第21話「とっても可愛い人でしょう?」⑦


「私は君を王妃にすると、約束できない」


 ジェシカに跪きながら、アデルバートは言う。


「必ず幸せにすると約束できない。これは君の未来を縛り付ける呪いなるだろう。それでも、私は君に乞い願う。

 ──どうか私の妃(つま)になってほしい」


 なんて男だと思った。

 なにひとつ与えられないくせに、ジェシカの未来をほしいと言う。

 断られることなんて傍から考えてもいない。傲慢以外のなにものでもない。

 そのくせに、命令ではなく『お願い』するのだ。

 自分の意思でこの手を取れ、と。


 狡い人だ。婚姻なんて、ジェシカの意志など関係なく勝手にまとめてしまえばいい。

 それなのに、わざわざジェシカに許しを乞う。


 自分勝手で、ジェシカのことなんてこれっぽっちも考えていないプロポーズ。

 ああ、なんて我儘で──繊細な人なのだろう。


「……そのお話、お受けいたします」


 もともと断るなんて選択肢は存在していない。

 ジェシカの言葉に微かにホッとした様子の彼を、冷めた目で見つめる。

 あまりジェシカを舐めないでほしい。


「けれど──条件があるわ」

「……条件?」


 警戒したような目を向けるアデルバートにジェシカは微笑む。


「ええ。たいしたことではないわ。あなたがわたくしの夫になるのであれば、これだけは守っていただきたいの」

「それは?」


 話を聞く気はあるらしい。

 馬鹿らしいと一蹴される可能性も考えていたけれど、それは杞憂に終わったようだ。まあ、ジェシカに『お願い』をしてしまった以上、話くらいは聞かざるを得ないと思ったのだろうけれど。


「簡単なことよ。──どうかわたくしに、嘘はつかないで」

「……」


 アデルバートの眉間に皺がよる。

 それに構わずジェシカは続けた。


「あなたの強いところも弱いところも、わたくしは知っている。だから、わたくしには気を張らないで。強がらないでほしいの」

「ジェシカ……」

「それからもうひとつ」


 まだあるのかと、アデルバートの眉が動く。

 だが、これこそがジェシカが最も重要視していることだ。


「──わたくしを愛して」

「……」


 アデルバートに愛してほしい。

 弟(ライリー)に向けるその愛情の欠片でもいいから、その想いをジェシカに向けてほしい。


 ジェシカに婚姻の同意を得ることなんて簡単なのだ。

 なぜなら──ジェシカはとっくに彼に惹かれていたのだから。


 アデルバートから「君を愛している。だから結婚してくれ」と言われれば、それがたとえ嘘であったとしても、条件なんてつけずに喜んで受け入れた。

 なのにそれをしなかったのは、アデルバートの不器用な優しさ……いや、彼なりの誠実さを示すためだろう。


 アデルバートは難しい顔をして視線を逸らした。

 不器用な彼のことだから、できないことに頷けないのだろう。しかし、頷かなければジェシカから婚姻の了承を得られない。

 ジェシカの了承なんてあってないようなものだけれど、生真面目なアデルバートはそうは考えない。


 これはちょっとした意地悪だ。

 突然、婚約者になる男の寿命のことを聞かされ、考える間もなくプロポーズしてきた彼への、ささやかな意趣返し。これくらいしてもきっと罰は当たらないだろう。


 身動き一つせずに悩んでいる様子のアデルバートに気が良くなったジェシカは、二つ目の条件はただの冗談だと口を開きかけたとき、アデルバートと目があった。


「……私は素直じゃないんだ」

「え? え、ええ……そう、ね?」


 そんなことは初めて出会ったときから知っている。

 戸惑いながら頷くと、アデルバートの眉間の皺がさらに深くなった。

 それを見ながら、この人の眉間の皺はいつか取れなくなってしまうのではないかしら、とジェシカは現実逃避のように思った。


 ジェシカには、アデルバートがなにを言おうとしているのか、まったくわからない。


「それに、この通り病弱でいつまで生きられるかもわからないし、君を抱き上げることだって叶わない」


 それはそうだろう。よく熱を出して寝込む彼は、幼い頃から運動を禁じられていたと聞いた。

 剣術や馬術の指導だって、ほんとんど受けられず、基礎だってまともに身についていないくらいなのだから。


「こんな……こんな面倒で情けない男に愛されても仕方ないだろう? 君はとても魅力的な人だ。本来ならば私なんかの妻になるべき人じゃない。君には……そうだな……ライリーのような男がお似合いだと思う」


 そう皮肉げに笑ったアデルバートに、ジェシカは反論しようと口を開く前に、アデルバートがなんとか聞き取れるくらいの音量で言った。


「だが……君を誰かに取られるのだけは、嫌だった」


 アデルバートのその台詞に、ジェシカは目を見開く。


(わたくしを取られるのが嫌だった……?)


「もう一度言うが、私は素直じゃないんだ。二度目は期待しないで聞いてほしい。……私は君が──ジェシカが好きだ。八年前、弟と楽しそうに笑い合う君の笑顔がずっと忘れられなかった。だから私と結婚してほしい」


 拗ねたように、少し顔を赤くして──けれど、目だけは逸らさないで、アデルバートは言う。

 思いがけないアデルバートの言葉に、咄嗟に言葉が出なかった。


 なにか言わなくてはと思うのに、声にならない。

 代わりに出たのは、涙だった。


「そ、そんなに嫌だったか……?」


 慌てた様子のアデルバートがおかしくて、でもそれ以上にジェシカの胸は喜びでいっぱいだった。

 涙を拭いながら、首を横に振って微笑む。


「……そこはハンカチをそっと差し出すところよ」

「そ、そうか……そうだな」


 動揺していたからか、やけに素直にアデルバートはハンカチを差し出す。

 それを受け取りながら、ジェシカは涙で潤んだ瞼を押さえる。


「……それで、答えを聞かせてもらえるだろうか」


 少し緊張した面持ちで言うアデルバートに、ジェシカは応える。


「わたくし、好きな人がおりますの」

「そ、そうか……」


 微かに肩を落とすアデルバートにジェシカはくすりと笑う。


「その方は幼い頃から体が弱くて」

「……」


 アデルバートはハッとした顔をする。

 ジェシカは彼の様子に気づかないフリをしながら続けた。


「口が悪くて、基本的に根が暗くて、生真面目で融通が利かなくて」

「…………」


 徐々にアデルバートの顔が不機嫌になっていく。

 ……いや、不機嫌というよりも、拗ねている、と言った方がいいかもしれない。


「正義感が強くて、とっても照れ屋で、弟が大好きなとても面倒くさい方ですの」

「……そうか」


 完全に不貞腐れた顔をしているアデルバートを見て、少しいじめ過ぎたかもしれないとジェシカは思った。思っただけで、反省はまったくしていないけれど。


「でも──そんなところを含めて、とても可愛らしい、愛すべきわたくしの一番好きな人なの」

「……」

「だから、わたくしはあなたと──アデルバートと結婚するわ。あなたと一緒にいられることが、わたくしの一番の喜びなのよ」


 アデルバートはジェシカの言葉に目を見開き、慌てて俯く。恐らく泣きそうになったのだろう。彼は意外と泣き虫だから。


 顔を上げたときにはいつものアデルバートの顔──ではなく、目元と頬を赤くして、そして今まで見た中で一番素敵な笑顔を浮かべていた。


「……ありがとう、こんな私を選んでくれて」


 傍からみれば、アデルバートの顔は情けなく見えるのかもしれない。

 けれど、ジェシカにとっては最高の笑顔だった。そもそも、アデルバートが打算なしに笑顔になること自体が稀有なのだ。


 ジェシカはこのときのアデルバートの顔を、絶対に忘れまいと誓った。

 この笑顔は、ジェシカにだけ許してくれた特別なもの──だから、忘れないように、いつでも思い出せるように、目に焼き付けた。


 この思い出があれば、彼がいなくなったあとも生きていけるはずだから。

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