第4話

 須田は保健室に運ばれた。

 保健室じゃ手に負えないと言われ森が自分の車で須田を病院へ連れて行く。

 救急車は意地でも呼ばない。

 表向きには医療機関に迷惑をかけられないと言ってるが本当は違う。

 警察がやって記録に残るからだ。

 警察が必要なほどの事件なら医者に通報する義務がある。

 だけど学校の近くの医者なら通報しない。

 怪我なんていつものことだ。

 真面目に通報してたら疲れてしまう。

 僕は小平のせいで血まみれになった制服とワイシャツをジャージに着替える。

 学校はまだ平常授業をするつもりだ。

 子どもの命は安い。

 毎年120万人も生まれるのだ。

 一人二人死んだところで教師の生活はなんの変化もないのだから。

 他人のガキの命なんてそんなものだ。

 須田の親は激怒するだろうが、さてどうなることやら。

 小平は明日も何食わぬ顔で登校するだろう。きっとな。

 僕は親になんと言えばいいのか考えていた。

 クリーニングに出すのだろうか。

 須田の心配より制服の心配をする。

 だってしかたないじゃないか!

 風紀担当の教師の目が光っているのだから。

 血がついているって難癖つけられて今度は僕の血がべったりつくのは嫌だ。

 受験、人間関係、恋愛、暴力。

 いつか爆発しそうな思いを僕らは抱えていた。

 スポーツ以外の発散の方法は提示されず、 野球部は特権階級で王様のように振舞い、文化系は存在すら否定された。

 教師は不良の暴力に対抗する術を持たず、暴力は無限に黙認されていた。

 どこでも煙草の煙が充満し、酒と煙草を嗜むことができない人間に人権はなかった。

 人の命より野球の試合の方が大切な時代。

 そんな時代に僕らは生きていた。

 放課後の美術部を強制的に休まされ、家に帰る。

 僕の家は学区の端っこ。準工業地帯にある。

 鋳物工場が建ち並び、よく外国人が働いているのを見る。

 小学生のときはよく台湾人の労働者にお菓子をもらった。

 言葉はあまり通じなかったが「ないしょだよ」って笑ってくれた。

 数年前に名前が変わったJRの線路をひっきりなしに電車が通過していた。

 僕の家はマンションの一室だ。

 団地でも公団でもない。

 ここらはまだ昔から住んでる一軒家が多い。

 うちは移住者なのでマンションの住民だ。

 家に入ると静まりかえっていた。

 母はパートの仕事でいないし、常に忙しい父親を見たのは何日前のことだったか。

 うちは一人っ子。

 須田も武藤も兄弟がいるので家がにぎやかだ。

 兄弟がいると比べられたりしてたいへんらしい。

 でもこういうときだけはうらやましく思う。

 ジャージから私服に着替え制服とジャージを洗濯機に放り込む。

 保険の教師は中性洗剤で洗えと言ってた。

 どれだ?

 説明書きを読むと粉末洗剤はアルカリ性。

 液体の方が中性だった。

 服をネットに入れ、洗濯機を回してからパッケージの説明書きどおりに洗剤を入れる。

 べったりとした血がどこまで落ちるのやら。

 乾かなかったら明日はズル休みしよう。

 風紀担当の教師に髪の毛つかまれてから殴られるよりはマシだ。

 洗っている間、テレビをつけっぱなしで勉強を始める。

 今日は理不尽の山盛りだ。自慰をする気力もない。

 テレビのニュースは歌手が手首を切ったとかの悪趣味なニュースであふれていた。

 それよりも僕は明日からいじめのターゲットになるんじゃないかと心配してた。

 殴られる方より殴る方が悪い。

 それは建前だ。

 実際は殴られる方が圧倒的に悪い。

 少なくとも学校は規則をそう運用している。

 洗濯を干し終わって数時間。

 18時ににもなると母親が帰ってくる。


「なにその顔」


 慌てて鏡を見た。

 小平を羽交い締めしたときにぶつけたらしい。

 いまになって目の周りが黒くアザになっていた。

 痛くなかったので気づかなかった。

 養護教諭。指摘してくれよ!!!

 しかたなく僕は親にあったことを説明した。


「ちょっと、病院行くよ!!!」


 俺は襟を引っ張られて病院に連れて行かれる。

 診断は打撲。知ってた。

 全治一週間。診断書ゲット。

 おかげで夕飯は近所のハンバーガー。

 病院から帰ると母親があちこちに電話をかける。

 武藤の家からはじまって、須田の家に電話。

 須田一家に繋がらないとわかると学校へも電話。

 学校と言い争って、同じクラスの複数の親に電話をかける。

 無駄だ。

 その程度で改善するくらいなら最初から荒れてない。

 無責任な親に教育放棄されたサルを無能な教師があきらめた結果だ。

 話が通じると思うのが間違いだ。


「あんた! 須田くん入院だってよ!!!」


「知ってる。鉛筆でメッタ刺しにされたんだ。そりゃ入院するでしょ」


 須田が死ななくてよかった。

 あんがい人間って死なないんだな。


「ったく! なんなのよ、あの学校! 【こんな時間に電話かけてくるなんて非常識だ!】だって!」


「はっ、笑える」


 私立受験の話を蹴って公立に進学させたのはお前らだよ。

 学区の中学が動物園だって最初からわかってたじゃない。

 ま、入れてくれるかどうかは受験したわけじゃないからわからないけど。


「ゲームやって寝るわ」


 ポテトを食べ終わって夕飯終了。


「少しは勉強しなさいよ!」


「もうやった」


「東京の子はもっとやってるんだからね!!! あんた大学行きたいんでしょ!」


 いや無理だろ。あの学校じゃ。

 同じクラスの成績上位者が塾にいくらかけてるかわかってんのか?

 全員駅前のあの塾だぞ!!!

 と喉まで出かかった。

 だがそんな事を言ってもしかたない。

 俺のような小物は埼玉でしか通じない北辰テストでもシコシコがんばりますよっと。

 あーあ、せめて教師と意思疎通ができる学校に行きたい。

 体育館裏でガスパンやってる猿がいない世界で暮らしたい。

 だがそれは贅沢というものだ。

 僕は高確率で漫画家にはなれないし、絵で暮らすこともできない。

 いや芸大に行くことだって無理に違いない。

 かと言って建築士や工学博士になった未来は想像できない。

 医者や弁護士なんて絶対に無理だ。

 アニメーター?

 ゲーム会社?

 なる方法がわからない。

 たぶん僕の人生はいまが絶頂期で年を取れば取るほど悪くなっていくだろう。

 僕も小平も客観的視点に立てばたいした違いはない。

 一生殴られ続ける人生だろう。

 そう考えるとたった13年で人生が終わったのだと感じられた。

 夜の闇の中、JRの車両が通る音、それに暴走族が乗ったバイクのエンジン音が聞こえた。

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