第27話「私も入れてもらえるかな」


 車が駅に到着し、ライリーにエスコートされて降りる。

 そして目の前に建つ大きな駅に息を呑む。

 駅にはひっきりなしに人が行き来し、老若男女問わずに利用していることに驚く。


(本当に誰でも使えるのね。そしてそれが皆に浸透している……すごいわ)


 誰もが戸惑う様子もなく駅を利用している。それだけ列車が人々の暮らしに根付いている証拠だ。

 列車は人々になくてはならない交通手段の一つになっている。


 それは列車が便利だというのもあるだろうけれど、列車をすべての人が利用できるように取り計らったアデルバートの先見の明があればこそ。

 そうした政策を施した結果、誰でも気軽に遠出ができるようになり、人々の暮らしが豊かになったのだ。


 キャロルは改めてアデルバートの優秀さを再確認した。


「キャロル、行くぞ?」

「あ、はい!」


 ライリーに促され、ハッとする。

 そうだ、こんなところで立ち止まっていたら迷惑だ。


 それにライリーはこの国の英雄。そんな彼がいることが知られたらたちまち騒ぎになってしまうだろう。

 そうならないために人目につきにくい場所で車を降り、軍関係者のみが使用できる通路で駅のホームに向かうを使うことになっているのだ。


「ごめんなさい、駅に驚いてしまって……」

「気にする必要はないさ。初めてこの駅を見た人は大抵同じ反応をする」


 やはりそうなのか、とキャロルは内心で頷く。

 この駅ほど大きな駅は他国でもあまりないだろう。


 駅の構内を進み、一般のホームとは別のホームに出る。そこに停まっていたのは軍が保有する列車だ。

 通常の列車すら見たことのないキャロルだが、想像していたのは黒の機関車だった。だが、ホームに停まっていたのはライリーの着る紅蓮の軍服と同じ色をした機関車だった。


 インフォーリア王国の国旗は深紅だ。だから、軍もそれと同じ紅色で統一していると聞いてはいた。しかし、まさか機関車までも統一しているとは思わなかった。


「この列車は王族の方が使われることを想定して造られた物なので、色も特別に深紅になっています。ほとんどライリー殿下専用みたいなものですね。通常の軍用列車はこれほど派手ではありません」


 ぽかんと列車を見ていたキャロルを見たからか、そっと少し後ろを歩いていたベンが補足するようにそう囁く。


 それになるほど、とキャロルは頷く。

 王族専用ならば特殊な色にしたのも頷ける。国の色にすることによって、それが特別な列車であることは一目瞭然になる。王族が各地を巡る際のアピールにもなるだろうし、なによりも列車のアピールになる。


 キャロルはライリーと共に列車に乗り込む。

 王族専用と言っていただけあって、中はそれなりに心地よく過ごせそうな造りになっていた。

 椅子の座り心地も悪くない。普通の列車は長く乗ると疲れてしまうと聞いたけれど、このクッションなら大丈夫そうだ。


 向かい合わせの座席にキャロルとライリーは向かい合わせで座り、列車が出発するのを待つ。

 ホームの方ではベンが指示をしている様子が見えた。キャロルの身の回りの世話をするためについてきたエフィがベンになにか話しかけている様子をぼんやりと眺めた。


 こうして遠出するなんて、夢のようだった。

 不運なキャロルが遠出をしたのは、インフォーリア王国に来るときの一度きりだ。

 こんなふうに遠出できるのは、ライリーの強運があればこそだ。おそらくキャロル一人では遠出の許可はこの国でも出なかっただろう。


「今回は二か三駅くらい停まって、街の様子を見回ることになっている。そのときはキャロルも一緒についてきてほしい」

「了解いたしました。とても楽しみです」

「うん、楽しみにしていてくれ。私もキャロルに楽しんでもらえるように案内をしよう。……と言っても、私も初めて回るところが多くて、実際に案内してくれるのは別の人なんだが」

「まあ」


 茶目っ気たっぷりにそう言ったライリーに、キャロルはくすくすと笑う。


「……まあ、初めて同士、一緒に楽しもう」


 少し罰の悪そうに笑ったライリーに、キャロルは「はい」と頷いた。




         ☆




 

 それからいくつか街に降りた。

 そして実感したのは、ライリーの人気の高さだった。


 軍服が紅蓮色で派手なのももちろんあるだろうけれど、それ以上にライリーの顔は多くの国民に知られているようだ。

 ライリーに応援を送る声や黄色い悲鳴が彼の行く場所場所で沸き起こる。


 また、子どもにも人気なようだ。たびたび子どもに囲まれてはその相手を律儀にしている。そんなところも、ライリーの好感度が高い一因なのだろう。


「王子さま! おれ、大きくなったら王子さまみたいに強くなって、みんなを守りたいんだ! だから軍人になる!」


 そんなふうにキラキラした目でライリーに話しかける子どもの多いことか。ライリーは英雄として人気が高いというなによりの証拠だろう。


 そして、そんなふうに話しかけられるたびに、ライリーは少しだけ困った顔をしたあと、「そうか、それは楽しみだな」と微笑む。


「幼い子どもに『軍人になりたい』と言われるのは複雑だなあ……」


 ライリーは子どもたちの輪から離れたあと、そんなふうに呟いた。

 軍人になるということは戦に出るということ。それは命をかける行為に他ならない。

 この国はまだ平和とは言い難い状況下にある。いつまた隣国が攻めてくるかもわからない。そうならないようにアデルバートが動いているわけだけれど、それもいつまでもつか。


 そんな中で軍人に憧れを抱く幼い子どもたち──国や家族を守りたいという志は立派で、とても誇らしい。そう思う一方で、軍人は綺麗事ばかりでやっていけるような仕事でもないことを知っているライリーとしては、複雑な心境なのだと言う。


 ライリーと一緒に街を歩くのは楽しい反面、とても緊張する。

 ライリーは人気者だから、当然隣を歩くキャロルにも注目が集まる。

 注目されること自体には慣れている。しかし、キャロルが変な行動をしたり、その不運さを発揮して民からのライリーの評判が下がったらと考えると、自ずと緊張してしまう。


 内心ビクビクとしながらライリーと共に歩いていると、「王子さま、この人だあれ?」と無邪気に子どもが尋ねてきた。

  他の子や大人たちも気になっていたのだろう。ライリーがキャロルと婚約したことは正式には発表されていないから、知らない人も多いはずだ。


 キャロルはドキドキと胸が高鳴るのを感じた。

 背筋に力が入る。ライリーがなんて答えるのか、キャロルはそっと窺った。


「この人は、私の大切なお姫様だよ」


 そう笑顔ではっきりと答えたライリーに顔が熱くなるのを感じた。

 きっと火照ってしまっているだろう。早く平静を取り戻して、ライリーに相応しいと言われるような、ちゃんとしたお姫様を演じなくてはと言い聞かせる。


「お姫さま? 王子さま、お姫さまとけっこんするの?」

「そうだよ。この人が私のお嫁さんになってくれるんだ」

「このお姫さまが王子さまのおよめさん……」


 つぶらな瞳がキャロルを見つめる。

 なにを言われるのだろう、とにかく笑顔を浮かべないと、と少しキャロルが焦ったとき、その子はニコーッと笑顔を浮かべた。


「おにあいだね! 王子さまとお姫さま、おにあい! お姫さま、すごくきれいだし、王子さまもかっこいいもん」

「……」


 その言葉に、キャロルは胸を押さえた。

 だけどそれは嫌な苦しさではなくて、むしろ逆だった。


(……こんな小さな子の言葉に救われるなんて……)


 いや、小さな子だからこそ、だろうか。

 そこに打算などなにもない。純粋な心からの言葉だとわかるからこそ、とても安心したのだろう。


 そうだろう、とニコニコと笑顔を見せるライリーを見ながら、キャロルはその小さな子の目線に合わせるように屈み、その小さな手を握った。


「ありがとう」

「?」


 お礼を言ったキャロルにその子は不思議そうな顔をしたが、すぐにニコーッと先程と同じ笑顔を浮かべた。


 それを皮切りに、周りからも「おめでとうございます!」と声があがった。

 ライリーとキャロルはそれに笑顔で答えながら、その場をあとにした。


「……なんだか、ほっとしました……」

「なにがだ?」


 ライリーは不思議そうな顔をする。


「わたし……皆に認めてもらわなくては、ライリーに相応しいと思われるように振る舞わないと、と思っていたんです」

「そんなふうに思わなくても、キャロルはそのままで十分だと思うぞ?」

「でもわたしは不運ですから、強運なあなたに釣り合うように振る舞いだけでもちゃんとしなくては、と気負っていたのです。でも……今の皆さんの顔を見て、気負っていたものが少しだけ軽くなりました」


 そう言って笑顔をライリーに向ける。

 ライリーはそれに優しく「そうか」と返した──そのとき、突然雨が降ってきた。


「通り雨だ! 屋根のあるところに急げ!」


 そんな声が聞こえ、ライリーは背後に控えていたベンに目配せをする。


 キャロルは鳥の糞よけのために日傘をさしていたから雨に濡れることはなかったけれど、ライリーたちは違う。


 また自分の不運のせいで、とキャロルは俯く。

 先程までの少しだけ安堵した気持ちも、またどこかへ飛んで行ってしまった。


「私も入れてもらえるかな」


 ライリーにそう声をかけられてハッとする。


「え……あ、はい。もちろんです。一人用なので大きくはないのですが……」

「もちろん、構わない。少し凌げられればそれでいい。すぐに止むだろうしな」


 そう言ってライリーはキャロルの日傘に入った。

 一人用の小さな傘に二人で入っているため、いつもよりも密着した形にドキドキする。


「持ち手は私が持とう」


 キャロルよりも背の高いライリーが持ち手を持った方が、ライリーも体勢が楽だろう。

 だけど、その分手の置き場が困ってしまい、キャロルは両手を前で組む。


 ベンたちが避難した方へゆっくりと向かって歩く。

 そうしながら、キャロルは「ごめんなさい」と謝った。


「なんで謝るんだ?」

「わたしの不運のせいで、通り雨に……」

「別にキャロルが悪いわけではないだろう? それに私としては役得だから、通り雨も悪くない」

「やくとく?」


 首を傾げるキャロルにライリーは頷く。


「堂々とキャロルに触れられる口実になるからな」

「え」


 固まったキャロルにライリーはにっこりと笑う。


「相合傘というのもいいものだなあ。初めての体験だ。キャロルはいつも私に『初めて』の体験をくれるな」

「……それは……」


 ──不運と強運。キャロルとライリーでは体験してきたことが真逆なことが多い。

 だからこそ、キャロルにとっては『よくあること』であっても、ライリーにとっては『初めてのこと』であることも多々ある。その逆もまた然り。

 だから、ライリーの言葉はそっくりそのまま返せる言葉でもある。


 普通ならば嫌がることを体験しても、ライリーは笑って「初めて経験した」と言う。そんなライリーの前向きな言葉に何度救われてきただろう。

 不運な自分でもいいのだと、そう思えたのはライリーのお陰だ。


 キャロルは持ち手を握るライリーの手を握った。


「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたします。ライリーはいつもわたしに『初めて』をくれる人です。わたしはいつもあなたの言葉に救われています。本当に感謝しています」

「私は思ったことを言っているだけなんだが……キャロルの救いになれているのなら嬉しいな」


 少し戸惑った顔をしたあと、ライリーはニコリと笑う。


「……よし、そうだ。我が姫、感謝の印に私に褒美をくれないだろうか?」

「ご褒美、ですか……?」

「うん、たいしたことを求めるわけじゃない。ただ、目を閉じてくれれば」

「……まあ、そのくらいでいいのなら……」


 それでなにがご褒美になるのだろうか、とキャロルは疑問に思いながら、言われた通りに目を閉じる。

 少しして唇に柔らかいものが触れ、驚いて目を開けるとすぐ近くにライリーの顔があった。


 悪戯を成功させた子どものように笑うライリーの顔を見て、なにをされたのか理解した。


「ラッ、ライリー! こ、こんなところで……!」


 顔を赤くして怒るキャロルに、ライリーは笑う。


「『こんなところ』でなければ良かったのか?」

「そっ、それは言葉のあやです! 誰かに見られていたら……!」

「この雨で誰もいないし、後ろに控える者たちから見えないように傘の位置を調整した」

「そういう問題ではなくて!」

「いやあ、相合傘は本当にいいものだなあ」


 反省した様子もなくそう嘯くライリーにキャロルはなんて文句を言おうかと頭を働かせる。

 そのとき、自分の首に身に覚えのないネックレスがかかっていることに気づく。


「これは……」

「遅くなったが、誕生日プレゼントだ。なかなか気に入るのが見つからなくて、つい先日ようやく見つけたんだ。本当は指輪にしようと思ったんだが……それはお披露目のときに、な」

「嬉しいです……アクアマリンですね」

「そうだ、キャロルの瞳と同じ色だろう?」


 確かにネックレスのアクアマリンの色はキャロルの瞳の色に似ている。

 だけど──。


「……一つだけ、わがままを言ってもいいですか?」

「珍しいな。なんだ?」

「もし次になにか宝石をくださるのなら、そのときはアンバーがいいです」

「アンバー? なぜ?」

「だって……ライリーの瞳の色でしょう?」

「……」


 ライリーは虚をつかれた顔をした。

 そして困ったように笑う。


「……キャロルには本当に敵わないなあ」


 ライリーの言う意味がわからなくて首を傾げた。

 しかし、ライリーはキャロルのその様子に気づいているはずなのに、あえて触れずに言った。


「わかった、次はアンバーを用意しよう」

「はい」


 そう頷いたとき、光りが差した。


「雨、止みましたね」

「そうみたいだな。……これではもう相合傘はできないな……」


 しょんぼりとそう言ったライリーにキャロルはくすくすと笑う。

 ライリーはよほど相合傘が気に入ったようだ。


「また雨が降ったら入れてあげますね」


 そう言ったキャロルにライリーは大きく頷いた。

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