第20話 襲撃

 立場のある者の立ち居振る舞いとは大変なものだ、と、アネリナはその夜、しみじみする。

 一日の終わりに風呂に入り、丹念に体を解したが、それでも明日の筋肉痛は避けられまい。すでに兆候は表れている。

 窓の側に椅子を移動させ、腰を降ろす。立ったまま空を見上げるのが辛かったのだ。


「わたくしが聞こえないだけで、今も道は示されているのですか?」


 夜空に煌めく星々へ向けて、そう訊ねてみる。

 星にはすべてが見下ろせているから、きっと、アネリナの声も届いているはず。もしかしたら聞き届けて、今も答えを返してくれているのかもしれない。


 ……やはり、アネリナには何も聞こえなかったけれど。

 僅かに抱いた期待を押し込め、息をついて席を立つ。


(言葉が聞ければ、星がわたくしを選んだというユディアス殿の言葉にも、素直にうなずけるかもしれないというのに)


 このまま不安が積み重なれば、動けなくなってしまうかもしれない。そんな予感がアネリナにはあった。

 そして、同時に思う。ユディアスは今アネリナが抱いている不安を抱え続けているのだろう。

 星の声が聞こえないまま聖女ユリアを偽った十八年前から、ずっと。


(いえ。わたくしのような、刹那の身代わりではないのだから、余計にでしょう)


 アネリナには、アッシュがいた。

 ユディアスには、心から信じられる存在が近くにいたのだろうか。

 事情を知る者が幾人かいるということなので、彼らの中にいることを願う。


「さて。では明日のために、そろそろ寝るとしましょうか」


 窓に背を向けてベッドに向けて歩き出そうとした、その瞬間。

 ぞわりと全身に悪寒が走り、勢いよく後ろを振り返る。


 ほんの少し前までは、間違いなく誰もいなかった。だが今、窓の側には何かがいた。

 全身を黒装束で覆い、顔には黒い仮面を付けた、性別さえ定かではない何者か。手にはナイフを持ち、今にもアネリナの背に突き立てんと振り上げられている。


「――!!」

「星の一族の娘。本当にまだ生き残っていたか」

「何者です。わたくしが誰であるかを承知で狼藉を働きに来るなど、正気か」


 星神殿を快く思っていない皇帝でさえ、その力を信じてからは無茶をしようとしてこないと言う。血族が生まれる前に最後の一人、ということになっているユリアを害するなど、あり得ないだろう。


 つまり、皇帝の手の者ではない。

 だが他にこの帝国内で星神殿を――聖女を害そうという愚か者など、心当たりがなかった。


「正気だとも。そして我が正体など、死にゆく貴様が知る必要もない」


 言葉と同時に突き出されたナイフを、アネリナは一番手近にあった椅子を引っ掴み、大きく振るうことで弾いた。そしてそのまま椅子を盾兼武器にして、じりじりと後ろに下がる。

 弾いたナイフは襲撃者の手をすっぱ抜け、石壁に当たって落ちた。絨毯に落ちたナイフの刃先が床に届いたか、微かに澄んだ音を立てる。


「……貴様、本当に聖女ユリアか?」

「無礼な」


 虚弱な聖女が見せた豪快な反撃に、襲撃者から訝しむ言葉が出た。

 彼の疑いは当たっているが、勿論認めるつもりはない。アネリナは即座に疑問の言葉を切って捨てる。


「ならば、寝台から起き上がれぬという話が嘘か、もしくは――」


 襲撃者の目が、他の誰か――おそらく本物のユリアを探して部屋をなぞった。

 だがここにはアネリナしかいない。すぐにその結論に達したようだった。


「……まあいい。死ね。後のことは、その後の情勢で判断しよう」

「むざむざやられると――ッ!?」

「舐めるな、小娘」


 目の前にいたのだから警戒は欠片も緩めなかったし、相手が動けばすぐに分かるよう、しっかり見ていたつもりでいた。

 なのに襲撃者が無造作に伸ばした手に、いつの間にかアネリナの首を捕らえられていた。


(いつ……!?)


 下がったはずの距離も、まるで始めからなかったかのように詰まっている。

 アネリナの驚愕に、心地よさそうに襲撃者の目が細められた。だが次の瞬間、彼の視界は予期せず九十度傾くこととなった。


「!?」


 自分の身に何が起こったかを理解できないまま、襲撃者は盛大な音を立てて床に叩きつけられる。


「よォ。聖女様を襲うたぁ、大した覚悟だ」


 アネリナにとって救い主となった第二の乱入者は、アッシュだった。

 床に転がした襲撃者の背に体重をかけて膝を乗せ、抵抗を封じるうつ伏せの姿勢で押さえつける。


「星神殿を、人間しかいない今の皇城と一緒にするなよ? あんな物騒な金属音聞いて放置する訳ねえだろうが」


 アネリナが弾いたナイフが立てた金属音は、人に異常を知らせるには足りなかったが、獣人族であるアッシュには充分だったらしい。

 首をよじり、己を捻じ伏せた相手を認めた襲撃者は、アネリナにも聞こえるほど、はっきりと息を呑んだ。


「貴様、炎、」

「黙れ」


 アッシュを何者かの名で呼ぼうとした襲撃者は、言い切ることなく頭を押さえ付けられ、言葉を切る。


「おのれ。闇の帳に遮られて尚、まだ星の光に集うか……」

「……?」


 星の光の件は襲撃者の思い込みだが、セリフの前半が引っかかる。


(遮られて尚、という言い方。まるで故意的に、星と地上を隔てているような)


 そのようなことが可能かどうかは分からない。だがアネリナにはそのように聞こえた。


「お前には、星神官たちが山ほど聞きたいことがあるだろーよ。姫さん、こいつは……っと」

「?」


 途中で言葉を切ったアッシュが、入口の方へと目を向ける。つられてアネリナも顔を動かした数秒後、人の足音が聞こえてきた。

 それも複数人が走ってきているようだ。


(ああ、今度立てた音は、中々盛大でしたからね)


 自然の流れと言える。


「――ユリア、私だ! どうした!」


 私室の内鍵で足止めを喰らったユディアスが、扉を強く叩いて声を掛けてくる。

 心配させるのも申し訳ないので、アネリナは早々に扉を開けに行った。

 鍵を外して扉を開けると、そこにはユディアスと、数人の神官たちがいた。皆携帯してきた武器を抜き放ち、扉を壊すためにか、幾人かはすでに振りかぶっているものもいる。


「概ね片付いたので、問題ありません」


 アネリナを囲うように前に出た神官たちにも含め、皆に対してそう告げる。


「そうか……」


 見るからに不審な侵入者は、神官見習いの恰好をしたアッシュに組み伏せられている。その光景に、ほっとした空気が流れた。


「心配を掛けました」


 ユディアスたちが気付いたのは、おそらくアッシュが襲撃者を床に倒したときの音だろう。派手な音だったし、夜中であるのも手伝って、相当響いたと思われる。

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