第41話 権力と横暴、そして防衛

 リチェルに手伝ってもらい、大急ぎで寝間着に着替えた。そしてそのまま寝室へ直行だ。


「今日、ユディアスは……」

「所用で出掛けています。狙われましたね」


 皇帝の来訪に対してその意に逆らう応対をするには、相応の地位が必要だ。

 星神殿で言うのなら、皇帝の親類であり、大神官であり、聖女の代行者として長く実績を積んできたヴィトラウシスしかいない。


「なるべく、寝所には立ち入られないよう努力します、が……」

「ええ、強引に入ってくる可能性が高いでしょう。無理はしなくて構いません」


 何しろ相手は現世の権力の最高峰である皇帝だ。おそらくは自身の立場に物を言わせて、良識を顧みない行いをしてくる。

 そうでないのなら、ヴィトラウシスのいないこの瞬間を狙う必要がない。


「血糊を用意しておくべきでした」


 後悔をしても後の祭りだが。


「頑張ってみますので、リチェルもどうか助けてください」

「全力を尽くします」


 アネリナとリチェルは硬い表情でうなずき合う。

 そしてややあって、私室の扉が開かれた。


「行きます」

「お願いします」


 リチェルを送り出した後、アネリナは身体能力の強化を解く。途端、一気に体が重たくなった。


(よし)


 ラーミ山林でアッシュに言われた通り、アネリナは魔法を解いたときの己の状態を確かめていた。

 その結果分かったのは、動けない程ではないが、間違いなく筋力は衰えていて、動作一つ一つが億劫である、ということ。

 演技の素人であるアネリナには決して出せない真実で、皇帝と対面することができる。


「――困ります! ユリア様のお体が多くの負担に耐えられないことは、陛下とてご存知ではありませんか!」

「黙れ。卑しい人外の分際で不敬だろう。どけ、私はユリアに用がある」


 すでに私室の内部にまで踏み込んでいるらしい。柔らかさの欠片もない傲慢な声が、扉越しに聞こえてくる。

 足音は複数人。


(か弱き乙女の寝室に入ろうというのに、気遣いがまったく見えませんね)


 リチェルとのやり取り一つだけで、人物像が想像できるというものだ。

 あるいはアネリナに教えるために、リチェルはあえて声を上げたのかもしれない。

 おかげでどのような人間と対面するか、覚悟はできた。


「入るぞ、ユリア」


 声を掛けたのと、扉を開いたのは全く同時。相手の意向など始めから無視している人間しかやらない行動だ。

 ベッドに入った状態で顔だけをそちらに向け、アネリナは表情筋だけで淡く微笑んだ。


「これは、皇帝陛下。ご機嫌麗しく。このような姿で失礼いたします」

「人外一匹を救うのには立ち上がれても、私に膝を着く足はないと見える。無礼な娘だ」

(礼儀の欠片も窺えない、貴方ほどではありませんよクソジジイ)


 内心で毒付きつつ、表情は変えない。

 幸か不幸か、アネリナはこの手の横柄な物言いに耐性がある。衝撃を受けたり傷付いたり、といったことはない。腹は立つが。


「まあいい。私は多忙な身だ、さっさと用件を済ませよう。――ここに連れてきたのがお前の婿候補だ。選べ」

「は……?」

「選べないなら爵位順でよかろうな。ジルヴェルト。今日から子作りに励め」

「はッ」


 命を何だと思っているのか。

 あんまりな言い様に唖然とするアネリナを他所に、ジルヴェルトと呼ばれた青年は畏まった返事をする。

 承諾した内容が内容だけに、それはアネリナの目に非情に滑稽に映った。


「……何を言っているのです?」

「呑み込みの悪い娘だ。お前ももう二十、星の血を残すためにも、いい加減子どもを産んでもらわねば困る。だから、相応しい相手を用意してやった」


 皇帝の言うところの『相応しい』とは、どうやら身分と年齢と容姿、何より己の派閥の人間である、という部分だろう。

 先程上がった忠実な返事で察せられる。


「失礼ながら、陛下。貴方の下品な息がかかった男など、臭くてとても側に置けません。それよりも、ご自身の血を今一度顧みたらよろしいのではありませんか。そうすればそのような馬鹿げた話を口になさって、知性の程を露呈することもありますまい」


 同じく星の血を引きながらも異母兄とは違い、彼は星の血族に名を連ねることができなかった。

 その事実が間違いなく皇帝の心に傷を与えていることを、アネリナは確信する。

 なぜなら皇帝の目が、激しい憎悪と嫉妬、怒りを持ってアネリナを射抜いたからだ。

 そういう感情を向けられると分かっていて、侮辱した。だが皇帝の瞳が宿した色は、アネリナの予想以上だったと言っていい。


(けれどもしわたくしがユリア様のお立場であれば、絶対に退かない)


 親を。兄弟姉妹を。親しかっただろう周囲の人々を。大切な相手を悉く奪った相手に、憎しみ以外の感情があろうはずがない。

 それは先日ヴィトラウシスと話したとき、彼の感情とも一致していることを既にアネリナは知っている。

 帝国に逆らうつもりはない。まだ力がないから。

 だが個人としては別である。己が姪に快く迎えられないことなど、皇帝とて承知の上だろう。


「図に乗るなよ、役にも立たん小娘が」

「わたくしが役に立っていないかどうかは、万が一、陛下がわたくしを害そうとしたときに分かるでしょう。己の治める大地が荒野になるまで気付けないというのなら、好きにすればよろしいかと」


 星の血族によって慰撫されてきた大地が、その働きが途絶えたときどうなるか――誰も知らないし、答えられるはずがない。

 ステア帝国建国前に戻るなら、良い方だろう。

 しかし悪くすればアネリナが言う通り、与えられた加護に仇なしたとして、大地が枯れる可能性もある。

 誰にも確かめられないからこそ、堂々と口にした。想像をさせるために。


「ですがそれで一番迷惑を被るのは、罪なき民です。彼らに為政者の愚行による帳尻を合わせさせるのは、あまりに身勝手。陛下の英断を期待します」


 個人的には心の底から嫌悪しているが、民のために逆らうつもりはない。

 そのことも分かりやすく強調しておく。


「へ、陛下……」


 アネリナの言葉を聞いたジルヴェルトは、何とも情けない声を上げる。

 少女一人を襲うことにはためらいがなくとも、己の住む土地が貧しくなるのには抵抗があるらしい。


(こんな奴らが国を動かしているとは)


 星の血族でなくとも、国の行く末が心配になるというものだ。

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