を」


 しばらく続く一本道のうしろから、追加で聞かせるつもりでもなさそうだった声が聞こえてきた。


「朝倉です……」


 なんだって?

 そうだったのか……。






久世くぜ幹也みきや 2041年 4月1日 am11:13 新生迷宮『TTai-N02』/4層】



 ……とまあ、格好よさげに踏み出しはしたが、〝迷宮〟内部はこれといってなにかが起こるわけでもなかった。


 今、俺が見ているのは赤茶けた土の洞窟の世界だ。


 人もいない。とっくのとうに、この『なにもない』ダンジョンから引き払って、見放したのだ。


「オ~、ダンジョン魂~、冷やし中華をここで売る~、熱き俺の魂~、冷やし中華ァ冷やし中華ァ……始めましったァ~~♪」


 ガリ……ガリ、ガリ……


 製品評判としてはいまいちだがその妙な中毒性から知名度だけはコアなファン層を獲得しているダンジョン外食企業の宣伝ソングを歌いながら、タクティカル・ナイフの切っ先で壁面を引っかいて進んでいた。


 さて。

 俺は例の<協会>の依頼で、この新生迷宮『TTai-N02』の先行調査にきていた。


 なぜかと言うと、この迷宮が〝異常〟だからだ。


 台東区の廃棄地区ほど近くにある瓦礫の山のふもとで、この迷宮が『生まれていた』ことが確認されたのがおよそ一か月前。


 通常、迷宮というのは発生してすぐにモリモリと〝穿孔〟を始めて階層を増やしていく。


 さっさと〝成長〟してしまうのでこの新生を表わす〝N〟というコードはすぐになくなって成長済みの各深度等級ごとのコードに置き換わるものなんだな。その平均的期間は、検疫期間とおおむね同じの、二週間ばかし。


 この初期の〝成長期〟がもっとも内部変化が激しく、迷宮という存在を解明するための新鮮なデータが採れる重要な研究的好機でもあるんだが……?


 ところがこの『TTai-N02』は違っていた。


 魔物モンスターも鉱脈もなにも生み出さない。それだけじゃなくの迷宮は灰褐色の岩肌を持ち、これがえらく硬い。なにせ燃料気化爆弾を持ち出してようやく破片を採取できるかっていうぐらいのものなんだが……『TTai-N02』はご覧の通り。ナイフで削れてしまう。


 

 分かるだろうか? この異常性が?


 そんな『』から、実は研究界隈からは地味に熱い視線が送られていたりしたのだ。


 一時期は『隠されたお宝』があるのではないかと踏深者でにぎわったこともあったが、今じゃもうだれもいない。本当になにも出なさすぎて忘れ去られてしまった。


 そして〝裏〟の世界が動いた。


 邪魔ものがはけるのを待っていたかのように、俺も一応は籍を置いている例の<協会>が調査に乗り出し、探索員の入札を見事俺がゲットしたってワケ!


 なぜ入札に応じたかって?


 だって、『おもしろそう』じゃないか?


 そう、おもしろそうだからだ。

 それだけなんだ。俺自身の目的は。


 ああ、大深度の迷宮に挑むのもそりゃいいさ。準備をあらため、決意を固め、魔物と戦って、人と競い、知恵を絞り、未知へ挑んで、宝と名誉を勝ち取る。それもいい。


 けれど『おもしろい』ってそれだけじゃないだろう?

 この迷宮は、だれからも見放されたけど、どことも違う『なにか』を持っている。


 まだ俺がいる。

 たとえなにもなくても、なにもないことを俺自身がたしかめるまでその『なにか』はこの俺を待っているんだ。


 俺が総合的なデータをひとしきり採ったあと、あらためて<協会>が迷宮を貸し切りにしてでも本格的な調査をするんだろうが……できれば〝特異性〟は、一番に俺が見つけてやりたいところだ。


 そういうわけで俺はこの『謎であるのはたしかだが、価値があるかどうかは分からない』迷宮に乗り込んできたわけだが……。


「アア゛ァ~~~~、迷宮そば処ォ~~~カっシオっっペアァ~~~。ここで食って麺のようにどこまでもォ伸びていけ~~~星までもオオ……でもよ、コシだけは失うんじゃねェぞ……ウォーー♪……」


 実はそれほど正確に覚えているわけじゃないソングをてきとーに歌いながら……そろそろ投げやりにもなってきていた。


 マジでなにもない。

 なにもないじゃん。


 半端な形成で止まって壁からモンスター半分だけが生えていた……とかでもよかったんだけどそんなものさえない。


 なんだよ。

 なんだよ。


 まぁ仕事でもあるわけだから計測やらはやってるけどさ……本当に変わり映えがない。


 専門家ではないものの一応経験から感じる違和感としちゃ……形成途上であるにもかかわらず得られる計測データがここまで均一なものか? というのはある。しかし、それだけだ。


 なぁ『TTai-N02』。

 お前はこのまま、なにも見せないつもりなのか?

 とは違うものを持っていて、そいつを人類おれたちに見せたかったからこうしてこの世に留まっていたんじゃないのか?


「はぁ……5層は……あの辺かな。もぉ最深部いっちゃっていいよね黒井さん。マジ変わり映えしない」


 録画映像を見ながら了承してもらうつもりの言葉を漏らし、俺は検討をつけた断崖の向こうへともう『飛んじゃおうと』した。


 そして。


「かっ飛ぶぜー。ア゛ア~~~~カッシオッペア~~~~~星の~~~迷宮の~~~……どっちだよ……そば処ォっオ~~~~麺のようにどっぴゅーんとォ」


 そこで、状況に変化が訪れた。


「……かぁー! れか……いるんですかぁー……?」


 女の声だ。

 やっべ! 聞かれた!?


「どうしよう! 超恥ずかしい! ……消すか!?」


「……れなんですかぁー……!?」


 が、届いてくる声は、けっこう遠い。通常は層をまたいで音や振動が届くことはないので、すでに4層に侵入しているか。


 俺はきた上の方へ声を張り上げて返事を送った。


「一般踏深者かぁーー!?」


 言ってから一般踏深者ってのもヘンな表現だなと気づいたが向こうは特に聞きとがめた気配もない。


「……!? ……とこの人もいるんですかぁー!? あのー……! そこ……せいの人が……んかー……!?」


 ……はああん?


「なにー!? 聞こえなーい!」


「……んなの人がー! あのー! そこ……くんで待っ……れませんかぁー!? ……ごかないで……っててくださぁーい……!」


「アーアー聞こえないよーーーー!?」


 そこにいくから、動かないで待っててくださいとでも言っているのだけは分かった。


 ほかはさっぱりだけど。


 無視して進んでもいいかなとも考えた。荷物なしならまだしも、今、この機材を背負って一般人に遭遇するのはちょっとだけ面倒だ。


 が、声に『擦れてない』印象があったのが引っかかった。

 新人ニュービーの踏深者……しかも単独ソロっぽい気がする。ほかに声も聞こえないし、実際バイザー表示を次元反響測定と熱源探知に絞ると生体反応はひとつだった。


 デビューしたてで、危険が少ないと噂を聞きつけてここを練習台に選んだのかもしれない。そして、この俺を要救助者かなにかと間違えたのかもしれない。


 無視して動けば焦って追ってくる可能性も否めない上にこの4層は脆さの面で危険だ。


「ふむ。よしいいだろう」


 総合して、俺は待ってやることにした。踏み外して転落とかされても気分悪いじゃん? な?


 それになんだか違和感もあった。彼女の声は俺が返事をする前からしていたのに、俺が返事をするとおどろいていたようにも聞こえたからだ。


 声をかけてきた対象が、どうも、本当に俺か? という気がしたのだ。


 だけど俺のほかにだれがいる? しかも彼女よりも先行しているこの俺が気づかず、彼女だけに気づかせて?


 おもしろい気配がする。

 だから俺は、待った。


 俺と計測器の知覚をあざむいて〝そこ〟にいるかもしれない『なにか』に笑いかけてやるつもりで。迷宮の深部を見つめながら。


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