第26話「本当に幸せです」


「キャロル様も視察に行くことになったのですってね? バートから聞きましたわ」


 ニコニコとしながらジェシカは言う。

 キャロルは素直に「はい」と頷く。


「この機にこの国のことをより勉強させていただこうと思います」

「真面目ねえ。わたくし、キャロル様のそういうところ大好きだわ」

「ありがとうございます……?」


 褒められたのか微妙だったけれど、とりあえずキャロルはお礼を言う。

 疑問系になってしまったのは本当に誉められたのか自信がないためである。


「──でも、ね?」


 ジェシカのその一言にキャロルは背筋を伸ばす。

 はい、と頷いて真面目な顔でジェシカの言葉の続きを待つ。


「せっかくライリーと一緒に旅行に行けるのだから、もっと力を抜いてもいいのよ?」

「……え? い、いえ、旅行ではなく、これはお仕事で……」

「一緒に遠出をするのだから旅行と言えるのではなくて?」


 言われてみれば確かに、と危うく頷きそうになる。


(ち、ちがうわ。これは仕事で、遊びに行くわけではないわ。……でも、ライリーと一緒に遠出をすることには変わりないのよね……って、ちがう! これは仕事なの! そしてわたしは勉強をするのよ!)


 キャロルの頭から『旅行』の二文字が離れなくなってしまった。

 いけないと制しても、ジェシカの甘い言葉に負けそうになってしまう。


「婚前旅行なんて素敵ね。旅行に行くと、相手の知らなかった一面を見ることができたりして、とてもいい経験になるわ。わたくしもバートとの旅行では彼の意外な一面を見ることができて……ふふ、とても楽しかったわ」

「そ、そうなのですね……」


 その意外な一面とやらがどんなものかは知らないけれど、きっとアデルバートにとっては人に知られたくなかったことであること、そしてそれをネタにジェシカにからかわれているのだろうことが想像でき、キャロルは勝手にアデルバートに同情した。


 アデルバートとジェシカの関係はとても素敵なものだと思う。しかし、ジェシカがアデルバートよりも何枚も上手であるため、二人の力関係は少しだけジェシカの方が強い。


 アデルバートも癖の強い人だけど、ジェシカはそれ以上に厄介そうだと、二人のやり取りを見て感じている。


 しかしまあ、今のところキャロルはアデルバートのようにからかわれることがないので、ジェシカはキャロルにとってとても頼りになる存在であることは違いない。


「キャロル様も楽しい思い出をたくさん作っていらしてね。……この先、どうなるのかわからないのだから」


 最後のジェシカの言葉が不穏で、キャロルは戸惑った。

 今、インフォーリア王国は他国との戦はしていない。しかし、それは仮初の平和であることは誰もが知ることだ。

 いつ、隣接する国々が攻めて来てもおかしくはない。国境付近では緊張感が絶えず続いているという。


 恐らくジェシカは現状を踏まえて「いつどうなるのかわからない」と言ったのだろう。しかし、キャロルの勘がそれだけではない気がすると訴えた。


「あの……もしや、どこかの国で不審な動きが……?」


 おずおずとキャロルが尋ねると、ジェシカは「あら、不安にさせてしまったかしら」と肩を竦めた。


「キャロル様を不安にさせるつもりはなかったのだけど……安心なさって。今のところ、どの国も落ち着いているわ」

「それならよいのですが……」


 では、なぜあのような発言をしたのだろう。


(隣国以外でなにかあるのかしら……アデルバート様の調子は最近は良いようだから、それ以外の不安要素なんて思いつかないけれど……)


 ジェシカを窺って見てもニコリとするだけでなにも言わない。聞いても教えてくれる気はなさそうだ。

 考え込むキャロルをよそに、ジェシカが「ああ、そうだったわ」となにかを思い出したかのように呟いた。


「キャロル様にお伝えしておきたいことがありましたの」

「わたしに伝えたいことですか?」


 首を傾げつつ、キャロルは話を逸らされたなと思った。しかし、それを指摘するのは野暮というものだろう。


「実は、ライリーとキャロル様が視察に向かう東の砦にはわたくしの弟がおりますの」

「まあ。そうなのですね」

「ええ。姉であるわたくしが言うと自慢みたくなってしまうのですけれど、優秀な子なのですわ。でも……身内のわたくしから見ても、少し変わった子で……いい子なのですけれどねえ、こう……変に頑固というか、一途というか……有り体に申しますと、とても面倒くさい子なのです」

「そ、そうなのですか……?」


 ジェシカが面倒くさいと思うくらいだから、よほどなのだろう。嫌な予感がひしひしとする。


「キャロル様も会えばわかると思いますけれど、慣れればいい子ですし、きっとキャロル様とも打ち解けられますわ。向こうで会ったときは、弟と仲良くしてあげてくださいね」

「は、はい……」


 キャロルはそう返事をしながら、仲良くできるかしらと不安になった。


(あとでライリーにもジェシカ様の弟さんのことを聞いてみよう……)


 実の姉で、なおかつ相当面倒くさいアデルバートを夫に持つジェシカが「面倒くさい」と言い切ったのだから、相当面倒くさい人物であることは間違いない。


「あの……ジェシカ様の弟君はどういう方なのですか……?」


 恐る恐るキャロルがそう問いかけると、ジェシカは「そうねぇ……」と考え込んだ。

 そして、こう告げた。


「一言で言えば──赤いわんちゃん、かしら」




          ☆




 それからライリーに会えたのは、視察当日だった。

 ライリーは視察の手配やら、城を留守にしている間の指示に加え、常にある報告書の確認、自身が率いる部隊の訓練への参加などの業務に追われ、結局当日まで時間を取れなかったようだ。


 視察地へ向かう車中でジェシカの弟について聞いてみることにした。


「赤い犬か……まあ、確かに……?」


 ジェシカの例えを言うと、ライリーは少し首を傾げながら頷いた。

 その反応から、当たらずとも遠からず、というところなのだろう。ますますジェシカの弟がどういう人物なのか謎が深まった。


 窓の外を見ると、馬車よりも速く景色が流れる。

 キャロルの祖国フルーク王国では馬車が主流だが、インフォーリア王国では都心部に限り馬車よりも自動車の方が多く使われている。そのため、道もよく整備されており、車もあまり揺れることはない。


 軍事王国であるインフォーリア王国は、やはり技術面でもフルーク王国より進んでいると痛感する。

 自動車も一部の王侯貴族が所有しているだけではなく、庶民たちにも普及しているようだ。


 大きな街ではトラムが通っており、自動車を持たない庶民はトラムを使って街を移動することが多い。

 しかし、交通が便利なのは一部の都市のみであり、大多数の街や村では今も舗装されていない道が多く、またトラムも通っていないのだとか。

 交通インフラを地方まで整えていくのが今後の課題だと、アデルバートが常々口にしているらしい。


「ジェシカの弟──ケイレブは良い奴だ。それは間違いないんだが……まあ、会えばわかるさ」

「そ、そうですか……」


 困った顔をしながらケイレブを「良い奴」と評したライリーにキャロルは不安を抱いた。

 ライリーでさえもはっきりしない評価になるジェシカの弟はいったいどのような人なのだろう。


 彼に会うのが楽しみなような、怖いような複雑な気持ちになったので、キャロルはとりあえず話題を変えることにした。


「視察先である東の砦には列車で行くのですよね?」

「ああ。さすがに民に混じって通常の列車に乗るわけにはいかないから、軍用の列車を使用する」

「わたし、列車に乗るのは初めてです。いつか乗ってみたいと思っていたのが叶えられて嬉しいです」

「そうだったのか。それは良かった」

 

 不運体質であるキャロルはこうして自動車に乗るのでさえ、インフォーリア王国に来て初めてだった。

 こちらに来てからはなにもかもが新鮮で、毎日が忙しない。祖国にいた頃はゆったりと過ごしていたのがとても懐かしく思う。


 だけど、この忙しなさはキャロルにとって嫌なものではなかった。むしろ、とても好ましい。

 なにをするにも話には聞いていたけれど、実際には初めての体験であることばかり。とても刺激的で、毎日が充実している。


「こちらの国に来て、たくさんの体験をさせてもらえて本当に幸せです」


 心からそう思い、キャロルはそう口にした。

 ライリーはそれに目を見開いたあと、嬉しそうに目を細め、「それなら良かった」と呟いた。

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