第19話 星の導は聞こえなくとも
「う、嘘……。嘘か、そうだよな。はは。……スイマセン、今の、忘れてくださいッ」
「お気になさらず。そう思われる言い方をしたのは、わたくしなのですから」
「そうだけど、そうじゃないんだー!」
体を捻ってソファの背もたれに突っ伏し、クトゥラは悲鳴を上げる。耳の先まで赤い。
無理もないと思ったので、アネリナは彼をそっとしておくことにした。
「嘘、か。そう、か……」
「勝手をして、すみません」
落胆した様子のユディアスに、謝罪をする。
「いや、構わない。言ったはずだ。お前を選んだのは星なのだから、お前は自分の思う通りに動けばいいと」
「そう、でしょうか……」
自信のないアネリナの呟きにぴくりと耳を反応させ、クトゥラが振り返ってきた。
「今代の聖女様に星の言葉を聞く力がないってのは本当なの……なんですか? それとも、皇帝や星占殿が邪魔をしてるだけ? もしくは手柄を横取りされるのが嫌だとか?」
「それは」
直球で投げかけられた勇敢な問いに、どう答えるべきか言い淀む。
ユディアスたちは対外的に、どのような想定で動いているのか。アネリナはまだ擦り合わせができていない。
「黙秘としよう。深く探らない方が君のためだ」
「りょーかいーっす」
両手を上げて早々に降参を表しつつ、軽い口調でクトゥラは話を終わらせることに同意した。
「理解をしてもらえて、助かる」
「僕、長いモノには巻かれる主義なんだよね」
へらへらとした、正体の掴めない笑みでクトゥラは言う。
(多くの人はそうでしょう。わたくしだって同じです)
自分より強い相手に抗うのには、決死の覚悟が必要だ。そしてもし実行するなら、負う傷は己だけに留まらない可能性がある。
「さて。では、これから君をどうするべきか、だな」
「建国祭で、何らかの役割を担っていただかねば困りますよね」
「できることなら何でもやりますよー。助けてもらったわけだし、その言い訳、僕にも有利だし」
星に選ばれたという事実は、このステア帝国ではそれだけ重要なことなのだ。
「内容については追々、考えるとしよう。確認したかったのはそれだけだ。……疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
「そうさせていただきます」
病弱な聖女としては、うなずく以外の選択肢はない。
しかし幸い、アネリナはしっかりとした睡眠と食事だけでそこそこ回復できるぐらいに、健康で頑健だった。逆にそうでなければ、星告の塔での生活を乗り切れていなかっただろう。
「では、あとでリチェルを呼んでくれますか」
「……分かった」
事情を知らないクトゥラは、休む支度をするのかと思う程度。しかしユディアスには分かったはずだ。アネリナにこの後の勉強の意思があることが。
(建国祭まであと一月――というか、もう二日経っているから、後二十八日しかないのですよ)
何かを修めるには心許ない日数である。焦りも覚えようというものだ。
「クトゥラ、君は来てくれ。とりあえず、神官見習いとしてしばらく神殿に留まってもらう」
「マジで? ラッキ。何ならそのまま就職できたりしないかな?」
「適正次第だ。それと、君と同期となる神官見習いがいる。紹介しておこう」
「へえ、凄い偶然。僕は同期がいるの嬉しいけど」
ユディアスの口から出た言葉に、ドキリとする。
そのもう一人の神官見習いとは、おそらくアッシュだ。
(クトゥラ殿が建国祭に関わる名分を得たのは、わたくしにとっても僥倖だったかもしれません。同期という立場なら、アッシュも共に行動させやすい)
会うことさえ難しいのではと不安だったので、つい、そんな期待をしてしまう。
ユディアスもおそらく、アネリナの心情を考えてアッシュの立場を今決めたのではないだろうか。
「では、ユリア。またあとで」
「そうだ! まだちゃんと礼言ってなかったよな? ありがとう、ユリア様。助けてくれて」
「……いえ」
はいともいいえとも言い難くて、アネリナは曖昧に誤魔化す。
二人が退出するのを見送ろうとするが、ユディアスに手で制されてしまったので、座ったままで二人の背が扉の先へ消えるのを見守ることになる。
(もし本物の聖女ユリアなら、彼のお礼をどのように受けとめたでしょうか)
一人でも護れたと、ほっとしただろうか。それとも星神殿の現状を嘆き、逆に申し訳なく感じたのだろうか。
とはいえ偽物であるアネリナは、単純にお礼に喜んでもいいのだろう。
(しかしアッシュと離れた途端にこれとは。早速心配をかけているかもしれませんね)
改めて、アネリナは放置していた星伝を手に取る。読もうとして取り出して、外で騒ぎが起こったために後回しにした続きだ。
時間を潰すためと学ぶため。両方の意味を持って読み進めていると、ユディアスが呼んでくれたのだろう、リチェルが訪れた。
「ごきげんよう、ユリア様。ご活躍でしたね」
「活躍、でしょうか」
「ええ。少なくとも門に立っていた神官兵二人は、晴れ晴れとしていましたよ。見捨てる理由のない相手を見捨てずに済んだ、と」
「……そうでしたか」
確かに、彼らはクトゥラに振りかかった理不尽に抗えない自分たちに、悔しそうだった。
ならばアネリナの判断は、少なくとも三人の心を救えたのだ。
(良しと思っても、よいでしょうか)
そうアネリナに言っているリチェルもまた、心なしか嬉しそうであるし。
「ユディアス様から聞きました。あのような騒動があったのに、ユリア様の学びの意欲は衰えていないと」
「時間は有限です。できるときにできることをやらずに後悔するのは止めようと、決めたばかりなので」
「道理ですね。わたしも、己の歩んだ道に後悔はしたくないものです」
学ぶ側にやる気があるのは、教える側としてもやり甲斐があるもの。リチェルは深くうなずいた。
「では、今日は姿勢の矯正から参りましょう。ユリア様の佇まいは悪くはありませんが、人々が理想とする聖女であるために、もう一歩、進む必要があります」
「よろしくお願いします」
二言はない。
心の内で筋肉痛を覚悟しつつ、アネリナは頭を下げた。
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