第44話 政変で得たもの

「ですが謝罪をする内容は、わたくしにもあります。皇帝陛下に大分敵対的な態度を取ってしまいました」

「元々、星神殿と皇帝は仲が悪い。その方がいっそ自然だ。構わない」


 もうやってしまった後なので取り返せないのだが、ヴィトラウシスの言葉にアネリナは心の内でほっとする。もしかしたら、気遣って言ってくれているだけかもしれないと分かっていても。


「……それにしても。陛下はわたくしに疑問を抱かなかったように見受けられるのですが」


 部屋に入ってきたその瞬間から、聖女ユリアであることは一切疑われていなかった。兄夫婦の顔も知っているだろうに、面影のなさを不審に感じなかったのだろうか。


(勿論、疑われないに越したことはありませんが……)

「さあ。覚えているかどうか、怪しいものだな。私を見てもどうとも思わないようだし」

「ユディアスでそうなら、納得ですね」


 余程興味がないか――余裕がないか。


「……皇帝陛下は今、どのようなお気持ちでいらっしゃるのでしょうね」


 兄を弑逆して、その血族をことごとく討ってまで得た、皇帝の座。

 望んだ地位を手に入れたはずの皇帝は、なぜか始終苛立っているようだった。

 アネリナの態度が加速させたのは間違いないが、皇帝が不機嫌だったのは初めからだ。


(とても、望んだものを手に入れた者の雰囲気ではない)


 何かが思い通りになっていないのか。もしくは。何もかもが思い通りではないのか。


「皇帝が真に求めているものは、おそらく永遠に手に入らないものだろう」


 冷めた口調で、しかしそこにはっきりと怒りを宿し、ヴィトラウシスは言う。


「己の生まれも血も、変えられはしないのだから」


 目の前に存在している羨ましいものを消しても、自分がそれを得られるわけではない。

 一時は心が慰められるかもしれない。しかし、それだけだ。

 分かっていても、実行せずにいられない――そんな衝動に耐えられないときもあるかもしれない。皇帝の心境が、正にそうだった可能性もある。


 だが奪われたヴィトラウシスからすれば、そんなことは何の免罪符にもなり得ない。

 更に言うなら奪うだけ奪って、それがさも無駄だったかのように振る舞う皇帝の態度は、逆鱗を逆撫でするに等しい。


「――すまない、話が長くなった。とにかく、貴女に謝罪がしたかったんだ。私はこれで失礼する」

「お気遣いありがとうございます」


 立ち上がって見送ろうとするアネリナを手で制して、ヴィトラウシスは出て行った。


「では、ユリア様。冷めないうちに頂きましょう」

「そうですね」


 今はすっかり普通の量と内容に戻った食事に、アネリナは手を付ける。

 そうしながら、ふと思った。


(皇帝が満足していないのなら――この政変で最も得をした者は……)


 一体誰になるのだろうか、と。

 そして、果たしてその誰かは満足しているのだろうか、と。




 普段はやや活気を欠く帝都であっても、祭りが近付けば相応に雰囲気は華やいでくる。聖女が姿を見せている今年はまた、特別なのかもしれないが。

 パレードの順路が整備され、ポールが立ち並び、旗が飾られる。民家もささやかながら壁や窓、扉に花を飾る所が少なくない。


 少し外れた広場では、出店の場所取りで一日と置かず揉め事が発生し、町の警備軍がうんざりした様子で仲裁をする。

 そんな中、夜陰に乗じて霧となったクトゥラがアネリナの部屋を訪れた。


「お久しぶりです、ユリア様。そのー、窓、本当に何とかした方がよくないですか」

「隙なのも承知なのですが、味方を招くのにも意外と便利で、困っているのです」


 クトゥラ然り、アッシュ然り。

 今のところ助かっている部分が多いので、現状維持にしている。


「先方が仕掛けてくるのは、禁術を使った後でしょうし――。戻って来たということは、報告すべき内容ができましたか?」

「禁術に使われる生贄を捕らえている所と、儀式を行う部屋は突き止めましたよ。皇宮です。手書きで済みませんけど、地図です」

「何と」


 クトゥラの差し出してきた紙を受け取りつつ、アネリナは驚きの声を上げる。この短期間で、望んでいた殆ど全てを掴んできたと言える。


「手広くやってる弊害ですね。痕跡を辿りやすい」

「いえ、それでも充分、大変だったでしょう。ご苦労様でした」


 アネリナがそう労うと、クトゥラは照れと嬉しさが混ざった笑みを浮かべる。


「禁術はまだ使われていない様子ですか?」

「結構な人数が生きて捕まってたんで、多分。いつも通りの方はやってるんでしょうけど、今大勢かき集めている分には手を出していない感じです」


 襲撃者側に立って考えれば、その理由で考えられる可能性は二つ。

 一つは、まだ目標としている人数に届いていない。

 もう一つは、建国祭の――儀式の直前に禁術を使い、聖女が星の加護を得るのを確実に妨害する目論見だ。


(自分たちも住んでいる土地に不利益を与える真似をするのが不可解ですが、事実、彼らは星の加護が失われることを怖れていない。むしろ積極的でさえある)

「ここからどうします? すぐに助けますか?」

「少しだけ待ってください」


 すでに捕らえられている人は、いつその命を使われるか分かったものではない。

 あまり時間がないのを承知で、アネリナには試してみたいことがあった。


「分かりました。じゃ、僕は戻ります。こっちかそっちに動きがあったらまたお邪魔しますね」

「ええ、お願いします」


 別れの挨拶を交わすと、クトゥラは再び霧となって夜の闇に消えていく。

 霧を見送ったアネリナは部屋の中央付近に置かれたテーブルに戻り、椅子に着いてしばし待つ。


「――いいのか?」


 そして充分な間を空けて、窓は再びの侵入者を迎え入れた。

 気負いなく窓枠を乗り越えて歩み寄ってきたアッシュに、アネリナはうなずく。


「はい。しかし建国祭まですでに一週間を切っています。急ぐ必要はあるでしょう。……アッシュ。相談に乗ってくれますか?」

「いいぜ。できれば色気のある相談のが嬉しいが、ま、それはこの件が片付いてからだな」

「そう……ですね」


 目の前のアッシュと、ここにはいないヴィトラウシスから与えられている難問を思い出しつつ、しかし首を軽く左右に振って考えを振り払う。今考えるべきはそれではない。


「何を迷ってる?」

「思うに、皇帝と星の血族を殲滅させたい者との間には、意思の隔たりがありますよね?」

「だな。なにせ無理矢理子どもを作らせようってぐらいだ。全くふざけた話だ。なァ?」


 それを強要しようとした者は、この場にいない。しかし言っていて腹立たしさが戻って来たのか、笑みの形を浮かべているアッシュの表情に凄味が増した。


「怒ってもらえること、とても嬉しく思います」

「……あー、悪い。一番面白くねえのは当人の姫さんだよな」

「ふふ。自分のことのように怒ってくれている、と解釈させてもらいます。それならば、どちらの気持ちが強いか弱いかなど愚問ですね」


 力づくとはいえ、無事に追い返せたから言える言葉ではあるが、現実がそう治まったのだから口にはできる。

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