[1] 邂逅と起動

001.愚者月の災厄 - はじまりの日 -

【愚者月の災厄】



 西暦2035年、4月1日。日本時間00時34分。


 世界は、一度、崩壊の時を迎えた。


 地球全土に〝迷宮〟という存在が突如として出現したのだ。


 中でも特に、今では極大迷宮と呼ばれるそれらが引き起こした〝大穿孔〟は地殻すら割り、世界地図の形状を大きく塗り替えてしまった。


 大陸は砕け散り、どこから現れたのかも分からない『新しい陸地』が元からあった大地と海を押しのけて、人類はこの時点で甚大な被害を被っていた。

 しかしそれだけで災厄は終わることはなく、連鎖的に引き起こされていった自然災害、超常的現象、迷宮からあふれ出した魔物、混乱、紛争、疫病が……


 最終的に、五十億人以上もの人類の生命を奪うこととなる。


 人類は愚かな行き違いから、起こしてはならないと言われていた三度目の世界大戦をも経験した。


 世界は終わらぬ混迷の時代に突入したかと思われた。しかし皮肉なことに大戦を引き起こしたのが迷宮ならば、大戦を終わらせたのも迷宮だった。


 争い合い、奪い合う間も、迷宮はまるで自分たちに目を向けない人類の気を引くかのように魔物を吐き出し続けた。襲い来る魔物に次々と人は倒れてゆく。人類がそのような愚行を続けていられないほど疲弊していることを自覚するのにそう時間はかからなかったのである。


 同時に――迷宮が内部にたくわえた数々の資源、そして現代科学では作り出せない超常の物質や、遺物をも吐き出すことに気がつくのにも。


 のちに人類が知ることとなったのは、衝撃的な事実。

 迷宮と新しい陸地が現れたことで、地球という惑星は元のサイズの1.5倍以上に膨れ上がってしまっていたのだ。




 それから六年――

 このなにもかも現実離れした災害を徐々に振り返る余裕を持ち始めた人々は、いつしか4月1日に起きたできごとを、『愚者月の災厄』と呼ぶようになった。


 冗談のようにばかげた現実として。愚かな人類の現実として。

 覚めることのない、悪い夢として……。




 崩壊してしまった社会は元に戻ることはない。

 これだけの悲劇と物質的喪失を経てどこの政府も機能はせず、しかし新たな隣人となった〝迷宮〟を相手に長い治癒を試みる余地は人類には存在しなかった。


 壊滅してしまった世界で、かろうじて資源的資産を残していた企業たちが手を取り合って生き残った人々を結びつけ――現在の、新しい共同体管理体制<企業複合管理体ユニオン>となった。



 魔物の肉体から得られる素材、迷宮内部で採掘される〝魔石〟、希少鉱石、そしてオーバー・テクノロジーを宿した製作者不明の、数々の品々……。


 さらには、迷宮に入ることで『』……


 迷宮がもたらす富と新しい科学によって、社会は決して以前通りではないが、あり得ないほどの復興と発展の道を歩み始めたのだ。



 やがて〝踏深者シーカー〟という制度が世界中で急速に整備されてゆく。

 彼らは迷宮に潜って人に仇名す魔物を打ち倒し、世界を立て直す資源を持ち帰る英雄として、人々に熱望される存在となっていった。







桜庭悠里さくらば ゆうり 2041 3月14日 am14:30 東京 旧新宿封印区 ゴールデン・シーカーズ通り(新宿大深度迷宮『TSin-A01』付近)】



「ふ、ふわぁ……。これがゴールデン・シーカーズ・ストリートかぁ……!」


 わたしはついにやってきたあこがれの地の姿に、思わず声を出して見とれてしまっていた。


 新新宿エアロ・ターミナルを降り立ってからこっち、人の波と群立した建物の迫力に圧倒されてしまってあちこち見てる余裕なんてとてもなくて……。


 逃げるように駆け込んだ歩道橋の上で、初めてこうして感動の息をついているのだった。


 壊れた街と新しい建物が溶け合って猥雑わいざつとした――ジャパン・ユニオンでも有数の『〝踏深者シーカー〟の街』は、ネット端末の画素情報からは得られない熱気が吹きつけてくるようだった。


 ワッ――!


 と、突然湧いた一角を見ると、歩行者天国になっている大通りに人の波がなだれ込んでいるところだった。なんだろう?


 いつの間にかそこかしこから舞い始めていた紙吹雪の中、大型トレーラーの開いたところに立って手を振っている何人かの男の人や女の人の姿が。あれって、まさか……!


 交差点縁のビルの大型モニターにも同じ場所のドローン映像が映されていて、

『ユニオン・ジャパンが誇る伝説のチーム〝タカマガハラ〟、またも大深度迷宮TSin-A01の探索レコード220層を更新して凱旋パレード!』


 のテロップと一緒に踊るユニオン内トップ企業グループのロゴ……。本当にあのチーム〝タカマガハラ〟なんだ……!


 チーム〝タカマガハラ〟と言ったら日本ランク1位なのはもちろん、世界総合ランクでも3位を堅守している最強のチームだ。今の日本で、ううん世界ですら、彼らを知らない人がどれだけいるだろう?


 すごい。

 すごい、すごい。


 企業がスポンサーにつくようになれば踏深者シーカーとしては一人前だって言うけれど、そういう意味ではあの人たち以上の人たちはいないもんね!


 あんなすごい人たちが当たり前みたいに目の前に現れるなんて。ここは本当にゴールデン・シーカーズ・ストリートなんだ。


「わ、わ。どうしよう。わ」


 わたしはパレードの様子を大慌てで撮影しようとポーチからジェネホを探した。地元の友達グループに送ったら、みんなビックリするかなあ?


 と思っていたらこの歩道橋にもたくさんの人たちが流れ込んできて、わたしはあっという間に押しやられてしまった。


「ああーちょっとどいてどいてよ! ゴメンね!」


「見てないんならハンパなとこに突っ立ってないでよ! ……マサキ様ーー!」


「こっち、こっち見てーー! 視線くださーーーい! シオンさまー、キャーーーーー!!」


 わ、わ、わ、わ……と!


「ご、ごご、ごめんなさいっ!」


 ……うん。もう、だれもわたしなんか見ていなかった。


 とぼとぼと歩道橋を降りるころには、もうパレードの車は通りすぎようとしていた。


 ……はあ。


 この街の活気から置いてけぼりされてしまったような気分で旧新宿の空を見上げると、そこには街を囲んで浮揚する封印柱の列の偉容。それと遠く<トウキョウ・ベイ・フロート・シティ>から立ち上がった軌道エレベーターの白い影が、桜が舞う春の青空にどこまでも透き通った筋を伸ばしていた。


「ほんとにきたんだなぁ……」


 ぽつり。つぶやいてから、わたしはほっぺたを叩いて気持ちを入れ直そうとしてみた。


 よし。やるぞ!


 今日からわたしも〝踏深者シーカー〟だ!


 この大通りの続く先に、大深度迷宮『TSin-A01』があるのだ。


 通信で受講して〝踏深者〟ライセンスも獲得した。アルバイトして装備も買いそろえた。


 迷宮に入って、魔物を倒して〝レベル〟を上げれば肉体が強くなるし、〝スキル〟という不思議な力が付与されていろいろなことができるようになる。どういう理屈なのかはもちろんわたし自身知らないし、難しい学説は要約サイトを見ても分からない。


 ただ〝魔石〟や〝遺物〟を持ち帰ることができれば、お金を稼ぐこともできるし、そうして踏深者としての地位を上げれば情報だって集めやすくなるかもしれない。


 すべては、迷宮でうまくやっていけるかにかかっているっていうこと。

 あんなすごい人たちみたいにはなれないかもしれないけど、これがわたしの始まりなんだ。


「待っててね、お兄ちゃん」


 この時は、たしかにわたしは、そう思っていた。


 でもたぶん違っていたんだ。


 わたしの物語が本のようなものだとしたら……それはもっと前からわたしの手元に存在していて、そして――



『あの人』に出会った時、初めてページが開いたのだと思うから。






桜庭悠里さくらば ゆうり 2041年3月28日 pm20:21 東京 新新宿 中深度迷宮『TSSin-C12』第1層】



あれから二週間後。


「……はあ」


 わたしはいき詰まっていた。


 ……ぐぅ~う。

 って、おなかの音が嫌に重く響く……。


 崩壊してしまったとはいえ、さすがは旧首都の東京。どこの迷宮ダンジョンに入っても、第1層はそれなりの人たちでにぎわっている。


 灰褐色の岩肌に囲われた1層は、たいていはこうして広めのホールになっている。だから人がいっぱいいると昔の遊園地のアトラクションみたいでさびしくないんだけど……。


 みんな、探索前にごはんをいっぱい食べた顔でやる気をみなぎらせている。あるいは携行食をかじりながら冒険前の作戦会議や談笑をしている。うらやましい、というより、目の毒かな? うう。


 ごめんねわたしのお腹。ごはんはもうちょっとあと。午後もまだ始まったばっかりだから。


 簡単に言うと、わたしは今、金欠なのだ。


 うう、失敗したなぁ。もっと早くモンスター退治とかに取りかかるべきだったのかもしれない。でも……。


 わたしはそれより

 あの〝声〟を。


「きたよ……どこにいるの……?」


 わたしは、周りに聞こえないくらいに小さく、つぶやいた。

 ダンジョンから聞こえてくる、わたしを呼ぶ声に呼びかけて。


〝……て……き……て。……やく。……くなる前に〟


「……!」


 聞こえた……!


 やっぱり、大きな迷宮の近くの方がよく聞こえる。


 そう。わたしはこの、『』の手がかりを探して、東京まで出てきたのだ。


 この〝声〟が聞こえるようになったのは、三年くらい前。

 踏深者シーカーとして東京へ出稼ぎに出ていたお兄ちゃんとの連絡が途絶えたころだ。


 あの大災厄の時から、お兄ちゃんはわたしをずっと守ってきてくれた。

 壊れた街の中で、父も母もどうなったか分からない中で、わたしを抱えて長い長い道のりを歩いてくれた。


 わたしを親戚に預けて、お兄ちゃんは東京に戻っていった。

 預けたわたしを食べさせるために。


 心配だったけれど、当時はまだまだ社会の混乱もひどくて治安もよくなかったしインフラもメチャクチャだったので、探しに向かうことはできなかった。


 その間も〝声〟は聞こえ続けていて……それは〝迷宮〟に近づくほどよく響いた。

 わたしは、なんだかこの〝声〟がお兄ちゃんと関係があるような気がして……。


 いつしか、わたしも踏深者になって東京に出る――


 そう思うようになっていた。


 この〝声〟は、なんなの?

 あなたは、だれなの? どこの迷宮にいるの?


 お兄ちゃんは、どこにいるの――?


「どこなの――わっ!?」


「おわ、なによ……君、だいじょーぶ?」


 いつの間にかわたしは走っていてしまい、周りも見ずにウロウロしたせいで踏深者の人を遮ってぶつかってしまっていた。

 女の人でよかった……ぶつかってしまった人はわたしの〝なり〟を見て初心者だと思ったのか、心配そうに話しかけてくれた。


「どしたの園子ー。早く狩りいこ。さっさと3層までいかないと今夜の飲み代ないよ~」


「うん、ぶつかったんだけど……ねえ顔色悪いよ、君? どうかしたの? 大丈夫? 入口まで送ろっか?」


 そんなにひどい顔をしてただろうか。わたしはただ首を横に振ることしかできなかった。


「……ひょっとして、だれかから逃げてる? 暴力男……それとも、ストーカー?」


 ……勘違いさせている気がする。


 けれど、わたしはお姉さんのやさしさに甘えて、このダンジョンから〝声〟が聞こえていること、これが当たり前の現象なのか、お姉さんやほかの人たちには聞こえていないか――などをゆっくりと聞いた。


 お姉さん二人組は、顔を見合わせて……


「……あ~」


 ぱっと、内緒話をする風に持っていたわたしの肩から手を離すと、一歩二歩三歩、下がっていってしまった。


「あ~っと、なんか……そういう、ハナシ? なんかこう、心霊企画とか、あ! 配信とか! アハハ、ごめんね勘違いしちゃってあはは! でもお姉さんちょっとそーいう話は分かんなくって……ほか当たってネ! あはは、アハハ! バイびっ!」


「あーもーそーやって世話好き肌で厄介持ち込むんだからぁ……ホラいくぞっ! 目指せ豪華シーカー4Lvコース盛りィ!」


 ふたりは、あっという間に雑踏の中に消えてしまった。


「……」


 ……。

 ……へこむ。

 うう、へこむ。へこんでしまった……。


 もう見えていないふたりにお辞儀だけして、わたしはトボトボと、第1層の端までゆっくり歩いていって休める場所を探した。


 今まで何度繰り返しただろう。こうやって事情をお話してみても、たいてい、怪しまれたり気味悪がられるだけだった。


 数日前は、心当たりあるよ、と言われてお金を支払ってその迷宮に連れていってもらったけど結果は変わらず……相手の男の人は「あれ~、おかしいな~」って。わたしがだまされたことに気づいたのは別れたあとだった。都会は怖いところだった。


 こんなにたくさん人がいても、だれも知り合いなんていない。わたしを知っている人も、わたしが知っている人もいない。


 ……いや、だな。


「……」


〝声〟は、まだ聞こえている。でも聞こえない。うまく聞き取れない。だれにも、わたしにも、分からない。


 ああ……弱気になってるなあ。

 本当を言うと、お金はもう少しある。働き続けた三年間は伊達じゃないのだ。でも、これ以上、無理を続けるべきじゃないかもしれない。


「……はあ。いつまでかかるか分からないし、お金も少しは稼がないとなああ……。安く借りられるアパートも探さなくちゃだし」


 もうどこでもいいか……

 そう思って、座った時だった。


「……え!」


 ダンジョンの壁に、直接触れたからだったのだろうか。

 座った瞬間、頭の中に『ある風景』が流れ込んできたのだ!


〝そこ……では……なイ。こ……こ……〟


「え……え!」


 見えたのは、赤茶けた、どこかの洞窟――ダンジョン?

 こことはぜんぜん違う、けれど出てきた地元ほど遠くない、どこか?


 東京の……どこか?


〝……こ、……あ・な・た・の……き……て。はや、く……間に、合わ、な……る……前……〟


 ふつりと〝声〟と景色が途絶えるのと同時に、わたしは立ち上がっていた。


「……」


 心臓が高鳴っているのに、身体は冷えていた。


 そのまましばらく立ち尽くして、わたしは一時間後に、ホテルに戻ってインターネットで画像検索することを思いついていた。




 そしてわたしは、『あの人』に出会うことになる。


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