第14話 見える景色

「いやだって、今まで聖女に俺みてーな従者はいなかったわけで、不自然だろ」


 この十年、ろくに姿を見ることのなかった聖女が、同じく神殿内で見かけたことのない人物を従者にしている。


「た、確かに、不自然です」


 そこから一足飛びに偽物と決めつける者は少ないかもしれないが、確実に疑念は呼ぶ。


「この十年、聖女の世話を焼いてたのはユディアスだ。姫さんは俺に対するような距離感で、あいつに接する必要がある」


 正確にアッシュと同じにする必要はないが、十年という月日で育まれただろう信頼の空気を表現するのに、参考にはできる。

 むしろ似た関係にあったアッシュがいた分だけ、演じやすいかもしれない。


「努力しましょう」


 他人の目に触れる前に、練習が必要そうだ。

 別の人物になり替わるというのは、色々と問題が出てきて大変である。


「アッシュは、どうするのですか?」

「星神殿に入るさ。見習いになるか下働きになるかは分からねーけど、いざって時は姫さんの近くに行けるようにしとく」

「……すみません。貴方には、苦労ばかりを掛けています」

「言ってるだろ? 好きでやってることだ」


 建国祭を聖女として無事に乗り越え、目的通りアネリナとニンスターが星占殿の憂さ晴らしから逃れられたとして。

 アッシュには、何の益もない。

 アッシュの言を信じるのなら、それはアネリナへの好意ゆえ。


 たとえアネリナに女性への好意を抱いていなかったとしても、アッシュは手を貸してくれる人である気がする。だがアネリナに対してはおそらく、恋心から来る打算が入っている。

 分かっていて、返せない。しかし甘えている。そのことが心苦しい。

 とはいえ――


「そうやって姫さんが気に病むんだから、充分やる価値あるしな」


 アネリナの心境を正しく理解して利用しようとしているのだから、罪悪感も薄れようというものだ。


「容赦のないこと」


 けれどそれをわざわざ口にしているのは、おそらくわざと。


(本当に。どこまで計算なのでしょうね)


 アネリナの心は、未だ男女の差についてさえ疎いというのに。


「ま、そういうわけだ。ちゃんと寂しがってくれよ」

「寂しいですよ」

(当然ではないですか)


 ずっと当たり前のように、近くにいた。唯一気兼ねなく軽口を叩き合える相手。

 近くにいると分かっていても、その体温が手を伸ばしても届かないのは、寂しいし心細い。


「……っ」


 即答したアネリナに、アッシュはややうろたえた様子で言葉に詰まる。


「計算じゃなく素直なのって、時々最強だよな。畜生」

「今のは、嘘をつかなくてはいけない内容ではなかったでしょう」

「あァそうだろうとも。分かってっけどな!」

「?」


 こてりとアネリナが首を傾げると、アッシュは肩さえ落として大きく息をつく。


「まー、何だ。寂しくても頑張れ。俺も頑張る」

「勿論です」


 未来を掴むため。


 ――とても、甘美な響きだ。


 言われるまでもなく、アネリナの気合いは充分だった。




 星神殿に来て初めての一日目が、間もなく終わろうとしていた。


(穏やかな一日でした……)


 害意のある来訪者に構えなくてもよいことで、こうも心安らかに過ごせるとは。

 かつてはアネリナも知っていたはずだが、すっかり忘れてしまっていた。

 それぐらい、十年という月日は長い。


 朝起きた時にはだるくて満足に動かせなかった体も、夕方頃には意思に応えてくれるようになった。

 とはいえ、動こうとすると気合いが必要だ。

 心の中で掛け声を上げ、アネリナは座っていたベッドから立ち上がる。


「ん。どーした、姫さん」

「外が明るいと思いまして」

「あ?」


 太陽はとうに沈み、昼間の明るさとは比べるべくもない。アッシュが不思議そうな声を上げたのも、無理からぬことと言えた。

 だが夜空には、月も星も輝いている。


「不思議なものですね」


 格子越しの小さなものだったが、星告の塔の部屋にも窓はあった。夜空も見れた。むしろ自然の景色はアネリナにとって癒しだったから、殆どの時間を眺めて過ごしていたと言っていい。

 だというのに、だ。


「塔の牢で見ていたときよりも、明るく感じるのです」


 天はきっと、変わってなどいないのに。


「ただの、わたくしの感じ方の違いでしかないのでしょうけれど」

「そうだな。だがものが綺麗に見えるようになったなら、良かったんじゃねえか。余裕がない時は、景色なんてどーでもよく感じるものだからな」


 他のことに必死だから、ただそこにあるものに注意を払ってなどいられない。


「ものの見え方なんてのは、所詮主観だ。こうして同じもの見てたって、俺と姫さんの目に映っている像が同じものを結んでいるかは分からない」

「ええ、わたくしはアッシュではないから、貴方が見ている景色は見えません」


 だがそれでもきっと、受け取る情報は似ているのだろう。少なくとも、会話が通じる程度には同じ認識が得られている。


「……貴方には、どう見えていますか?」


 アネリナの心は、星空を綺麗だと感じる余裕が生まれた。

 だからだろう。隣のアッシュのことが気になったのは。


「姫さんが綺麗だと思えてるなら、それでいいさ」

「わたくしは貴方の主観を聞いているのですが?」


 こちらを気遣っているような言い回しで、その実はぐらかしただけのアッシュの答えを、アネリナは即座に追求した。


「はッ」


 だがそれに対して、アッシュは嬉しそうに笑っただけ。


「俺を気遣える余裕ができたか。よかったよかった」

「アッシュ!」


 あやすように頭を撫でる手に、抗議の声を上げる。

 おどけて離れた手はひらりと振られて、アネリナから逃げて行った。

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