論説的な、裏話的な解説

 この話では主に月島と薪について解説したいと思っております。

 本編の理解への手助けになるかもしれません。

 なぜ、私がこの物語を書いたかもちょこっと。


 ちなみにこれは私が書いた二作目の小説です。



 さて。

 「人はなぜ恋をするのか?」という問いは一生をかけても完璧には分かり得ないものだと思っております。 

 私も中学生の頃にいわゆる彼女がいましたし、今この高校生活においてもありがたいことに告白された経験もいくつかしました。でも結局、分かっている気になっているだけで、本質的な理解には至っていない思います。

 「恋」と聞けば誰しもが思い浮かぶ光景というものがあるとは思いますが、残念ながらこの世のすべてがそのような美しいものとはなっておりません。そうなっていたら、もっと世界は愛に満ちています。現実は「哀」の方が多いかも知れません。

 従って、むしろ、今回の二組――葉月と月島、楓と薪のような結末のもので溢れていると思います。


 一見対照的に見えるであろう薪と月島ですが、実のところは結局似た者同士であることが分かって頂けたでしょうか――しかも本質的な対人間関係の点においては薪の方が優れているのはないでしょうか?


 ではなぜ二人が対照的に見えるのかと言えばそれは「」という点にあると思っています。


 皆様も経験はないでしょうか?

 色んな人から好かれようとしたり、注目されようとしたり、友達をたくさん作ろうとして。周りの人間に期待されている通りのいわゆるキャラクターを演じたことが。

 そしてそれを実行し、演じ続けていると、いつの間にか本当の自分を見失ってしまうことがあると思うのです。可能性は0ではありません。誰にも起き得ます。

 実際私もそうでした。今ももしかしたらそうかもしれません。


「自分はもっとこうなのに」

「本当はこうしたいのに」

「本当はこんな人間じゃないのに」


 そうして徐々にもう一人の「自分」というものが創られていき、本当の自分を飲み込んでいくかもしれません。

 

 今回の月島はまさにこの例であります。

 本文にもある通り、彼は周囲の人間から「完璧」と思われ、期待されるがあまり、完璧な「月島光」という存在として、自分も良かれと思って、学校生活を送っていました。いつからか、は分かりません。気が付いたらもう後戻りが出来なくなってしまっています。もし次の日から直そうなんて思えば「月島、なんか今日変だな」なんて言われてどんどん自分の周りから人がいなくなっていきます。


 だから月島は自分自身に自信が無いのです。

 完璧なのは「月島光」であって、月島光ではないのです。


 本当の自分というものはとっくのとうに消えてしまったため、「俺は葉月を幸せに出来るのか」という確証が生まれませんでした。むしろ「もし付き合ってダメだったら……」とナイーブになってしまうのです。だからあんな風な情けない姿になってしまったのです。

 彼は完璧すぎたのです。

 彼はどんな時も完璧でなければならないのです。


 では、薪はどうでしょうか?

 彼は皆様ご存じの通り、楓以外には友達がおらず、ひとりぼっちです。可愛そう、なんて思うけれども、その代わり彼は本当の自分でいられるのです。


 彼にとって「人から自分がどう見えるのか」というのは大した問題ではありません。見られる友達もいませんし、友達を作りたいとも思っていないからです。なので本当の自分としての「軸」というものをしっかりと持っており、周りに翻弄されることの無い自己と信念を獲得しています。

 薪は完璧でいる必要はありません。

 しかもそれを彼は自覚しています。

 自分を陰キャだと思い、自己肯定感が低いからです。


 皮肉ですね。

 人と関われば関わるほど、求めれば求めるほど、人は傷つき、本当の自分というものは見えなくなっていくのです。


 だから月島は、葉月に告白されたことを無かったことにしようとした。

 だから薪は、楓に告白したことを無かったことにはしようとしなかった。


 月島は友達を大切にし、もっぱら自分の好きな人を失いたくないと考える「完璧」な人間でありますので、自分がふった後でもこれまで通り葉月とは仲のいい友達――幼なじみとしてありたかったのです。

 ですが、その思いは葉月の心を傷つけてしまいました。

 

 一方薪は、楓にふられてきっぱり彼女とのこれからの正常な友達としての関係を諦めて、更にそれを望んでいません(プロローグでも言っていましたね)。彼にとって友達がいるというのは些細なことでしかなのです。だって楓と会う前まではずっと一人だったのだから、また昔に戻るだけ。


 なので、薪が「恋をする」なんてことは今までありえなかったことなのですから、どれだけ薪が楓のことを好いているのかが分かるでしょう。しかも、意味の分からないふられ方をされたので、彼はことで、先ほど述べた、自分が――薪自信が持っていたはずの確固たる「自己」と「信念」が揺らぎ「楓のことをどう思っているのか分からなくなる」のです。


 楓が自分のことを彼に話したのもおそらくこれが理由でしょう。

 彼女もまた、自分の仮面を作っている人間でもあります。月島同様、周りに人から完璧だと思われていますからね。ただ彼女は「恋」を知らないことを隠している。

 そこで出会ったのが薪です。楓は薪がありのままの自分でいること、周りの目なんか気にせず、自分に素直な人間であることを見抜いたのでしょう。それが顕著に表れたのがこの告白された時でした。彼女には彼が羨ましく見えたのでしょう。自分にはないものを持っている。

 そんな薪なら自分の悩みに本心から乗ってくれると思えたのかもしれません。



 そして、四人はそれぞれの新たな思いを抱えます。


 葉月は、月島を諦めないこと。

 月島は、本当の自分を取り戻すこと。

 楓と薪は、お互いの気持ちを律しながらも探していくこと。


 もともとこの物語の題名は


「恋はだれでも、ふられてから。」


でした。


 表向きには、それは薪が、楓にふられてから始まる物語であるということ。

 隠された意味として、それは葉月が、月島にふられてから新たに始まる物語であるということ。


 この二つの意味が込められています。


 そう。恋は一度で終わるわけではないのです。何回だって告白する人だって現実にいるし、それで想いを叶える人だってたくさんいます。それに告白するとそのされた相手のことが気になりだす、ということも多々あります。

 そのことに気が付いた葉月は、確実に成長していると言えるでしょう。

 

 この続きの物語はもうおそらく書きません。ただ構想だけは考えていました。

 

 この後、葉月も悩み部に入ることになります。

 そしてまた悩みを解決していく。ある時は、イケイケな後輩から、ある時は月島と仲のいい友達から、そして月島本人からも。

 そうやってみんなのを知っていった彼らはふと気が付きます。


 この三角関係はなんだろうと。

 そうして最後は、自分たちの悩みを解決するのです。

 これが最後の悩み部の悩み相談――それが自分たち自身の恋についてです。


 例えて、言ってしまえば「俺ガイル」という青春ラブコメのラノベみたいな感じになっていくと想像してくれると分かりやすいかもです。私はこの作品が大好きなので、ある程度のインスピレーションを受けており、それがこの作品にも反映されている部分があります。まあ実際続きは無いので、ただの妄想ですが。


 最後はハッピーエンドです。

 二人のうち、一人にとっては最高の。

 もう一人の方は……

 これも俺ガイルを知っている方なら分かるでしょう。


 長くなりましたが、以上で終わりです。

 お読みいただきありがとうございました!!


 次回作にご期待下さい!

 プロローグを既に公開しておりますので、気になった方はぜひブクマを。

 深い深い、ヒューマンドラマを描いていきます!

 


 P.S. 来年からはいよいよ大学生!!

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恋は誰でもふられてから 堅乃雪乃 @ken-yuki

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