第15話 助けるための強さを

「興奮して眠くないのかもしれねーけど、そろそろ寝とけよ。環境が変わった……のは関係なく、姫さんの体は疲れてんだし」

「それは、分かっていますが」


 何しろ、朝起きて体が動かないぐらいに疲れている。

 アネリナの答えに関わりなく、アッシュはもう扉付近に移動し始めてしまっていて、休む構えだ。


(これ以上は、無駄ですね。次はきっと、姫さんと見るなら綺麗だとか、誤魔化した答えしか寄越さないでしょう)


 息をつき、アネリナはアッシュへの問いを飲み込む。


(ですが答えられないぐらいには、アッシュにとって景色など『どうでもいい』のですね)


 そして嘘で適当な答えを口にできないぐらいに、綺麗に見えない理由に囚われている。

 アッシュの身の上について、アネリナが知っていることなど殆どない。アネリナが聞いてどうにかなるものではなかったし、何より、アッシュ自身が触れなかった。

 それが触れてほしくない意図の表れだと、人生経験の少ないアネリナでも充分に察せられる。


(確かに、わたくしではアッシュの力になれない)


 自分のことさえ助けられないのに、人に手を差し伸べる力があるはずもない。


(だから、話すのにも値しないのですね)


 無力さ加減は分かっている。助けるどころか、助けられてばかりだ。

 現実が変わらないのなら話す意味もないと、そう考えているのかもしれない。

 もしくは、力になれないアネリナを気遣ってか。


(わたくしは、塔の中で本当に甘えていたようです)


 耐えるだけで精一杯だったのも事実。少なくとも当時のアネリナはそう思っていたし、今でも嘘だとまでは思っていない。

 しかし考えてはしまう。もっとやれることがあったのではないかと。

 こうして、手を伸ばすことさえできない無力を思い知る前に。


(悔しいだなんて、傲慢ですね)


 ふ、と息を吐き、アネリナはそっと窓から離れた。


(今は、休むとしましょう)


 明日から学び、力を得るために。

 そしてもし、それが叶ったなら。


(わたくしがもし聖女であったら、アッシュの力になれるのでしょうか)


 けれど残念ながらアネリナは、身代わりの聖女。本物にはなれないし、だから本物なら持ち得る権力も能力も手にすることはない。

 空を見上げていても星は美しく煌めくだけで、アネリナに何も告げはしなかった。

 当然であるはずなのに妙に悔しく感じたのを、アネリナは気のせいだとしてベッドに潜る。


 無いものを数えたところで仕方がない。それよりもできることを増やしたかった。

 悔しいことを自分に認めて、声に出して相手に言えて。その上で、手を伸ばせる強さを持つ自分を作るために。




 朝日が差し込めば、体は自然と起きる。


「ん……っ」


 強張った体が体勢を変えようと寝返りを打ったところで、アネリナの意識がはっきりと浮上した。


(今日は体、動きますね)


 それでも慎重に、腕の力も使って起き上がる。――と。


「おはよう、姫さん」


 いつも通りの声と調子で、アッシュからそう挨拶をされる。


「おはようございます、アッシュ」

「今日は大丈夫そうだな」

「はい。むしろとても調子がいいです」


 頭がはっきりしていて、気力が漲っている感じがある。


「さすが、若いってのは回復が早くていい」

「そうは言いますが、貴方とて充分若いのでは?」


 長寿であるのは種の特徴でしかない。容姿が種における人生の割合を示しているのなら、アッシュはアネリナとさほど変わりないと言える。


「まあ、それは否定しねー」

「ならば、老け込むには早すぎますね」

「ご尤も」


 それでも生きた年月分の経験は蓄積されているので、人間の二十代そこそこの若者とまったく同じ、というわけではないだろうが。


「さ、姫さん。今日は起きて、ちゃんと向こうの部屋で食べような」

「そうでした」


 今までと比べて格段に部屋が広くなったのでうっかりしていたが、今いるのは寝室、寝るためだけの部屋だ。


「ええと、服は……」

「あれだな」


 アッシュが示した指の先を追って見つけた木の棚に、アネリナはうなずく。


「ああ、確かに見覚えがあります」


 幼い頃は、あのような棚から侍女が着る服を選んで出してくれていた。


「じゃあ、俺は先に向こうに行ってるぞ」

「はい」


 男女として意識していなかったのと、肉体が男女であることを理解しているのは別の話だ。

 アネリナとて、異性であるアッシュに着替えを見られたくないという羞恥心も、常識もある。アッシュも同じだろう。

 アッシュの方はアネリナを女性として見ていたのだから、余計にだったと思われる。


 アッシュが出ていくのを見届けてからアネリナは立ち上がり、クローゼットを開く。

 並んでいるのは当然ながら、聖女が着るための神官服だ。それがずらりと掛けられている。


(いえ、まあ、これは制服のようなものですし、清潔に保つためという意味では納得できるのですが)


 一着を洗濯中にも同じデザインの服を着る必要があるとなれば、こうなるのも仕方ない。


(それでも、贅沢に見えます。こんなに沢山、必要ですか?)


 ふつふつと、腹の内側から沸き立つ何かを感じる。


「……はぁ」

(駄目ですね)


 どうにも、長期間の抑圧された生活が価値観と感性を歪めてしまっている気がした。


(必要分は贅沢とは言いません。アッシュも言っていたではないですか)


 聖女が無意味に汚らしい恰好をしていては、きっと民心は掴めまい。

 華美であるのは別だ。だが清潔であるのは必須だろう。


(華美というわけではありませんし、ね)


 白い絹で作られた神官服はそれだけで充分な品とも言えるが、それだけだ。過剰な宝石や刺繍で飾られているわけでも、無駄に布が多いわけでもない。

 作りも単純だったので、初見のアネリナでも簡単に切ることができた。ドレスのように、誰かの手がなければ着られないデザインはしていない。

 着替え終えると、きちんと着れているかの確認のために、姿見の前に移動する。


「……ううん。どう見ても、着られていますね」


 身に馴染んでいないことが、一目で分かってしまう。

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