第18話 助けるための嘘ならば?

 だから、アネリナは立った。


「待ちなさい」


 頭上から降る、聞き覚えのない女性の声。決して大きかったわけではない。だがその澄んだ響きには、思わず耳を傾けてしまう強さがあった。

 貴族の使いらしき男も、追われていた少年も理解しなかったが、神官兵二人はすぐに悟る。

 その女性がいるのが、誰の部屋であるのかを。


「あ? 何だ、お嬢さん」


 声につられて顔を上げた男は、見上げた先のアネリナの姿に、煩わしそうに顔をしかめた。


「人以外の種族ってのは、人のために存在してるんだ。皇帝陛下がそう決めた。星神殿は逆らうんで? 今までだんまり決め込んでいた聖女様にも逆らうことになるんじゃないのか? なあ?」

「ぶ、無礼者! あの方を誰と心得る!」

「お? お偉い方ですかい」


 神官兵の焦った様子と、上役に対する物言いに、男は少しばかり態度を改める。

 そんな男を一瞥した後、アネリナは魔族の少年へと微笑みかける。


「待っていました」

「――は?」

「その方を中にお連れしてください」

「はッ。直ちに」

「へ!?」


 いきなり百八十度変わった展開に、助けを求めに来たはずの少年までもがうろたえた。

 しかし、聖女から直接下された命である。神官兵たちは迷わない。


「ま、待て! そいつを連れて帰らないと、奥様の機嫌が悪くなるんだ! 人の家の物を勝手に奪っていいと思っているのか!」


 生き物の命を、命として考えない冷酷さ、身勝手さ。それを当然だと信じて怒鳴る男に、アネリナは静かな視線を落とす。


「儀式に、その方が必要です。そうわたくしが言っていたと、夫人にはお伝えください。この帝都が失われる責を負いたくなければ、納得してくださるでしょう」

「儀式って、お嬢さ、いや、貴女様はまさか」

「――うッ」


 男がその名を呼ぶ前に、アネリナは体を折り、激しく咳き込む。


「ユリア様!」

「おい貴様、早く帰れ! ユリア様にこれ以上のご負担をかけるな、儀式の失敗の責めを負いたくなければな!」

「わ、分かった。分かってますとも! 聖女様、そいつはご自由に!」


 星占殿が厄災を防げなかった言い訳に『誰か』を生贄に掲げていることは周知だ。

 ニンスターの姫のようにされてはたまらないと、男は慌てて馬車に飛び込み、去っていく。

 少年が星神殿の中へと入ったのを見て、アネリナは思わず膝から崩れ落ち、座り込んでしまった。


(やってしまいました。つい)


 殺される、助けてくれと叫ぶ少年も、助けたくとも動けずにいた星神官たちの姿も、見ていられなかった。

 だがそれが身代わり聖女としてやってよかったかは、分からない。

 己の良心に従うのなら、道義的には正しいとアネリナは断言できる。だがその行動によって星神殿の立場が危うくなれば、責任を取りきれるものではない。


(今回は大丈夫、だとは思いますが)


 皇帝はもう、星の加護を、聖女の力を信じている。異種族であろうとも少年一人なら、何も言わずに見逃すはずだ。

 他の貴族の娯楽よりも、自身の保身に直結する方を優先するだろう、と予想できる。

 後悔はしていない。けれど己の感情で勝手をしたことが、怖くもあった。

 震える手で、頬にかかった髪を背中に戻す。

 隣が妙に寒く感じて隣を見てみれば、そこにはただ、誰もいない空間が広がっているのみ。


(そうでした。アッシュは、いないのでしたね)


 不安なときに寄り添って、大丈夫だと背中を叩いてくれる手が、どれほど勇気を与えてくれるものだったか。

 想像はしていた。けれど、真に痛感するのはそれが与えられなくなってからだ。

 息を吐き、来た時と同じように――よりもいささか無様に、這うようにして控えの間への扉へと近付く。


(おそらく、少年が連れてこられると思うのですよね……)


 儀式に必要だと言われても、星神官たちも扱いに困るだろう。

 そして予想通り外の扉がノックされ、人が入って来た。足音は二人分だ。


「ユリア、私だ。入るぞ」

「ええ、大丈夫です」


 アッシュに応じるときの調子を意識して答え、立ち上がってから扉を開く。

 その先に立っていたのはやはりユディアスと、魔族の少年だ。


「リチェルがいないときに、無理をしたな。手を貸そう」

「すみません」


 言葉に甘えてユディアスの手を取り、ソファまで連れて行ってもらう。


(対外的には『診る人がいないときに』ということになるのでしょうが、勝手をしたことを怒っているのかどうか……。ちょっと、判断ができませんね)

「あなたが、聖女様?」

「ユリアと言います。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」

「クトゥラだ……じゃない。って言います」


 アネリナの求めに応じて名乗ったクトゥラは、喜びと不満の入り混じった、やや不思議な様相をしていた。


「待っていたって、どういうことなんですか。儀式って、毎年やってる建国祭のやつでしょう? 僕が必要だっていうなら、迎えに来てくれても良かったのに」

「そうだ、ユリア。あれはどういうことだ」

(はて?)


 聞いてみれば、クトゥラの表情の理由は納得できた。

 己が特別であることにちょっとした喜びを覚え、しかし行動しなかった星神殿への不満だ。

 しかしアネリナが身代わりの偽物でしかなく、星の声など聴けようはずもないと知っているユディアスまでもが、期待した眼差しを向けてくるのはなぜなのか。


「あれは嘘です」


 なので、二人の誤解を解くべくはっきりそう言った。


「う、嘘?」

「嘘――!?」

「はい」


 戸惑った様子のユディアスと、衝撃を受けた様子のクトゥラに、深くうなずく。


「ああ言えば、角が立たないかと思いまして」


 アネリナはクトゥラを招いたが、現政権の体制を批判したわけではないし、逆らったわけでもない。


(所詮、身代わりですから)


 アネリナが星神殿の何かを決めるようなことは、あってはならないだろう。

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