第17話 法に肯定されない良心

「わたくしも考えます」

「……おぉ」


 両手に拳を作り、気合を込めて言ったアネリナに返ってきたのは微妙な反応。


「どうしたのですか?」

「いや、素直さは時々残酷でもあるなと」

「?」

「いいけどな、今は保護者で。ただまあ、告白した身としては意識しないで求められても、なあ」


 言われて思い出してしまうと、気まずい想いが湧き上がる。

 七割ほどは、指摘されるまで抜け落ちていた、己の鈍感さへの申し訳なさ。残る三割は――……。


「……」

「だからまあ、折り見てこうして伝えていかねーとな?」

「忘れないように気を付けます」


 余計に恥ずかしい思いをするだけのような気がしたので、肝に銘じておく。


「ふふん?」

「な、何です」

「いや、姫さんの中で、ちゃんと考える余地はあるんだなと。だったら今は充分だな」

「――っ」


 確かにアネリナは戸惑ったし、アッシュを異性として考えたこともなかったので、一回目は拒絶した。

 だがそこから考え始めたのは、否定できない。

 アッシュの言う通り、即座の結論は出さなかったのだ。


「……最近の貴方は、意地が悪いようです」


 どうすればいいのか分からなくなるような言葉を、不意打ちで投げかけてくる。


「そりゃ、俺自身のためにやってる事だからな。姫さんにはちゃんと知って、考えてもらいてーし」

「努力します。なので、今は終わりにしてください」

「おー」


 顔を赤くしてアネリナが白旗を上げると、アッシュは唇を吊り上げつつ受け入れた。


「こういうやりとりも、しばらくお預けか」

「ああ。何だか今、ほっとしました」

「おい」

「冗談です」


 ほっとするよりも、寂しい方がはるかに強い。消し飛んでしまうぐらいに。


「気を付けて。無理はしないでくださいね」

「ああ。姫さんも」


 立ち上がったアッシュを見送るため、アネリナも席を立つ。廊下に出る扉の前で、しばしアッシュは外の音を伺って――不意にひと一人分が通れるだけの隙間を開ける。

 そして素早く潜り抜けると、すぐに扉は閉められた。

 誰かが通った一瞬など、存在していなかったかのように。扉はアネリナを部屋に残してピタリと閉じられている。

 こつり、と扉に額を付け、アネリナは目を閉じたままため息を一つ。


「さて」


 だがそれで喪失感に気弱になりそうになる自分を心の奥に押しやり、意識を切り替えた。


(決めたのはわたくしです。目的を果たせるよう、努力しなければ)


 でなければ、アッシュも迷惑をかけられている甲斐がないというものだ。


(時間は有限です。まずは、一人でもできることから手を付けてみましょう)


 こくりとうなずき、星伝の続きに目を通そうと踵を返す。

 そうして私室に戻ったアネリナが、読みかけの本を棚から取り出してソファに腰を落ち着けたところで。


「――助けてくれ!」


 開け放たれている窓から、誰かの必死の叫びが飛び込んできた。


「!?」


 聖女ユリアは、ベッドから満足に起き上がれないほど病弱である。

 ゆえに、気になったからと言ってひょいと窓から顔を出すわけにはいかない。誰かに見られたら大事になる。

 アネリナがユリアとして認識されるために、相応しい紹介の仕方をユディアスが考えているはずなのだ。勝手はよくない。


(でも、気になります)


 窓の高さよりも姿勢を低く保ち、壁の近くへとにじり寄る。見ることは叶わなくても、声が拾えれば状況が分かるかもしれない、と思って。

 分かったところでどうする、という声も内側から響くが、それでも知らないよりは知っていた方がいい。


「止まれ。今日は一般開放日ではない。一般人の立ち入りは許可されていない」

「そんなことは知ってる! 入れてくれ、でないと――」


 怯えた少年の声を遮るように、今度は馬車が荒々しく駆けてくる音がした。そしてその馬車は、星神殿の前で止まる。


「この、狡賢いクソガキが! 面倒な所に逃げようとしやがって!」


 全力疾走からの急停止を命じられた馬が上げた嘶きに混ざって、汚い罵声が飛ぶ。

 公道を馬車で全力疾走するような迷惑行為を強行できるところから見て、声の主はそれなりに高い家格の貴族――に仕える者だろう。


(本当に。地位と人品が比例してくれませんね……)


 星占師しかり、だ。むしろ反比例さえしているかもしれない。


「鬼ごっこは終いだ、さっさと来い。手間取らせるな」


 言葉が終わるか終わらないかのうちに、鞭が鋭く生身を叩く音が高く響く。


(打った……!?)


 まるでそれが当然のように、前触れもなく、大した理由もなく、鞭は振るわれた。


「な、何をしている、止めろ! いわれなき暴力など、犯罪だぞ!」


 追われていた少年が星神殿に踏み込むのは止めた神官兵だが、目の前で行われた暴力には驚き、止めに入る。


「待て待て、誤解だ。よく見てくれ、こいつは魔族だ」

「それがどうし……」


 そんなことは何の理由にもならないと、眉をしかめて言おうとした神官兵は、途中で言葉を切った。切らざるを得なかった。

 今のステア帝国では、それが理由になってしまうのだ。

 そして星神殿もまた、ステア帝国の一部に違いない。


「お分かりいただけたようで」

「くっ……」


 ニタリ、といやらしく笑った貴族に、神官兵は歯噛みする。

 帝国が変わる前の法を知り、そちらに準じていた神官兵にとって、変わった法の方が受け入れがたいもの。

 それでも、抗えない。


「ましてやこいつはうちの使用人。星神官殿と言えど、口出しされるいわれはない」

「だ、だが――」

「星の声を聴ける聖女もいない星神殿だ。大人しくしといた方がいいんじゃないか。――さあ、来い!」

「た、助けてくれ、殺される!」


 少年の悲痛な声が響く。だが動く者は――動ける者はいなかった。

 それだけ星神殿の立場が弱くなっているということであり、また神官兵は迷ってもいるのだ。

 己の感情、常識で動くのならば、彼らはきっと少年を助けるだろう。だが、今はそれができない。

 本来、星神殿のあり方を照らす聖女が、ずっとその役目を果たしていないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る