第42話 調略

「……手は、考えてある」


 ジルヴェルトのためらいに皇帝が返したのは、アネリナの予想外のそんな言葉だった。


「それは、どのような……?」


 ジルヴェルトは慎重だった。恐々としつつも、具体的な手段を問いかける。

 だがそれは、今回は悪手としか言いようがない。


「つまらん詮索は要らん」


 声を苛立たしげに低くした皇帝は、その答えを口にしなかった。代わりに不愉快そうな目をジルヴェルトに向ける。


「貴様は私の言には従えず、主を信じる気持ちもないらしい。それを知れて僥倖であった。――もういい。さっさとこの場から出て行け。もう貴様に用はない」

「ひ!!」


 言い放つと同時に、皇帝はジルヴェルトから目を逸らす。その存在ごと抹消するかのように。


「お、お待ちください、陛下。私はただ――」

「出て行け、と言ったはずだが。聞こえなかったか。それとも、私にそうまで逆らいたいか」

「も、申し訳ありません!」


 弁解さえ許されず、ジルヴェルトは腰を折って頭下げ、退出した。きっと彼の家は要職から外されることだろう。


(おやおや)


 自分のことしか考えていない輩がどうなろうとどうでもいいが、今の皇宮の在り様の一端を見られたことには価値があった。


「――手はある」


 ジルヴェルトにされた問いかけそのものをなかったことにするがごとく、皇帝は台詞を繰り返す。


「しかしステア帝国に相応しいのは、やはり星に道を示させ、間違いのない栄光の道を進む姿だ」

(……何たる傲慢)


 星の血族は、地上を俯瞰し遍く見通す星の知見を分け与えられているに過ぎない。それをまるで己が行わせているかのような発言は、どう考えてもそぐわなかった。


「理解できたなら大人しく従い、子を成せ。理解できなくとも黙って従え。星の血筋が残せるまで、お前の胎に休む間などないと知れ」

「お断りします」


 ありったけの嫌悪を込め、アネリナは拒絶した。


「お前の意思などどうでもいい。――話は終わりだ。さっさと始めろ。私は政務があるゆえ、先に戻る」

「はッ」


 先程のジルヴェルト同様、連れてこられた残りの青年たちは迷いのない返事をする。

 ジルヴェルトの件を見ているから余計になのかもしれないが、どのような言い訳を付けたとて、その行いの下劣さは僅かにも拭えない。

 言った通りにマントを翻して踵を返し、皇帝は寝室を出て行った。


「そういうわけです、ユリア様」

「何、大人しくしていてくださればよいのです。すべて我らにお任せを」

「わたくしに触れるな、下種共が」


 自身に伸ばされてきた手を、アネリナは容赦なく叩き落とした。そう、木製の椅子の、頑丈な脚さえも握り潰した力を与える魔力も使って、思いっ切り。

 ゴキリと嫌な音がして、真っ先に手を出してきた男の手首があらぬ方向へと捻じれる。


「ぎゃあッ!」


 悲鳴を上げてうずくまり、自らの手に手を添えて喘ぐ姿を、アネリナは座ったまま冷徹に見下ろした。


「な、何だ……。何をした!?」

「さあ? 貴方がたがわたくしに触れることを星が良しとしなかった。それだけのことではないでしょうか」


 いけしゃあしゃあと言い放つ。


「ふざけるな! こんな真似をして、ただで済むと思っているのか。皇帝の命に逆らうなど、正気の沙汰ではない!」

「平然と他者を傷付ける貴方がたの頭よりは、わたくしは大分正気でしょう」


 皇帝の態度や、切り捨てられたジルヴェルトの反応を見ても、分かる。貴族といえども、今の皇宮での地位は盤石ではないのだ。

 自分のため、家のため、家族のため――命じられれば逆らえない面があるのは察せられる。


 だが彼らは、他者を踏みつけにする命令に、ためらいすらしなかった。罪悪感など抱いてもいなかった。

 ゆえにアネリナにも、容赦する理由がない。


「こ、この……っ」


 病弱でか弱い娘とたかを括って来た彼らは、思わぬ反撃にうろたえる。


「お客様がお帰りです。リチェル、案内して差し上げてください」

「……承知いたしました」


 リチェルの声が思っていたよりも近くで聞こえたせいだろう。彼女に背後を取られた青年の一人が、ぎくりと身を震わせた。

 最も一番の理由は、いつの間にか鉤爪状に折り曲げられた指が、己の眼前に迫っていたせいかもしれない。


 その指先には風の魔法が鋭く刃を作っている。文字通り、顔面を削ぎ落とす構えだ。

 そっとリチェルの手が降ろされ、部屋の外を指し示す。扉はずっと開きっ放しだ。

 目前の危機が去ると、青年は勢いを取り戻した。


「陛下の意向に逆らって、ただで済むと思っているのか! こんな真似――」

「『定めを見定めよ。さもなくばその道は、定めを知る誰かの手によって行き先を変えられ、その身は敵を照らす灯火となり、後には灰が吹き散るのみ』」


 ステア帝国建国初期。後の血族へと――そして何より、血族ではない者たちへと初代皇帝が残した言葉だ。

 アネリナの言葉に応えるかのように、寝室に留まる青年たちの周囲が一瞬で炎に包まれた。


「うわ!?」


 慄き、下がろうとしても炎は円形に体を囲んでいるために動きようはない。だが本格的に彼らが恐慌状態に陥る前に、炎は掻き消えた。代わりに、ふわりと眼前に灰が舞う。

 あたかも、初代皇帝が残した言葉を示唆するかのように。


「考えなさい」


 起こった現象に戸惑う様子一つなく、むしろ当然のような調子でアネリナは告げる。


「道を知るのが、誰であるのかを。そう、灰になりたくなければ」


 言われるまでもない。星の導きを受け、定めを見通せるのは聖女だ。

 星の血族としての力を受け継いですらいない、皇帝ではない。


「で、ですが――」


 運命を知る者に、敵う者などあろうか。

 あったとして、アステア帝国民はそれを信じない。

 なぜなら、この国こそが答えだからだ。


「今ここで従わねば、私はやはり灰になってしまうのです!」


 ジルヴェルトへの仕打ちを見れば、彼らの恐れは正しいと言える。

 しかしアネリナは構わず、薄く笑って見せた。


「ならば、立ち上がりなさい」

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