(12)
「そっちはどうだった、楓?」
月島と別れた後、俺は葉月の方を追いかけてくれた楓に連絡をして、この大樹の下で待ち合わせをした。幸い、あっちの方もちょうど色々とひと段落ついたところだったらしく、大して待つことは無かった。
気が付けばもう時刻は一九時半を過ぎていた。
少し前までは喧騒に包まれていたこの場も、今ではすっかり寂しさと名残惜しさだけが羽を伸ばしていた。
でも……まだ桜の甘い香りは微かに澄み渡っている。
「……うん、こっちもなんとか落ち着いた、かな。葉月ちゃん相当悲しんでたけど……」
「ま、そりゃそうだわな……」
好きな人にふられる、というのは思った以上に心にくる。
こうなんだかきゅうーって自分で自分を苦しめるかのように。
「で、葉月はどうしたんだ? 帰ったか?」
「あ……うん。すごい泣いちゃったし、誰にも見せられる顔じゃないからって……で、でも葉月ちゃんすごい楽しかったって言ってたし、薪君にも色々ありがとうって感謝してた、よ」
「まあ……感謝されるほどの結果を出せなかったわけだから、申し訳なさは残るな……」
「ううん……私たちは頑張ったと思うよ。葉月ちゃんにもすごいお礼言われたもん……『こんな私に手を差し伸べて、協力してくれてありがとう』って……」
最後まで葉月は大人だなあと心から思う。
本当につらいのは自分自身なのに、声だって出すのがやっとのはずなのに。
他人を気遣えるのは意外にもそう簡単に出来るものじゃないだろう。
誰しもが自分自身のことで精一杯なのだ。良くも悪くも、ね。
「…………」
「…………」
互いに現状報告をし合うと、しばし沈黙が流れた。でもそれは居心地が悪いようなものではなく、寧ろ今日一日に起こったことを振り返る大切な時間だった。
今も俺たち二人はそっと大きな桜を見上げている。
どこまでも高く、大きく伸びているこの樹は一体いくつもの人たちの姿を見下ろしてきたのだろうか? きっと色んな瞬間に立ち会ってきたはずだ。
桜一枚一枚に、そんな思いをはせているとどことなく柔らかい声が隣から聞こえてきた。
「薪君はさあ……悩み部やってきて良かった、かな?」
「……急にどうしたんだ。らしくないな、楓」
俺は話しかけられても上を見上げたままなので定かではないが、きっと楓も俺と同じだろう。
ふふ、と小さく楓は笑ったかと思うと
「私……すごい場に立ち会ったなって今、思ったの」
そんな言葉が、弱い風に乗って俺の耳に届いてきた。
「確かに、な。幼なじみの恋模様なんて滅多に見られない、な」
「……うん……だから私ね、すっごい感謝してるんだ。勇気を振り絞って相談してきてくれた葉月ちゃんに。一緒に私の『願い』を叶えようとしてくれた薪君にも」
「……」
妙にじれったいものを感じて無言になる。
ひゅうー、と俺たちの後ろから風が吹き抜けた。
それは甘くて――でもどこか酸っぱいような気がした。
「……私たち、頑張れたよね?」
「そうだな」
――自分に言い聞かせるような、確かな声。
「……私たち、葉月ちゃんの力になれたよね?」
「ああ、なれたよ」
――少しの不安が芽生えた声。
「私たち、もうやり残したこと、ない、よね……?」
「ない……はずだ」
――震えた声、それは哀の声。
自分自身で口にするたびに、声は小さく、微かなものになっていって。
聞き取るのが精いっぱいくらいの声になっていく。
でも俺にははっきりと聞こえてきて……
今まで一番声を震わせながら、震える唇から楓は――
「なら…………なんでこんな終わり方なの、かな……?」
多分そこには色んな感情が混じり合っている。
それは――さっき俺が抱いたものと一緒なのだろう。
「私は、さ……確かに『恋』ってものが分からないけど……そんな私でも『幼なじみのする恋』ってさ……こう、すごい計り知れない量の想いで溢れてるんだと思うの。それは葉月ちゃんと月島君を見ててはっきり分かったよ? あー、これが恋なんだって……」
「……」
「でも……まだ分からないの……私には……」
自分の胸にそっと手を当てて、まるで自分に言い聞かせるように呟く。
楓は泣いてはいない。悲しみはその柔らかい頬を伝っていない。
でも、彼女の目は確かに儚い揺らぎを見せていた。
「幼なじみの――男女の友情っていうのかな……――今の居心地のいい関係のままでも十分なはずなのに、楽しい、幸せなはずなのに……なんで人はそれ以上のものを今の関係を崩してまで求めるんだろうね……」
不意な彼女の言葉がぶつっと、どこか俺の心にも訴えかけてくるのを感じる。
これは、多分……
「……しかも、さ。お互いのことを分かり合えてる幼なじみで想いを育めないのなら、他のどんな特別な関係であれば結ばれるの……かな? これがダメなら誰と誰が恋人になれるの? こんな結末って知ってたら……関係が崩れるなら、告白なんて……人を好きにならなくていい、の、に……」
もう彼女は悲しみを背負いきれないのか、言葉を詰まらせながら必死に想いの丈を声に綴る。
「それは……多分、少しでも気持ちを知って欲しいからだよ……少なくとも俺はそう思う、よ」
だって、そうだったから。
そんな気持ちを抱いていた自分が、確かに過去にどんと居座っているのだ……。
「……薪君も、私にそうしてくれた時、そんなこと考えてた?」
「……え」
いきなりの言葉に俺は動揺を隠しきれずに、ぽんと声を出してしまう。
まさか楓の方からそれを聞くとは……今までは遠慮してたのに。
「……うん、そうだった。だから初めは俺も分からなかった。何度も言うように楓は『恋』を知らない。なら俺は何が原因でふられたんだって……」
「……うん」
「しかも『悩み部』を一緒にしようだなんて……その時の俺には分かんなかった。昨日ふられた人を前に俺はなんで今もこう近くで仲良く――何事も無かったかのようにしてるんだって。楓のことをどう思っているのか、自分でも良く分からなくなってた」
「……ごめんね」
「いや……もういいんだ。ほんとはどうするか悩んでたんだけど……今日のこともあって決めたんだ、俺。月島とも話して気が付いたんだ。
楓と一緒にこの悩み部で色んな人の恋を見て。思いと想いを知って。自分の今の本当の気持ちを見つけることにしたよ。楓とは『正しい関係』でありたい。だから……もう少しだけ俺をここにいさせてくれ。俺からも……頼む」
「薪、君……」
楓は、少し驚いたような、そのどこまでも深い黒曜石の眼を向けてくる。
「でもまあ……その恋を知るための初戦としては今回のは少し重すぎたのかもな……明日からの二人もどうなるか、心配だし……」
俺は間が悪くなって、気を紛らわすために適当な話題を振る。
「そうだね……葉月ちゃんは大丈夫って言ってたけど……」
「多分大丈夫じゃないな。しばらくは、今までの二人は見れないかも、な」
「そ、そんな……」
再び悲しそうな表情を浮かべて、微かな声を滲ませる。俺の言葉に触発されて、二人の仲良くしてる姿が浮かんだのか、彼女は両手をぎゅうと体の横で握りしめた。
「で、でも……それも私がなんとかする。なんとかして葉月ちゃんに元気を取り戻してもらって、いつも通りになってもらって――」
話すペースが速くなる。
息継ぎは減って、思いつく限りの言葉を自分に言い聞かせる。
言い聞かせないと、おそらく彼女はこのままでいられない。
「たわいもない話をしてもらって、笑い合って。ああそうだ! またみんなでお祭りに行こうよ! 次は、夏。それで次は花火をみんなで見るの! それで綺麗だねって……それで! 次はみんなで仲良く文化祭を……」
今まで堪えてきた感情が滝のようにあふれ出す。
「それで、次はそれでね――」
そこまで言いかけて、楓はふと言葉を切った。
楓の頬には――先ほどまで必死にためていた悲しみが不覚にも美しく伝っている。
ぽろ――最初の小さな一滴が、その滑らかな曲線に沿って、顎に流れ。
ぴちょん、と雫が素長く姿を変えて、そのまま地面に落ちていった。
そしてまた一滴。もう一滴。ついには数えることは出来なくなって――
そこでようやく楓は、
「あ、あれ……なに、これ」
握っていた手をほどいて自分の頬に伝わる感触を確かめる。
「なみ、だ……我慢してたはずなのにな……え、えへへ……」
泣きながらも彼女はどこまでも強がる。
今も目の前でずっと目をこすって涙を拭う。
でも、いつまでたっても止まらない。
無数の涙が大判となってぼろぼろと出てくる。
そして――彼女は泣きながら。
「そ、それでっ。二人は、ね……もう一回やり、なおすっ、んだよっ……そ、それでっ!」
「楓……」
嗚咽しながらも、まだそうする楓を見ているのが耐えきれなくなり、俺はそっと彼女の手を取った。その手をどこまでも小さくて、華奢で、冷たかった。
「楓……もう無理するな。我慢しなくていい」
「だ、だめ、だよっ! こ、ここで泣い、て、たら、私バ、カみた、いだよ、……」
「バカなんかじゃないよ」
結局俺なんだ。バカなのは。
「俺で良ければ……ここにいてやるから。ずっと、楓が落ち着くまで傍にいる。だから……素直になるんだ、楓……」
「まき、くん……」
もう彼女の言葉は聞き取るのがやっとのほどに震えていた。
手が、小刻みに震えているのが分かる。
俺はそんな手を安心させたくてぐっと優しく包み込む。
「じゃあ……薪君。ちょっと胸、貸して……」
「ああ」
「……多分、汚れちゃうよ?」
「ああ」
「…………ほんと、にいい、の?」
「ああ」
「情け、ない、よ。わ、私、結局、な、なん、も出来てないぃっ!」
「そんなことないよ」
「もう、わっかんないよ……更に、分からなく、なっちゃった、よ。なにが、恋で、なにが、恋じゃないっ、て。私には、まだまだ、難しすぎる、よ。分かって、あげられ、ない。一緒に、その気持ち、を、共有して、あげられ、ない」
「今は良いんだ。これから知っていくんだ。全部。そしたらいつか……背負えるから。俺も、一緒に背負うから。だから今はもう良いんだ」
「わた、しなん、か……」
俺はそっと彼女の背に手を回して。
包み込んでその悲しみを少しでも和らげてあげたくて。
気持ちを分かってあげたくて。
今この瞬間を、彼女と一緒に感じたくて。
静かに、目を閉じた。
――しょっぱい香りが、俺の心まで儚く沁みていった。
「…………う、うう、あああああああああああああああああああああっあああああああああああああああああああああああああっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああぁぁあぁんっ‼」
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