第10話 コルネリアは美しい深窓、の、令嬢……?

ファーナー男爵家は金持ちだ。


広く豊かな領地に活気づいた商業、重ねてファーナー男爵の的確な運営によって領地は繁栄を極めていた。

その上優秀なファーナー男爵は様々な功績も上げていて、王室では陞爵も検討されているという噂もある。

今もっとも勢いのある家の一つと言っても過言ではなかった。


そんなファーナー男爵には子供が一人いる。十六歳の少女だ。

よほど階級が高くない限り、息子を彼女の婿にしようと画策しない貴族はいないほどった――


***


ファーナー男爵は、ある夜会に出ていた。


「親が言うのもなんですが、うちの娘は淑やかで内気で素直な子です。どうです、そちらの息子さんと会わせてみては」

「お待ちください、うちの娘はダンスの上手い、社交界でも評判の美人です。きっとお役に立てるかと」

「これがうちの娘です。ほら、ご挨拶しなさい」

「うちの娘は刺繍が上手くて……」


親交のある家々は、こぞって自分の娘たちを高位貴族の息子に売り出そうとする。

そんな様子を、ファーナー男爵は微笑んで見守っていた。


一拍後、同僚たちは目配せをしあうと、ファーナー男爵のもとに集まってきた。


「ファーナー男爵は、今日も娘さんを大事になさる」

「おや、そう見えますか?」

「おとぼけにならないでくださいよ。一人娘を夜会にもめったに出さず、見合い話の一つも作ろうとなさらないではないですか」

「内気な子でして、人前に出るのを恥ずかしがるのですよ。それに十六歳ですから、見合い話にはまだ早い」

「もう十六歳のまちがいではないですか。結婚していてもおかしくない年でしょう」

「いやいや、ははは」


ファーナー男爵は笑いながら、手元のワインをぐびぐびと飲み干す。


貴族たちは噂しあった。


「ファーナー男爵は相変わらずだ」

「あの優秀なファーナー男爵が手元から放そうとしない一人娘」

「コルネリア嬢、ファーナー家の掌中の珠」

「一体どんなに優れた娘なんだろう」


噂話を小耳にはさみながら、ファーナー男爵はただひたすらに好物のワインをグラスに注ぐのであった。


――数時間後。

ファーナー男爵は、自分の屋敷の隅にある尖塔の螺旋階段を上っていた。


最上階につくと、そこには開けた部屋がある。

天井には小さな天窓があり、薄い日光が流れ込んでくる。

壁は武骨な石造りで、何もなければ罪人の部屋と間違われるほどそっけなかっただろう。


だが、その部屋はベッドに本棚、その他散乱する物で、例えようもない生活臭が漂っていた。

何故か。ファーナー家の一人娘、コルネリアが居座っているからだ。


そしてコルネリアは梯子のてっぺんに乗って、小瓶の中の染料に筆を突っ込んでは、歌いながら壁に謎の文様を描いていた。


ファーナー男爵は目頭を押さえた。あの染料は、その道三十年の掃除婦ですら匙を投げる「絶対落ちない染料」である。もうこの部屋の復帰は不可能だ……


「……コルネリア」

「――ふっふふーん――」


コルネリアは歌いながら謎の文様を描いている。


「コルネリア」

「――ふんふーん、腐ったミカンは、お腹を壊す――」

「何の歌だよ」


こいつは聞かない。

聞こうとすらしない。


現実を見ていられなくなった男爵が部屋の隅に目をそらすと、そこには大量のモニュメントがあった。

また増えている――


「コルネリア」

「――らんらんら――」

「――せめて壁じゃなくて紙に描きなさい!」


ファーナー男爵が部屋の中央に鎮座する模造紙の山を指さしながら叫ぶと、ようやくコルネリアは振り向いた。


長い灰色の髪に、真っ白な肌。

宝石のような紫色の瞳を持つ彼女は、低身長で幼く見えるものの、かなりの美少女だ。


「――だって、紙に描いたのがたまったら、お父様捨てちゃうでしょう」

「ばれてたのか……」

「あたりまえだよ」


そう言うと、またコルネリアは鼻歌交じりに壁に筆を引いた。


「……あのな、コルネリア。せめて、謎の文様はやめないか。お前も女の子なら、ほかに趣味はあるだろう。刺繍とか、絵画とか、楽器演奏とか――」

「全部やりました。そのうえで、私がたどり着いた境地がこれです。そしてこれは謎の文様じゃない、魔法陣です」


ファーナー男爵は虚無の面持ちで、コルネリアが言うところの「魔法陣」を眺めた。


初めてコルネリアが「魔法陣」とやらを描きだした時は、男爵は彼女には魔法の才能があったのかと小躍りした。

古代魔術語を語ることが魔法としてシンプルな威力を持つなら、魔法陣は細かく描きだし、図形化することによって、ますます威力を強くて複雑なものにする、高度な魔法技術だ。


だが、その喜びは秒でついえた。


描かれた魔法陣、そのすべてに何の効果もなかった――平たく言えば何も起きなかった。

つまりは、それは魔法陣を模したただの落書きであった。


男爵が一人娘のコルネリアに、夜会も見合い話も用意しない理由は二つ。


一つは、コルネリアがそういったことへの興味を微塵も示さないこと。


もう一つは、コルネリアはどこに出しても恥ずかしい、立派なド変人だったことだ。


男爵は部屋を見渡した。

雑然とした部屋には、壁中に文様、文様、天井にまで文様――よく見れば模造紙にも文様や何かの計算式が描いてあるし、部屋に散らばっている本の山には学者ですら読むのが難しい難解な本が混ざっている。


決して無能な娘ではない――と思いたいのだが。


「なんだか……お前には特殊な、そう、すごく特殊な感性が備わっているんだろうな」


男爵は諦念の笑みを浮かべて呟いた。


「そうかな」

「いつか、誰かがきっと理解してくれるさ」


コルネリアはその言葉に、少し考えた。


「この世に……二人くらいいると思う」

「それは、少ない――いやむしろ多い……」

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