第11話 王太子たち(1)

ファーナー男爵は王宮の廊下を歩いていた。


手には折りたたんだ模造紙の束を持っていた――コルネリアのものだ。

たまっていたから廃品回収に出そうと部屋にまとめておいたものを、持ってきたのだ。


ファーナー男爵は思い出していた。


最近、王都では「抽象画」と呼ばれる絵画が流行っている。

ファーナー男爵には、それの何が良いのかさっぱりわからない。

線とか、丸とか、よくわからない記号があるだけだ。


――でもそれなら、コルネリアの謎の文様だって同じはず。


ファーナー男爵は知り合いの宮廷画家にそれを見てもらい、評価してもらう予定だった。


駄目でもともと、ちょっとでも評価が付いたらもうけ。


ファーナー男爵は、何としてでもコルネリアに新しい居場所をつくってほしかった。

別に、領地は甥を養子にして継がせればよい。

コルネリアはコルネリアらしく、好きに生きていていいと思う。


だが、老いて死ぬ時まであの塔にこもっていると思うと――いささか胃が痛い。


「せめて、あの子に友達ができたら……」


呟いた時、曲がり角から歩いてきた人とぶつかった。

細身だが頑丈な若者で、ファーナー男爵はしりもちをついた。


「申し訳ありません。ファーナー殿、お怪我はないですか」


若者はギルベルトだった。物腰は柔らかだが、伯爵家の長男だ。


「ギルベルト殿! 失礼しました」

「いや、こちらこそ申し訳ありません。立てますか?」

ファーナー男爵が立つのを助けながら、ギルベルトははっと廊下を見下ろした。ファーナー男爵が持っていた模造紙と、ギルベルトが持っていた書類が混ざってしまっていた。


「これは、ファーナー殿、申し訳ない……」

「いえいえ、こちらこそ……」


二人は慌てて書類をまとめると、顔を見合わせて苦笑した。


「では、失礼します」

「はい、こちらこそ」


そうして二人は別れた。


***


ファーナー男爵に別れを告げると、ギルベルトは廊下から中庭に出た。

中庭をまっすぐ突っ切ると、目当てのテラスまで近道だからである。

中庭にはうららかな春の日差しが差し込んできて、花も葉もすべてが輝いているように見えた。


芍薬の花壇の小路を歩いていると、黄色の小さな薔薇の生垣の中に、上半身を突っ込んでいる少女を発見した。

ギルベルトは眉間にしわを寄せた。

薔薇はとげが多い。あんな風に体を突っ込んでは、肌が傷だらけになってしまう。


ギルベルトが近づいて来るのにも気づかずに、少女は何事かを叫んでいる。


「ヒルデお兄様! ほら、こんなところに居たら駄目ですわ。早く出て来てください。ご本ならお部屋で読めばいいのですわ、もう――」


声や叫ぶ内容により、少女が誰かを察してしまったギルベルトは、額を押さえながら言った。


「よろしければ、そこをどいてください。俺が代わりますから――アポロニア嬢」


すると、少女は生垣から頭を出し、黄色の瞳でこちらを見た。

自慢の赤色の巻き毛は少し乱れ、顔や手が薄い引っかき傷だらけである。


彼女はアポロニア・アードルング公爵令嬢である。


アポロニアは一瞬顔をひきつらせた後、何事もなかったかのように優雅なカーテシーをした。


「お久しぶりですわ、ギルベルト様。兄がいつもお世話になっております」

「お久しぶりです、アポロニア嬢。お世話になっているのはこちらの方です」


それだけ言うと、ギルベルトは薔薇の生垣に上半身を突っ込んだ。


「ヒルデさん、ヒルデベルトさん。妹さんが困っていますよ、早く出てきてください」


ギルベルトの呼びかけに、小さな人影が起き上がって、生垣から出てきた。


「言われなくても、出るって。もう、読み終わったんだから」


そう言って辞書のようにぶ厚い魔術書を顔の前で振ると、少年はにこりと笑った。


黒いまっすぐな髪に、アポロニアと同じ知性を感じさせる黄色の瞳の、十三歳くらいに見える少年である。

黒くてだぶついた古いローブを着ている。

端正な顔立ちをしているが、薔薇のとげによってできた数々の擦り傷と盛大な寝癖が台無しにしている。


彼の名はヒルデベルト。

アポロニアの兄であり、アードルング家の次男である。

幼げな顔立ちの上に、きちんと立っても背丈がアポロニアほどしかないので、もう十九歳にもなるとは一見して誰も気づけない。


「ヒルデさん、本は室内で読む物です。生垣の中で読む物ではありません」

「えー、通行の邪魔にならないように、ここを選んだのに」

「通行の邪魔にならない代わりに、ひどい不審者ですよ。ヒルデさんは立派な研究室をもらっているじゃないですか」


ヒルデベルトは天才である。

国一番の難関である宮廷学校には、年齢が十六歳以上でない限り入学受験ができない決まりがあるが、ヒルデベルトは才能が卓越しすぎていたため、特例で九歳の時点で受験が認められる。

あっさり一発合格。


さらに飛び級を重ね、学園長から「いい加減卒業してくれ。そして教師になれ」と無理やり卒業させられ、同時に教師に就任させられる。

当時のヒルデベルト、十三歳である。

現在では十九歳の若さで宮廷魔術師筆頭と教授を兼業する、一般人から見れば助走をつけて殴りたくなるレベルの天才である。


だが、学園長がヒルデベルトのために確保した大講堂は、全く機能していない。


何故ならヒルデベルトの授業が難しすぎるうえ、彼自身、教えるのが壊滅的に下手だからだ。

そもそも宮廷学校の学生は、選り抜きの優等生ばかり。

エリート意識を持つ彼らが、若いヒルデベルトに授業を教えられ、あまつさえそれが理解できないなど、屈辱でしかない。


そういうわけで、ヒルデベルトの授業を受講している生徒は現在ゼロ人である。

だが、ヒルデベルトは落ち込まない。

授業時間は勝手に一人で魔術の研究しているし、特別に与えられた小さな研究室を、家族や客人に邪魔されない自分の個室として堪能している。


学園長の尽力は、まったく意図しないところでヒルデベルトの魔術研究に貢献しているという。


「ギル君。君、僕の研究室と図書室の位置が把握できてる?」

「はい、一応」


ギルベルトは脳内に地図を浮かべた。

宮廷学校は宮廷の隣に位置するが、宮廷学校図書室は宮廷から見て反対側に位置している。

必然的に学生は宮廷の塀をぐるりと回って図書室に向かわなければならないため、学生にとっては不便だが、その位置取りだと宮廷に勤める文化人がすぐに図書室に向かうことができる。


「そう。図書室から学校に向かうのは、あまりにも距離が開きすぎる。宮廷の敷地に侵入してショートカットをするとしても、そこまでの距離を、借りた本を読むのを我慢して歩くのはつらすぎる。お分かりかな」

「分かりません」


ヒルデベルトは、天才と何とかは紙一重を体現する馬鹿であった。


「……ヒルデさん。本のことはいいとしても、これから殿下とお約束の時間ですよ。もし本を読み切れなかったら、どうするつもりだったんですか」

「あ」

「待ってくださいまし!?」


アポロニアが悲鳴を上げた。


「今日が王太子殿下とお話する日でしたの? 何をしてらっしゃるの! 本を読むのが止められないなら、せめてお約束の前の日からは図書室に行くなって、わたくしは何度も――」

「ごめん、ごめんってニア。忘れてたんだ」

「忘れないでくださいまし!」


アポロニアは半泣きでヒルデベルトの背中をべしべしと叩く。結構痛そうだ。

ギルベルトは苦笑しながらヒルデベルトの腕をつかんだ。


「アポロニア嬢。ヒルデさんは俺が責任をもって連れて行きますから、安心してください」


その言葉に、ようやくアポロニアはほっとしたように微笑んだ。

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