第20話「とっても可愛い人でしょう?」⑥


 アデルバートとの婚約の話は上手く進んでいるようで、アデルバートからの手紙には「もうすぐまとまるだろう」と書かれていた。


 あれからアデルバートはジェシカに数日置きに手紙と花束を送ってくるようになった。

 どうやら、「第一王子はサンダース公爵のご令嬢にご執心のようだ」という噂を根付けさせたいようだ。


 今思えばあの夜会のときにジェシカをダンスに誘ったのも、この噂の真実味をより帯させるための布石だったのだろう。


「あなたはどこまで考えて行動していらっしゃるの?」


 半月ぶりに会ったアデルバートにそう問いかけると、彼は優雅にティーカップを持ちながらフンと笑う。


「私は最善だと思う手を打っただけだ。チェスみたいなものだな」

「チェス……あぁ、そういえば、前にライリーがよくあなたとチェスをしているという話を伺ったわ」

「……そんなこともあったな……とにかく、打てる手はすべて打つ、ただそれだけのこと。現に、あのときダンスを踊っていたからこそ、サンダース公も君との婚約を前向きに考えてくださっているのだからな」


 確かにアデルバートの言う通りだった。

 アデルバートから婚約の申し出があったとき、父は「あぁ……やはりそういうことだったのか……」と呟いていたので、あのダンスの印象は相当強かったのだろう。


「そういえば、君の弟──ケイレブも軍事学校に入るのだとか?」

「ええ。ライリーが軍事学校にいると知って、反対する父を押し切って入学手続きを進めているそうですわ。なんでも『ライリー様は僕がお守りしなければ!』とすごく張り切っているようで……」


 とはいえ、弟が入学できるのは来年になる。軍事学校へ入学する年齢にまだ弟は達していないのだ。


「それは心強いな」

「そうかしら……」

「そうだとも。味方がいるのといないのでは、気持ちが違う」

「それならいいのですけれど……」


 はっきり言って、弟は身内から見ても癖の強い性格をしている。優秀には優秀なのだが、それ以上に面倒くさい性格をしており、そんな弟に付きまとわれるライリーのことを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 そして、ふと思った。


「学校でライリーはどんなふうに過ごしているのかしら……」

「軍事学校は規則が厳しい。軍と同じように、起床から就寝まできっちりと管理されているようだ。自由時間もあるようだが……限られた日の限られた時間だけだと聞く。弟はあの性格だから、周りから多少遠巻きにされながらもなんとか上手くやっているらしい」

「そう……それならよかった」


 話を聞いてホッとするのと同時に、学校に入ったライリーの状況を把握しているアデルバートに対し、さすがと感心するべきなのか、それとも呆れるべきなのか悩んでしまう。


「……ジェシカ、君に言わなくてはならないことがある」


 アデルバートはいろいろ悩んだ末、今の段階では名前呼びをすることにしたらしい。

 だからジェシカも、アデルバートのことは『殿下』か『アデルバート様』と呼んでいる。


 もっとも、口調は互いに砕けたものになってきているから、彼が愛称で呼んでくれる日も遠くないだろう。

 ジェシカはそれを楽しみにしていた。


「なんでしょう?」


 改まった様子で話し出したアデルバートにジェシカは首を傾げる。

 彼とこうして親しくするようになってから二ヶ月近く経つ。共に過ごす時間が増えるに連れ、ジェシカはアデルバートの人なりを徐々に理解している自負がある。


 アデルバートはプライドが高い。それゆえに、人に弱みを見せることを嫌う。それに加えてひねくれたところがあるせいで、面倒くさいことも多い。


 だけど、彼はどこまでも真っ直ぐだった。プライドは高いけれど、自分に非があればきちんと謝罪し、その意見を受け入れることができる。


 だからなのか、彼を慕う者は結構多い。しかし、ひねくれているアデルバートは自分は嫌われ者だと思い込んでいて、そのことにまったく気づいていない。


 その他にも、意外と泣き虫であるとか(少し前に彼を訪れたとき、ジェシカを待っている間に読んでいた伝記に泣いていた)、照れ屋で口が悪いだとか、素直ではないとか、アデルバートの欠点をあげればキリがない。


 しかし、ジェシカはそんなアデルバートがとても可愛らしく思えるのだ。

 自分よりも二つ年上の彼がとても愛しい。


 大好きな弟の名前をあえて呼ばないでいること(どうやら願掛けらしい)や、ジェシカがからかうと狼狽えるところとか、とても可愛い思う。

 しかし、これを口にしたらプライドの高い彼は傷ついていじけそうなので、口にしないように心がけていた。


「…実は、私は…………くっ……!」


 なにかを言いかけたアデルバートは突然、胸を押さえた。

 突然のアデルバートの変調にジェシカは驚き、慌てて彼の傍に駆け寄る。


「殿下……! どうなさいました?」


 話しかけてもアデルバートは苦しげな声を漏らすばかりだった。

 ただごとではないと思ったジェシカは医者を呼んでほしいと頼もうとしたが、今日もアデルバートは人払いをしていて、ジェシカのメイドやアデルバートの護衛は隣の部屋と、部屋の前に控えていることを思い出す。


「お待ちになっていて、今お医者様を呼んでくるわ!」


 とりあえず部屋の前にいる護衛に頼むために歩きだそうとしたジェシカの手首をアデルバートが掴む。


「……い、い……医者は、呼ぶ……な……」

「殿下……? なぜ……?」

「この程度……なら、慣れ、て、いる……しばらくすれば、おさ、まる……」


 そうは言っても、とても苦しそうで見ていられない。とりあえず、横になった方が楽になるだろうと、彼が横になれそうなところを探すと、お茶の用意がされたテーブルとは別のところに、大きなソファがあった。

 そこならなんとか横になれるだろうと、ジェシカはアデルバートに話しかける。


「少し先に大きめのソファがあります。そちらに移動できそうですか? わたくしも手伝いますので」


 アデルバートは微かに頷き、よろよろと立ち上がる。それをジェシカは支え、ゆっくりとソファに向かう。

 ソファにアデルバートを横にさせ、締めていたタイを緩めた。


 十分ほどでアデルバートの症状は落ち着いたようで、体を起こした。


「……見苦しいところを見せてすまなかったな」

「いえ……あの……」


 ──今の症状はいったいなに?


 そう聞こうとしたが、医者を呼ぶのを拒んだくらいだから、ジェシカに話してくれるとは思えず、その疑問を呑み込んだ。


 しかし、アデルバートは自嘲の笑みを浮かべて自ら話し出した。


「これは『発作』だ。普段は薬で抑えているが、たまに今のような小さなものが起こる」

「発作……?」

「君は私が病弱であることは知っているだろう。私は生まれつき心臓が弱いんだ」


 アデルバートの告白にジェシカは目を見開く。

 病弱であることは確かに聞いていた。だけど、それは風邪を引きやすいというような、もっと軽い症状が出やすいというだけのことだと思っていたのだ。


「君にはもっと前に言うべきだった。ジェシカ、私はもう、あまり長くは生きられない」

「…………え?」


 冗談かと思った。

 しかし、アデルバートの表情は先ほどまで見せていた自嘲の笑みは消え、凪いでいた。

 その表情を見て、アデルバートの言っていることは本当なのだと、ジェシカは悟った。


「医者の話だと、二十歳まで生きられるかどうかというところらしい。私は今十八だから、あと二年弱くらいか……」


 そう言ったアデルバートの言葉は淡々としていた。

 嘆くわけでも絶望するわけでもなく、ただその事実を受け止めているというのが、アデルバートの口調から読み取れる。


 だけど、ジェシカにはそれがひどく悲しく感じた。


「だからそれまでに、弟が憂いなく王になれるように準備を進めなくてはならない。サンダース公のご助力があればそれに従う者も多いだろう。すべてはこの国のため、そして弟のため──なにより、父への復讐のため」

「復讐……?」

「君も知っているだろう。陛下は弟を疎み、遠ざけようとしているどころか、その命さえ狙っている。なぜ、実の子である弟をそこまで憎むか、わかるか?」


 ジェシカが首を横に振ると、アデルバートは皮肉げに笑った。


「──すべては亡き母への妄執だ」

「ローザ様への……?」

「父は母を深く愛していた。その母を喪い、父の妄執の矛先が私へ向かった。なにしろ、私は母によく似ているそうだからな。父はどうしても私に跡を継いで欲しいらしい。──私の寿命はそこまで長く保たないというのに」

「殿下……」

「……私の寿命のことは父も知らない。知っているのは私の担当医と、君だけだ。父の心は母を亡くした時点でほとんど壊れてしまっている。今は母によく似た私がいるから、なんとかなっているだけで、私が死ねば国王の座に就いてはいられなくなるだろう。そして、それこそが私の狙いであり、八つ当たりのように弟を憎んだ父への復讐になる」


 いずれはサンダース公にもお話しなければならないな、と淡々とアデルバートは口にする。


「どうして、わたくしにそのような重大なことを……?」

「婚約をするに当たって、事前に知っていた方が君のためになると思ったからだ。私が死んだあと、君は私に遠慮することなく、幸せを掴むといい」


 そう言ったあと、アデルバートはジェシカの前に膝をつけた。

 突然のアデルバートの行動にジェシカは目を見開いた。


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