第5話

 二週間ほどで須田が退院してきた。

 本当は一週間で退院したけど一週間ズル休みしたらしい。

 笑える。

 さてもう一方の当事者。

 驚くことでもないが、当然のように小平はお咎めなし。

 学校側の言い分をまとめると、「義務教育なので出席停止はできいない。そもそも公営住宅暮らしで母子家庭の小平くんへの配慮はないのか!!! お前らのような共働き自営業家庭でマンション暮らしのブルジョアは差別をやめろ!」だそうだ。

 小平の家が公営住宅なのも母子家庭だったのすら初耳だ。

 そんなこと知らねえし、暴力に関係ねえよ。

 そもそもクラスの三割が鋳物工場の息子娘だろが! バカじゃねえの!

 一軒家暮らしの連中の方が金持ちだろうが!!!

 だが現実は非情だ。

 その魔法の言葉で親たちは沈黙。

 密室で高度に政治的なやりとりが行われたに違いない。

 高景気で多少儲かってる程度を罪みたいに糾弾する連中の異常性に吐き気がする。

 僕らの周囲にはクズみたいな大人ばかりだ。

 もしかして無能というのは物事の優先度がおかしいことを言うのではないだろうか?


 あっと言う間に季節は8月になった。

 嘘だ。本当は7月が数年に思えた。

 あれから小平は大人しくなった。

 僕らと目を合わせようともしない。

「いつか殺してやる」と顔に書いてあるが誰も気にしない。

 僕も読まないようにしている。

 変わったのは小平だけじゃない。

 武藤もだ。

 あれから武藤は駅前のあの進学塾に行くようになった。

 成績なんてクラスのど真ん中なのに。

 金をドブに捨てるのと同じだ。

 だが気持ちはわかる。

 武藤の親は武藤を成績上位者のグループに所属させたいのかもしれない。

 俺たちみたいに冴えない中学生活をさせたくないのだ。

 いや……おそらくそれだけじゃない。もっと遠くを見据えている。

 この地元に見切りをつけて東京に進学させるつもりなのだ。

 須田への暴力の話を聞いて「もうここにはいられない」と見切りをつけたのだ。

 どうやって勉強するかもわからないのに。

 武藤は今日も無駄な勉強をしている。

 ただ目標もなく暗記をしている。

 それが無駄なことだと、自分を幸せにしてくれないと理解するまでにどれほどの時間を犠牲にするのか。

 須田は前みたいに陰鬱に明るく振舞った。

 一人欠けたメンバーを埋めるようにマシンガントークを繰り広げた。

 アニメの話はハードなロボットから、ドラゴンボールやらんまやグランゾートの話になった。

 これならわかる。

 もしかすると僕に気を使ったのかもしれない。

 一方、僕の方はなにも変わらない。

 せいぜい塾のミッションが追加されたくらいだ。

 塾は駅前のあの……から100mくらい先の個人経営のとこ。

 僕が素直に大人の言うことに従うと思ったら大間違いだ。

 絵を描き、須田と話をするだけだ。

 楽しそうにする僕らを見て、ときおり小平がにらんでくる。

 少なくとも僕は悪くない。

 なにも恐れることはない。

 さすがに次は警察だって動くはずだ。

 ああ、なんと愚かな子だろう。

 今、この瞬間にあれほどのことをした小平を見逃す警察が動くはずがない。

 いや警察には届かないのだ。絶対に。

 もし学校で僕が殺されたとしてもだ。

 どんなにひどい殺され方をしても事故になるだろう。

 僕はそんなことすら知らない子どもだったのだ。


 そしてあの日がやって来た。

 8月10日。

 魔女狩りが始まった日。

 1988年の8月から12月までに3人の年端もいかない幼女がいなくなった。

 12月には遺体が発見され、翌年2月には遺骨が家族に送りつけられた。

 今田勇子名義の犯行声明が新聞社に送りつけられた。

 さらに6月に新たな被害者が出た事件である。

 朝日新聞の夕刊には「A子ちゃん殺害容疑者を追及」と大見出しがついた。

 残念ながら僕はニュースや時事にうとく、この事件を知ったのは犯人が逮捕されてからだった。

 こんな恐ろしい事件が起こっていることすら知らなかったのだ。

 犯人は26歳の男。

 名を宮崎勤という。

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