(11)

「おいっ、月島ぁ!」


 気が付いた時にはもう、はその名を必死に叫んでいた。

 今、目の前で起こったことを説明してもらうべく、急いで彼の佇む桜の元まで駆け寄った。

 近づいてみると何故だろう。

 季節は春のはずなのに、何処か背筋が震えるような冷たさがその場にずっしりと羽を伸ばしていた。


「……月島、今のはなんだよ、なあ? どういうことか説明は出来るんだろうな!」

「……どういうことって言われても、そのまんまだよ。その様子じゃ……見てたんだろ?」

「……気付いて、たのか?」

「まあな」


 俺がどんなに詳しく聞き出そうとしても、一向に月島自ら説明し出すことは無い。

 乱れ桜に隠れた明日の方向に、ずっと色あせた視線を向けるだけだ。


「……葉月、泣いてたぞ」

「うん。分かってる」

「……葉月、悲しい顔してたぞ」

「それも、知ってる」


 ただそれだけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 完全に彼の言葉には魂という活力が抜けてしまっていた。

 そして沈黙。その間も彼の表情は変わらぬままだ。

 本当はここで俺から無理やりにでも聞き出す方が良いのかも知れない。強引に月島の胸倉でも掴んで「なんでなんだよっ⁉」って。

 実に俺らしくはないが、それくらいのことをしなきゃ寧ろ胸糞悪い。


 ――葉月は月島にふられた


 俺と楓は月島に言い訳を作ってからその場を離れたと見せかけて、二人のあとを追いかけていた。二人は案の定あの桜の根元で肩を並べて立ち止まったので、俺たちは近くの草むらにひっそりと身を隠して、その会話を聞いていたのだ。

 最初の方は良かった。

 何気ない会話、妙にじれったくてこの場に俺たちがいて本当にいいのかという疑問さえ頭に浮かんだ。甘くて口角が吊り上がっていた。

 これは俺の――俺たちにとっても重要なこと。


「恋」を知る。


 それが楓の一番の目標なのだからこの「幼なじみの恋」という物語の成り行きを知ることは彼女にとって大きな糧となる。

 きっと成功して、これからも二人仲良くしていく……そしてたまーに俺たちとも絡んで一緒に楽しく話したりして……

 俺たちのこのなし崩し的な関係も、いつかちゃんと終わらせるために。

 これを機に良い方向に向かうはずだった。

 そう考えていた矢先に、事件が起こったのだ。


 突如泣き出す、葉月。


 必死に月島の胸を殴って殴って……遂にはその場から立ち去ってしまった。

 このままじゃダメだ。こんな終わり方、あんまりじゃないか。

 こんな恋は――幼なじみの恋は――もっと優しく、温もりのある手で包み込まれるものではないのか?

 長年の想いが、こうもいとも簡単に終わってしまって良いのか?

 そんなうちから湧いてくる感情の波に流され、今俺はここにいる。

 葉月の方は今頃……楓が追いかけているだろう。あいつに任せるしかない。

 月島のその結ばれた口からなにか言葉が出てくるまで、俺はずっと視線を合わせながら待っている。

 ようやく「……っふー」と一回深く深呼吸してからゆっくりと話し始めた。


「葉月はさあ……俺にとって大事な幼なじみなんだよ……幼稚園の頃から一緒に良く遊んでてさ。あいつ、当時は極度の人見知りだったからか、最初はすごい俺と遊ぶの控えめだったんだけど、何回か遊ぶうちに心を開いてくれて……それからはほとんど毎日のように遊んでた」


 語り出されるのは二人の過去の話だった。

 葉月から聞いたのはほんの一部なので、ほとんどが俺にとっては初耳の内容だ。


「でさあ、現状を見てもらえれば分かるんだけど、俺。小学校でも中学校でも結構なクラスの人気者的な存在だったわけよ。で、しかも俺運動も勉強も人並み以上に出来てみんなから『完璧』と思われててさ……だから休み時間とかは色んな人と遊んでたし、上の学年になるに連れてそういう機会が多くなっていったわけよ。でも……そんな俺とは対照的な――怖がりでシャイであんまりみんなと馴染めていなかった葉月を見かける度に俺は申し訳なさというか、こうなんというか……そう、放っておけなかったんだよ」

「……それはなんで?」

「分からない。今考えてもやっぱり分からない。ただ俺にとって葉月は大切な友達で……幼なじみで……そんな彼女が独り寂しそうにしているのを見るとこっちも心が痛んできたんだ」

「だから……葉月と一緒に遊んでいた、過ごしてきたってことか?」

「それもある、し。そんな風に思えたのは中学生になってからだ。あれはそう……思春期で色々と心が揺れ動く時期だから、俺もそれに影響されてたんだろう。思春期ってのは厄介だ。人との関わりとか異性との付き合いとか色々大変だ。だから、俺が葉月と仲良くする理由はあくまで後付けされたものに過ぎないし、何故と問われても答えられない……」

「……そう、なんだな」


 俺は時よりそんな相槌をしながら、月島の独白を静かに聞いていた。


「……俺は、葉月が好きだ。いや、


 やけにしっかりとした声色で確かにそう言葉にした月島が俺の目の前にいた。

 驚くほど、悲痛に、鮮明に。

 でもその姿は俺にはどこかとても小さく見えた気がする。


「……高校生になった今だからこそ言える。俺は昔から――いつからは分からない――葉月と仲良くしてた理由と一緒で……葉月のことが『幼なじみ』としてじゃななく『一人の女の子』として好きだ」

「……お前、それどういうことだよ⁉」


 意味が分からない。


「……なら。ならなんで⁉」


 心の何処かでからんとなにかが音を立てる。なにかが俺の中で芽吹き始める。

 この感情は――

 自分の中で想像していたことと今の発言がかけ離れすぎて、思わず声が高ぶてしまった。

 でももう遅い。「ごめん、つい」なんて優しい言葉はかけない。

 月島は、急に口角をにっと上げて手のひらを空へと向ける。


「『なんでふったのか』か……それはね薪、簡単なことなんだよ。そう、至ってシンプル……。」

「は?」

「俺が葉月と付き合うよりももっと世の中には――学校にはいい人ってのがたくさんいると思うんだよ。色んな人と関わってきた俺だから言えることだ。お前には分からないだろうけどな。だから……俺は葉月をふったんだ」


 終始、妙な微笑を浮かべながら、さもその答えが正しいと言わんばかりの冷たい声を放つ。そのせいなのか、月島と俺は近くに立っているはずなのに、彼の言葉はひどく軽く、俺の体をすうっと通り抜けていく。

 ふと、桜の朽ちた匂いが鼻を掠めた。


「そんな……そんな独りよがりで意味分かんない理由で葉月をふったのか?」

「独りよがり、とはまた聞き捨てならない。これは葉月のことを思っているからこその、俺なりの答えなんだよ。彼女の隣にいるべきなのは俺じゃない。どう考えたって俺とあいつじゃ釣り合わないのさ」

「それが本当の答えならお前は最低最悪だ、月島! 葉月は……葉月はあんなにも泣いてたじゃないか!」

「それはもちろん泣かれる前提のもと、俺はこの結論に至ったんだ」


 俺にはもう今の月島が狡猾な男にしか見えなくなっていた。

 さっきまでの、今までの月島は何処へいってしまったのか? 

 あんなにも人への気遣いが出来て、優しい月島は。


 ――今までの月島は全て仮面を被っていたのか


 とても腹正しい。

 葉月のため、なんて上辺だけを雑に装飾した陳腐な言葉が俺の中の怒りをぐつぐつと湧き立たせる。

 「隣にいるべきなのは俺じゃない」だって? ふざけるなよ。なんでそんなこと言えるんだよ? 自己中すぎる。ダサすぎる。

 今にもぶん殴りそうな衝動に駆られるが必死に抑えながら、でもその感情は言葉に乗せる。


「葉月は、そんなこと望んでいない。葉月はお前がいいんだ! お前以外の誰でもない、月島光という人間を世界で一番愛してるんだぞっ!」

「たとえそうだとしても、俺以外にもっといいやつが絶対にいるはずだ! こんな俺なんかが葉月と付き合えるわけないだろ!」

「葉月本人が月島のことが好きって言ったんだぞ。その想いを嘘だと言い張るのか! 月島ぁ!」

「何度も言ってるだろっ! 俺以外に……もっといいやつなんかいっぱいいるはずなんだ。そんなん、葉月に申し訳ないだろぉ‼ 葉月には俺以外の人間ともっと幸せになれる機会があるってのにそれを俺が奪うのか⁉」


 ここで初めて月島の声が粗ぶった。

 明らかに感情的になっている。

 この会話の中でなにかが月島の中で揺れ動いている。

 さっきの冷静な態度とは打って変わって、手で目の前を薙ぎ払いながら必死の眼差しをこちらへ向けてきている、が。

 いくらそんな漆黒に染められた目をされても、俺は追及を止めない。


「……なあ本当は別に理由があるんだろ? 葉月を振った」

「そんなのあるわけない! これが俺の唯一にして最適な答えだ!」

「何をそんなに高ぶってるだ? もっと冷静になれよ!」


 煽り気味な言葉を並べて、月島を激情に乗らす。


 ――もっと感情的になれ。もっと素直になれ。もっと人間らしくなれ。


「月島の中には、もっとがあって。でもそれは余計に葉月を傷つけるから隠してるんじゃないのか?」


 俺は一歩前に踏み出し、確証に迫る。


「なあ……もう良いだろ。もう一人で苦しむのは止めろよ。そうやって自分に言い訳をして一番苦しんでるのは! 悲しんでるのは月島、お前自身だぞ! そんなのお前が一番分かってるはずだ!」


「違う……俺は……俺は葉月のことを思って。葉月のことをふった、だけだ……」

「月島、もういい。全部言ってくれ。話してくれ。葉月にはなにも言わない。だから――」


「違うって言ってんだろぉぉ‼ さっきから言いたいことだけ言ってそれこそ秋宮は――」


「うるせえ‼ だったらあの後! ⁉」


「――ッ」


 ついには月島の頑なな姿勢に俺も骨が折れた。

 言葉が遮られたが、更にその上から月島の悲痛な叫びをかき消す。

 不思議とあたりは静かに感じる。人はいっぱいいるはずなのに。周りの人の動く様子がまるでスローモーションのように、俺たちがいる場所だけが世界から切り取られているよう。

 少しだけ、なにか熱く感じる匂いが俺の鼻に触る。


「そんなにも葉月のことが大事なら……なんで泣いた葉月を追いかけないんだ?」


「そ、そんなん追いかけてなにになる⁉ ふった男が今更慰めに行ってどうする? 余計なお世話になるだけだ‼」


「それを葉月の前で言えるのか、月島ぁ‼ そんなことは決して許されないはずだ。あいつは……たとえ余計なお世話かもしれないけどお前に――月島光っていうやつに追いかけてきて欲しかったんじゃないのかっ⁉」


「なんでそんなことが言えるんだよ⁉」


「だってそれが……中野葉月が憧れた、恋した月島光だからだよっ‼」


 人は、


「そんなこともわかんなくなっちまったのかよ、月島光!」


「ッ…………」


 今日一番の哀愁が辺りに漂った。


「どんなに些細なことでも気遣って助けてくれる月島。人を、みんなを励まして笑顔にしてくれる月島。静かに寄り添ってくれる月島。独りの葉月にも手を差し伸べてくれた月島。そんな姿を昔から見てきたはずなんだよ、葉月は。一番近くで、誰よりも傍で……」


 少し声が震えてしまう。

 もう俺の目頭は自分のどこまでも透明なものを留めてはおけなくなっている。


 息が苦しい。この感情はなんだろう? 


 月島に対する怒りか? 


 ――違う。


 葉月に対する同情か? 


 ――違う。


 じゃあ。



「そんな月島が最後の最後で、仮面被って弱いとこ見せんなよおぉぉ‼」



 悔しさだ。

 恋に対する、自分自身に対する、この世の中の不条理に対する。

 俺が力いっぱいそう叫ぶと、途端に月島は目を大きく見開いた。

 はっと肩の力を抜き、ひどく脱力する。

 表情もこわばりを捨て、安らかで、どこが物寂しさが風に乗って俺の目に映る。

 そうしているうちに、今度は顔に哀の籠った微笑を浮かべる。

 もう、先ほどまでの激しい感情は桜と共にどこかへ散っていた。


 ――ひらひらひらひら


 ふと落ちていく桜を追うと、俺たちの周りを取り囲むように。

 まるでみたいに。

 ただ、今日は夜らしい。ただ、今日は俺がふられたわけではない。


「しかもお前……その……」

「――ッ⁉ こ、これはちが――」

「葉月へのプレゼント、じゃないのか? ……」

「……ああ、そうだよ」


 月島はその手提げバックを強く抱きしめる。

 おそらくは葉月の誕生日が近いんだろう。確か来週あたり。

 これは俺の憶測に過ぎないが、月島は葉月にプレゼントをあげるために同じ女子である白石さんにプレゼント選びを手伝ってもらっていたんだろう。

 それで最近になって一緒にいることが多くなった……その代わりとして月島は白石さんが苦手な勉強を教えていた……

 大体そんな所だろう。大きく間違ってはいないはずだ。

 もうなにもかもが丸見えになった月島はしばらく沈黙の中に佇む。


「……なんで葉月をふったのか、そう秋宮は俺に聞いたな?」

「ああ」


 夜明けの前の静けさみたく、ぽつんと俺たちの声だけが響く。


「俺はさ。満足してるんだよ。今の関係に。幼なじみってのは良いもんだよ。互いに気軽に話せて、気軽に遊びに行って、気軽に冗談言い合って。喧嘩だって他と比べたらすぐに仲直りさ。お互いがごめんって、すぐにまたいつもの幼なじみに戻れる。

 そう、幼なじみっていうのは


 月島の顔は笑ってはいるものの、その想いにはが満ちていて、その心はに満ちている。


「ただ……一旦それが恋人になったら話は別だ。俺は葉月を幸せに出来る絶対的な自信がある。でもそういう気持ちだけじゃダメなんだよ。どんなにも仲が良くてもお互いにすれ違って言い合って……喧嘩だってするだろう。

 そんな時もし『もう知らない』って別れたら? 『一旦距離を置こう』なんてことになったら? 次の日からはもう俺たちは恋人でも幼なじみでも無くなっちゃうんだよ」


「でも、それを覚悟で葉月はやっとの思いで告白をしたんだ」


。葉月が俺のこと好きだってことくらい、さ」


「えっ……知ってた、のか? ってことは、俺たちが悩み部ってことも、か……?」


「勿論。だって最近、葉月らしからぬ行動が少し多かったしな。学校でも話しかけくるし、弁当とかも作ってくれるし……そこは、秋宮たちが一枚噛んでたんだろ?」


「……ああ」


 月島は全てを知った上でここにいる……葉月の想いも察しながらここにいる。


「そう。だから……尚更葉月とはこのままの関係でいたいと思ったん、だ。幼なじみっていう、楽な関係に安住して、お互いに気持ちが、分かっていながらも、楽しく、毎日……そう、毎日、たくさん、笑っていたかった。壊れるのが、怖かった……離れるのが、嫌だった……ただ、おれ、は………」


 そこで月島は息継ぎすると、ふとその哀しみの頬に光る雫が一粒。


「俺は……楓を、失いたく、なかっ、た。一生、そばに、居て、欲しいん、だ。だからふられて、ばいばいすることの、ない、今を、選んだん、だ」


 幼なじみという関係を捨ててでも、恋人になりたかった葉月。

 葉月を一生失うかも知れないから、なあなあな幼なじみの関係を続けたい月島。


 このひどく儚い構図が今回の結果を生み出した。


「俺から、してみれば……実際問題、俺たち、が、幼なじみ、から恋人になったって、あんま、生活は変わらない、よ。寧ろ、今まで通り。それでも、人は、そんな恋人っていう、目に見えない、、を、求めて、想い人と、結ばれたい、と、思っちゃうんだ、よ。皮肉、だろ?」


「……今言ったこと、そのまま葉月に話したらどうだ? そしたら……少しは分かり合えるかも知れない」


「………いや、言わない。そんなん、それこそズルじゃ、ないか……でも」


 そこで一旦言葉を止める。

 ズーと鼻水を吸い、目元をゴシゴシと腕で拭い、一つ多きく深呼吸する。

 そして顔を上げたその瞬間、眼光が輝いた気がした。

 まだ肩は少し震えているけど。


「今、決めたよ。いつか……。葉月と恋人になっても、絶対に幸せにしてあげられると信じられるようになったら、自分のこのクソみたいな臆病心を跳ね除けられるようになったら。どんな困難も乗り越えていけるくらいに成長出来たら。葉月の想いを素直に受け取れるようになったら。今度は僕がこの長い想いを明かそうと思う。それで晴れて、幼なじみから恋人になるん、だ……」


 その、決意の重さが月島の目から伝わってきた。

 目元はまだ赤い。

 先ほどの熱い香りが彼のうちといううちから漂ってくる。

 優しいはにかみが温かく俺に伝わってくる。

 もう、月島光は大丈夫だ。一歩、前進出来たはずだ。

 自分の気持ちと素直に向き合えたはずだ。


「まあ……改めて考えてもほんと、身勝手だな俺……全部、自分の都合でしかない。おまけに結局このプレゼントも渡そうと思ってたのに渡せなかった。もうこれは一生渡せない」


「このことは葉月には黙っておいた方がいいか?」


「……ああ頼む、そうしてくれ。ごめんな。長いこと付き合わせて。あと、俺のことを叱ってくれて」


「お役に立てたならなによりだ」


「葉月とは……そのー……仲良くしてやってくれ。俺はまだ流石にいつも通りに話せないから。お前と楓が傍にいてあげてくれ。いつか……絶対に迎えにいくから」


「おう」


「いつもは秋宮のことおちょくってるけど、今日ばかりはそんなことをしていた俺が恥ずかしいよ。お前の方がよっぽど大人だった」


「……いや、違うよ。

 今のこいつなら……話してもいいのか? お互い分かり合えるのか?


「? どういうことだ、いきなり」


「……話をしよう。俺の話を」


 陰キャだから、陽キャだからなんて関係ない。

 月島はすべてを吐き出したから、今の俺はこいつと対等な関係でいられる。

 だから話して見たくなったんだ。俺と楓の経緯を。



 ※



「そう、だったのか……」


 俺が悩み部を作った経緯のことを話し終えると、月島はそんな声を漏らす。


「お前も……相当大変だったんだな。良く、気持ちの整理が付いたな」

「全くだよ。今だって、俺はずっともやもやしたままだ。本当にこのまま悩み部を続けていいのか? どっちつかずの心のまま、楓と一緒にいていいのか?」


 ひょっとしたら、この関係は月島と葉月の関係よりもひどく、深く、複雑に絡まっている。


「今の俺が言うのもなんだが……俺は……続けても良いと思うぞ、今の関係」


「……その心は?」


。結局、秋宮も俺も、今の関係を壊したくないって思いに揺らいでいる。俺は幼なじみとの。お前は元・好きな人との」


「ああ」


「でも、お前はさっき、そんな似たもん同士の俺を叱ってくれた。正しい方向に舵を切らせてくれた。なら……お前は過去の自分にも同じことが言えるはずだ。そうしてお前は常に、自分自身を律していけるはずだ。自分で自分を叱ることが出来る。これは多分、すごい大事なことだ。俺にはそれが出来なかった。でもお前には出来るとさっき自分で証明した。それだけで十分、楓とは対等な関係に――正しい関係に――なれると思う、ぞ」


「……ほんと、か? 俺はさっきみたいに、自分自身のことを正してやれるのか?」


「ああ、出来るさ。そこは、こんな俺でも信じてくれ。お前はきっと、この先そうやって自分自身で自分を客観視して、正しい方向へと舵を切れる。それが、今の秋宮薪だ」


「……分かった。信じることから……始めてみるよ」


「ああ」


「なんか、俺たち、ダメ人間だな……」


 そこまで思えるようにまで、俺は成長していた。

 勘違いしてはいけない。これはプラスの成長だ。

 今までは、どっちつかずの楓との関係にただ悩んでいただけ。主観的に。

 でも、今は月島の言葉を聞いてはっきりした。この関係を「良い関係」にしていこうと思えるほど、自分を客観視出来たような気がした。

 だからこれは大きな一歩だ。

 足を上げ始めたのは、もっと前からだったかもしれない。

 ただ、今この瞬間、その足が地に着き、のだ。

 そんな気がしたのだ。


「よし……じゃあ、俺はこの辺で帰らせてもらうよ。見るもん見たし、楽しかったし、すごい満足だ。お前は多分、まだここにいるだろ? 葉月たちにもそう伝えておいてくれ」


「分かったよ」


「じゃあ、またな」


「またな、


「おうよ、


 分かり合えた。今だけ。臭いな。

 月島はそう別れを告げると、俺に背を向けて公園の出口の方へと向かっていった。

 その姿はあらゆる想いを背負っているようで遠くに離れていってるのに、大きく見えた。

 俺はふと、脳内にある疑問が浮かんで離れていく背中を呼び止めていた。


「どうした? まだ説教が足りなかったか?」


「違うよ。なんで、葉月にイヌのお面を選んだんだ?」


 他にももっと選択肢はあったはず。

 なのに月島はイヌを選んだ。その真意が俺は気になったのだ。


「さあね、なんでだろうな。僕の本能が『それにしろ』って言ってたんだよ。なにか問題でも?」


「そうか……いやなんでもないよ。じゃあまたな」


「ああ」


 月島はまた、可憐に散る桜の舞の中をせっせと歩んでいった。

 彼の様子をしばらく見守った後、俺はおもむろにスマホを取り出して検索してみる。

 キーワードは『イヌ シンボル 意味』。

 そして、ヒットしたとあるページを開いてみるとそこには――



【イヌ】イヌには多くのシンボル的意味がありますが、主なものは次の意味です。

 忠実さ、誠実さ。


 ――信頼のおける真の友人



 なるほど。これは必然か、或いは偶然か。


 ちなみに、勿忘草の花言葉も調べようと思ったけど、結局止めといた。

 余計なお世話だろうしな。



 俺はふと振り返り、次なる場所へと向かう。


 俺の愛した、楓のもとへ。


 今なら、彼女とも分かり合える気がした。


 今なら、彼女と一歩進める気がした。

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