第43話 嫉妬と嫌悪、そして羨望の結果

「な……ッ!?」

「少なくともわたくしは罪なき者に乱暴をすることなど命じないし、理不尽な命令に従わなかったからといって、処罰もしません。従えない理由を聞く耳ぐらいは持っていますよ」

「皇帝陛下を裏切り、貴女につけと……!?」


 明言はしない。薄く微笑み、答えを促す。


「悪くない取引でしょう。貴方はただ、命を果たしたと報告すればよいのです。足しげく通う理由もできるでしょうから、有用な情報源となれます」

「で、ですがそれは所詮虚言。成果が見えなければすぐに露呈します。そうすれば結局……」

「馬鹿馬鹿しい。子どもを授かるかどうかは、神の裁量です。命は果たしたが相性が悪かったという、それだけでしょう。無念そうに、しかし堂々と言えばよいだけのこと」


 役に立たなかったと思われるかもしれないが、処罰まではされないだろう。当人の咎ではない。アネリナのせいにされるのが関の山だ。

 理不尽であるし、知識のなさを露呈するだけの言動ではあるが、そういった時に女性のみの責任にする人間は未だに多い。特に、権力者の男性に。


「さあ、どうしますか。決断を」


 この場でアネリナよりも力がないと分かった以上、彼らは皇帝の命令を実行することができない。

 取れる選択肢は非常に少ないだろう。

 帰ってありのままを報告して、無能と罵られて零落するか、とりあえずでもアネリナの嘘にでも従うか。その二択しかない。

 自己保身のために、他人を犠牲にすることを厭わない連中だ。出す答えなど決まっている。


「分かりました。仰る通りに……」

「結構」


 がくりと項垂れてうなずいた貴族に、笑みと共にそんな言葉を投げかける。

 とはいえ、彼らの人間性は全く信用ならない。確実に信用できるのは、自分のために『皇帝の命は果たしてユリアを襲った』と証言するだろう、という一点だけである。


「では、お帰りなさい。ああそれと。陛下に報告に上がる前に、手首は治して行かれますよう。体が傷付きながら命令が果たせるほど貴方が忠実だとは、陛下も思っていらっしゃらないでしょうから」

「っ……!」


 屈辱に顔を赤くしながら、しかし事実であるため反論もできず、貴族たちは去っていく。


(皇帝が、最後まで監視をしようなどと思わなくて幸いでした)


 皇帝本人がいたら、彼らも引くに引けなかっただろう。そうなればアネリナは徹底的に抵抗をして、国との決別を引き起こしていた。

 ふー、と一つ、長く大きな息をつく。それから顔を上げてリチェルを見た。


「ありがとうございます、リチェル。――それと、アッシュ」

「いえ。どうするべきか迷い、行動が遅れたこと、謝罪いたします」

「右に同じ、だな。よっと」


 窓の外に潜んでいたアッシュが、ひらりと枠を乗り越え部屋の中に入ってくる。貴族たちの暴力に対して欠片も恐れず振る舞えたのは、アッシュの存在を近くに感じたからだ。


「ええ。わたくしとしても、穏便にお帰り頂ければそれが一番だと思っていました」


 いずれは皇帝から帝冠をはぎ取ってやりたい――という意思はヴィトラウシスと共有したものの、それはいずれの話だ。力も何もかも足りていない今ではない。

 組織として国に刃向かわないのは勿論、皇帝個人に対してももう少し穏便に進めたかったのだ、本当は。

 ただしアネリナにとってその選択は、己の身を犠牲にしてまでやる事ではない。


 幸い皇帝は力を失った星神殿も、病弱な姪のことも侮っている。存在を不愉快に思われているのは初めからだ。

 多少従順になろうが盾つこうが、皇帝の対応は変わるまい。


(彼は、ユリア皇女のことを大層嫌っているようでしたね)


 アネリナの対応で嫌ったのではない。皇帝は初めから敵対的だった。病弱で、ほとんど顔も合わせなかったヴィトラウシスの演じるユリアしか記憶にないだろうに、だ。


 その『嫌い』という感情の大元は、嫉妬だろう。


 己が持ち得なかった、血に宿る力。それを持つユリアのことが、無条件で腹立たしいに違いない。

 だが同時に、有用性を認めている。言えば確実に否定するだろうが、おそらく羨望もあるはずだ。


「二人がいたから、強気に出られました。ありがとうございます」

「あー、すげー強気だった。いいのか?」

「構いません。強気で反発してきた憎い相手が、結局屈服して泣き暮らしていたら、むしろ痛快に思うのではありませんか」


 そういう報告が行くはずなので、アネリナもそれに合わせた振る舞いをすればいい。


「星の血族を欲して聖女を手の者に襲わせている、など聞きよい話ではありませんから、実際に子どもが生まれてその子が血族であることが分かるまで、話が流れることもないでしょう」


 事実無根の醜聞を流される恐れも低い。


「皇帝とて、このような方法で血族たる子供が誕生する可能性が低いことなど、よく分かっているでしょうから」


 成功するまで人を変えて続けるためにも、絶対に余計なことを言わない。


(ずっと逃げ切れはしないでしょうが……。まあ、そのときが来たらまた考えましょう)


 どちらにしろ、今を乗り越えなくては未来などないのだ。


(できることから片付けて行かなくては)


 そうすればきっとやれることが増えて、選択の幅も広がる。そう、信じて。




 久し振りに会ったアッシュを引き止め、リチェルを含めた三人で他愛無い雑談をして、数時間。日が傾き、その色に茜が混ざり始めると、さすがにアッシュは席を立った。

 名残惜しい気持ちはあったが、だからといって夜通し引き止めるわけにもいかない。

 アッシュを見送ってしばし。夕食を取りに出て行ったリチェルは、ヴィトラウシスを伴って戻って来た。


「これは……。お疲れ様です。昼間の件、ですね?」

「そうだ。留守中にすまなかった」


 言葉通りの表情をして、ヴィトラウシスは頭を下げる。

 思っていなかった行動を取られ、アネリナは驚き、固まってしまった。

 地位のある者は、自分より下の位にある者に頭を下げないものだ。それは、己の間違いを認めるということだから。


 自分の判断で動いた者が多ければ多いほど、謝罪ができない。関わった者皆の行いを間違いと言うに等しいから。

 その責を負うべき時、覚悟がある時しか、謝罪という行為ができない人間であるはずなのだ。ヴィトラウシスは。


 そういう意味では、今日ヴィトラウシスが謝罪で巻き込むことになる人物はほぼいないだろうから、心情そのままを表すことができたのかもしれない。

 最近『謝罪が許されない』ということの本質をはき違えた権力者が多い中、ヴィトラウシスの心性には好感が持てる。しかし。


「貴方のせいではありません」


 アネリナはきっぱり首を振る。

 先方が『面倒な大神官』であるユディアスの不在を、意図的に狙って来ただけである。


「情報戦で負けたのは、落ち度以外のなにものでもない。そのせいで不快な思いまでさせている」

「成程。そう言われれば、改善の余地を感じますね」


 後手に回らないことは重要だ。アネリナは重くうなずいた。

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