第39話 (番外編) アンネマリーと受験勉強、そして狂気

「萌えが欲しいんですよ」


自室にアトリエから借りたイーゼルと石膏像をこっそり持ち込み、アンネマリーは目を血走らせながらデッサンを取る。


「萌えが欲しいのに、そこに萌えはない」


部屋の壁という壁には、生真面目なデッサンが掛けられている。時々風景画もある。


アンネマリーは、絶賛受験勉強中であった。


《……あのね》


何も知らずに遊びに来たクラウディアが、恐る恐る言った。


《暗号化した古代魔術語、使いましょう?》

「勉強しながら、んなもんが使えるかぁ!」


アンネマリーは雄たけびを上げた。

「こちとら勉強もすっごく大変なのに、両親が宮廷学校の受験を許してくれなくて、アトリエに行くことすら良い顔しなくて、モチベーションもだださがりなんですよ!」

「……え? 宮廷学校に入学できたら、結構なステータスじゃない。何故、反対されてるの」

「男を立ててこそ女なんですって。女には学力も権力もいらないんですって。ああストレスストレスストレス――!」


アンネマリーは瞬きもしないでカラカラと笑った。


「萌え、萌えが足りねえんだよ、私の生活には。ああ、脳天までずっきゅんと来る激しい萌えが欲しい……おい、てめえら持ってんだろ、ほら出せよ、出せっつってんだよ!」

「やだもう、この子狂ってる……」


クラウディアが青ざめて両頬に手を当てた。

顎に指を添えて考えていたネリが言った。


「アン、萌えとは与えられるものじゃない、見つけるものだよ。私たちが萌えてるものを教えたって、アンは萌えないかもしれない」

「……じゃあ、どうすればいいんですか」


会話をしながらも、アンネマリーは一切手を止めずキャンバスに向かっている。


「そうだね……まず自分の好きなものを分析するのはどうかな。そこから逆算して、萌える殿方同士ラブを探すんだ」


アンネマリーは一瞬手を止めた後、また描きだした。


「幼馴染」

「そういえば、アンは幼馴染大好きだったよね……」

「はい。あらゆる幼馴染は、幼馴染となった段階で結婚してると思っています。つまり、別の人と付き合ったら不倫です」

「過激派……」


クラウディアは、はっと気づいていった。


「ちょっと、あなた。つまり、あなたとフェリクスさんは」

「こんな関係を幼馴染と同じにしないでください。腐れ縁ですよ、腐れ縁」

「……哀れ、フェリクスさん……」


クラウディアは目を閉じて合掌した。


コルネリアが言う。


「じゃあ、あとは簡単だ。幼馴染を探せばいいんだよ」

「いない……」


アンネマリーは木炭を絶えず動かしながら言う。


「どこにもいないんだ……」

「どういうこと?」

「受験勉強の中に、幼馴染が存在しないんです……」


クラウディアがあっと口に手を当てた。


「確かに、受験の時に学ぶの歴史には、人物の敵対関係はわかっても、幼馴染ってあんまりないわね……」

「そうなんです」


アンネマリーはまた乾いた笑いを上げた。


「座学の中に幼馴染はおらず、石膏像の中にも幼馴染はおらず……」

「きっとまだ、勉強が足りてないだけよ。あなたが知らないだけで、きっと――」

「嫌ですっ、私は、特に何もしなくても心臓を直撃される萌えが欲しいんですっ!」


とうとうアンネマリーが涙をほろりとこぼした。

アポロニア様のビンタを食らってから、この三人娘は涙腺が緩くなっている。


泣きながら笑い、ひたすらデッサンを取るアンネマリーの姿に、思わず二人の魂の姉も涙を禁じ得ない。


「……待って、アン」


コルネリアがはっとして言った。


「幼馴染って、どこから?」


ぴたりとアンネマリーが手を止めた。


「小さい時から、仲が良かった?」


アンネマリーはあいまいに呟く。


「でも、仲良しの基準って決まってないじゃない。それがどんな形でもよいなら、どこに住もうが、どうあろうが、関係しあわない人間なんてない。ならば、どこからが『仲良し』なの?」


言いながらコルネリアが考え込む。


「そもそも、幼馴染が全員結婚してるっていう発想が、妄想だわね」


クラウディアがそう言って自嘲するような笑みを浮かべた時、アンネマリーが椅子を蹴飛ばして立ち上がった。


「そうです、そもそも全部妄想なんです」

「ええ」

「ならば、幼馴染という関係自体も妄想です」

「……ええ?」


アンネマリーはくるりと二人の魂の姉に向き直った。

その瞳はやたらと輝いていた。


「全部妄想なら、好きにしちゃっていいのです。だったら、私はすべてを幼馴染にします。あらゆる人を幼馴染にします。――そうです」


アンネマリーは両手を上げて、高らかに叫んだ。


「地球に生まれる限り、すべての人類は幼馴染なのです――!」


そう言って、アンネマリーは「くふふ、うふふ、あーっはっはっはっ」と三段階の高笑いを披露した。


「アン……あなた、疲れてるのよ……」


クラウディアが青ざめた顔で言った。


***


扉の外にはフェリクスと、アンネマリーの両親が立っていた。


フェリクスが沈痛な面持ちで言った。


「お判りいただけましたか……もう全てが、手遅れです。かといって勘当すれば、ツァールマン家とファーナー家を敵に回します」


母親は泣き崩れ、父親は額に手を当てて言った。


「仕方がない――受験を認める」



こうしてアンネマリーは受験した。

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その冷酷令嬢、腐女子三姉妹のお母様につき 小津柚紀 @ozuyuzuki

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