第6話「きっと一生ライリーには敵わないと思います」



 翌日、起きてライリーに会ったとき、キャロルは自分が昨日のような体たらくにならないことにほっとした。

 今日の朝食はキャロルとライリーだけだった。きっと父たちはなにか用事があるのか──はたまたはなにか勘違いをしていて、わざと時間をずらしているのだろう。


「ライリー殿下、そちらの国では──」

「姫」


 ライリーの国であるインフォーリア王国の風土について聞こうと口を開いたが、ライリーによって妨げられる。

 そのことを不思議に思いながら「はい」と返事をすると、彼はにっこりと笑った。

 いつも通りの笑顔だ。しかし、なぜかキャロルはそれを見て悪寒がした。


「昨日、約束をしただろう? 私のことはライリーと呼ぶように、と」

「え」


 そんな約束しただろうか。

 ……いや、そう言われてみれば、なにか約束をした記憶がある。その約束がなんだったのかが思い出せないから、あとで聞こうと思ってすっかり忘れていた。


「仮にも姫と私は婚約者なのだから、敬称は不要だと思う。それに、私たちは同い年なのだし」

「そ、そうですけれど……でも」

「昨日、確かに姫は『とてもいいと思います』と言ってくれたと思ったのだが、それは私の記憶違いだったのかな?」

「う……」


 そんなことを言った気がする。

 適当に返事をしていたので、確かなことではないが。


「それとも……姫は私のことが嫌いなのか?」


 悲しげに視線を落としたライリーに、キャロルははしたなく大きな声を出した。


「いいえ! 決してそのようなことはございません!」


 思っていたよりも大きな声に自分で驚く。

 そして、それはライリーも同様だったようだ。大きく目を見開いてキャロルを見つめ、すぐに嬉しそうに笑う。


「では、ライリーと呼んでいただけるのだな?」


 その言葉に、キャロルはライリーの策略に嵌ったのだと悟る。

 否定した以上、ライリーの望むように呼ばざるを得ない。きっと口では彼に勝てないだろうから。


「……わかりました。では、あなたもわたしのことはキャロルとお呼びください」


 せめてもの反撃としてそう言ったのに、ライリーは嬉しそうに頷く。


「もちろんだ、キャロル」


 にっこりと、照れもせずに言うライリーに負けた気分になる。


「……わたし、きっと一生ライリーには敵わないと思います」


 恨めしい目をしてライリーを見つめたのに、彼はいつもの爽やかな笑みを浮かべて「そんなことないさ」と言う。


 彼と初めて会ったとき、キャロルの気持ちが変わらなければ婚約を解消してもいい、と言った。

 しかし今のキャロルには、なし崩しでこのままライリーと婚約し、そのまま結婚しそうな未来が見える。


 そして悔しいことに──それも悪くないと思っている自分がいるのだ。

 なぜなら、ライリーと一緒にいるのは楽しいから。


 彼と一緒にいるようになってから、よく笑うようになったと思う。

 それは周りも同じように感じているようで、エフィから「最近、姫様の雰囲気が柔らかくなられたのは、ライリー殿下のお陰ですね」とニコニコとして言われた。


 まだ出会ってからたった数日。それなのに、こんなにも彼の影響を受けている自分が信じられない。

 しかし、そんな自分がキャロルは嫌いではない。むしろ、以前よりも自分が好きになった気がする。


「キャロル、実は近いうちにアルフィ殿に街の方を案内していただけることになっている」

「まあ、お兄様に?」

「うん、それで、よければキャロルも一緒にどうかと思うんだが……」


 遠慮がちに言ったライリーにキャロルは少し悩んだ。自分の不運さを考えれば、行くべきではない。

 けれど──。


「……ぜひ、わたしもご一緒させてください」


 にこりと微笑んで言ったキャロルにライリーは目を見開く。


「誘っておいてなんだが……いいのか?」

「はい。街の方へはわたしも以前から行ってみたかったですし、なにより──ライリーの強運があれば、わたしの不運の頻度もぐんと下がりますから」


 それはここ数日一緒にいて実感し、昨日の外出で確信に変わったことだった。

 外出の最後は川に落ちてしまったけれど、それ以外の不運は本当にささやかなものだったし、なによりもその回数が明らかに減っていた。

 これはきっと、ライリーが傍にいたからに違いない。だから、街へ出ても大したことにはならないだろう、とキャロルにしては楽観的に考えた。

 こういうところも、きっとライリーの影響を受けているのだろう。


「確かに、キャロルがいると私の運の良さも弱まっている気がするな……相殺されているのだろうか」

「恐らくそうなのでしょう。わたしたち、二人揃ってようやく人並みの運になれるのでないでしょうか」

「なるほど」


 面白そうにライリーは笑い、「ではそのようにアルフィ殿にもお伝えしよう」と言う。


「お兄様とお出かけなんて久しぶりだわ」


 小さく呟いたキャロルの言葉をライリーは耳ざとく聞きつけ、「そうなのか?」と首を傾げる。


「キャロルのご家族は仲が良いようだから、外出も一緒にすることが多いのだと思っていた」

「家族の仲が良いのは否定しませんけれど、外出を一緒にすることは滅多にありませんわ。わたしが幼い頃はよくお兄様と外出をしましたけれど、お兄様が成人されてからはさっぱりです」


 キャロルの不運さは年を重ねるごとに頻度が増えていったため、キャロルの外出自体が危ぶまれるようになったのも原因のひとつだ。


「一緒に外出はしない代わりに、お兄様にはよくチェスのお相手をしていただきました」


 チェスには運が必要な要素はない。頭を使って知略を張り巡らせれば勝てる遊戯だ。

 頭の運動にもなるからと、兄は笑って相手をしてくれた。しかし、手加減は一切してもらえず、小さい頃は手も足も出ずに悔しいとよく泣いた。


 今からしてみれば、なんて大人気ない兄なのだろうかと思わなくもないが、兄は優しい顔をして大の負けず嫌いなのだ。たとえ五歳離れた妹であろうと、負けたくはなかったのだろう。


 そのお陰で、今では兄とチェスをすれば五分五分で勝てる程度の腕前になった。負けたときの兄の悔しそうな顔を見ると胸がスッとして気分がいい。


「キャロルはチェスが得意なのだな」

「得意というほどではありませんけれど……チェスは好きです」

「そうか。では、チェスのお相手をしていただいても?」

「まあ」


 いたずらっ子のような目をして言ったライリーにキャロルはくすりと笑ったあと、勝ち気な顔をしてみせた。


「受けてたちますわ」

「どうかお手柔らかに」


 笑いながらそうライリーが言い、くすくすとキャロルは笑いながらチェスの用意をするようにエフィに頼んだ。


 場所を別の日当たりの良い部屋に移し、キャロルは意気揚々とライリーに向かい合った。

 手加減する気は一切なかった。兄ほどではないけれど、キャロルもまた負けず嫌いなのだ。


「──チェックメイト」


 軽やかにそう言ったライリーに、キャロルは項垂れた。なにか逃げ道はないかと必死に探しても、もうどうしようもない局面であるという事実を変えられるような奇跡の一手は見つからない。

 もう三戦ほどしているが、一戦もキャロルはライリーに勝てなかった。


「……参りました。お強いのですね……」

「チェスは鍛えられているからな。だけど、キャロルも随分強かった。一手でも間違えていたら私が負けていただろう」


 ライリーはそう言うが、キャロルからしてみれば、すべてライリーの手のひらの上で踊らされているように感じた。

 

「チェスは誰に教わったのですか?」

「兄からだな」

「まあ、お兄様から?」


 自分との共通点に心が踊る。

 チェスを教えるくらいだ。きっとライリーと彼の兄は仲が良いのだろう。


「お兄様と仲がよろしいのですね」

「いや? 普通ではないかなあ」


 あっさりと否定したライリーにキャロルはきょとんとする。


「……でも、チェスはお兄様から教わったのですよね?」

「うん。幼い頃はなぜかよく一緒にいたから、よく兄上とチェスをしていたな。兄上に勝つと私が負けるまで勝負をしようとしてくるんだ。それに懲りてわざと負けると、なぜかバレて『なぜ手を抜いた』と怒られるんだよ」


 懐かしむように目を細めて言ったライリーにキャロルは前のめりになる。

 こうしてライリーが自分のことを話すのは初めてだ。


「お兄様の気持ちはわかるような気がします」

「そうか? 私としては勝てば勝ったで面倒くさいし、わざと負けたらそれはそれで面倒だから、兄上に見つからないように必死に逃げ回っていたが」


 それもわかる気がする。

 必死に兄から逃げる幼いライリーの姿がありありと想像できて、キャロルはくすくすと笑う。


「ライリーはお兄様のことがお好きなのですね」


 そう言ったキャロルに対し、なぜかライリーは意外なことを言われたというような顔をした。


「……そうだな。うん、私は兄上が好きだ。まあ……兄上は私を蛇蝎のごとく嫌っておられるが」

「え」


 予想外のライリーの言葉にキャロルは固まる。

 今までの微笑ましいエピソードを聞く限り、仲の良い兄弟なのだと思っていた。それがまさか、ライリーの口から正反対の言葉が出てくるとは思ってもみなかった。


 固まったキャロルに、ライリーは苦笑いをする。


「仕方のないことなんだ。私と兄上は母親が違うし、兄上は幼い頃体が弱かった。それに対し、私は健康な子どもで運も良かった。そんな私を兄上が妬むのも無理はないだろう?」


 確かに、彼の兄の立場から考えれば、ライリーを嫌うのも無理はないことなのかもしれない。

 それにライリーは国民からの人気も高い。兄である王太子よりもライリーに王位を……という声があがっていてもおかしくはない。そんな状況で、兄弟仲良くというのも無理な話なのかもしれない。


「それに……兄上は、根暗で無愛想で生真面目で融通が利かなくて頑固なとても面倒な人だけど」


(なぜかしら。……ライリーのお兄様に対する評価にすごく気持ちが篭っている気がする……)


 キャロルは顔が引き攣りそうになるのを必死で堪えて、真面目な顔を維持する。


「本当にすごく面倒な人だけど」


(二回言ったわ……どれだけ面倒くさい方なのかしら……)


 正直、会いたくないな、と思ってしまう。

 あのライリーが念押しして言うくらいなのだ。相当に面倒くさい人なのだろう。


「でも、すごくまっすぐな人だ。兄上は曲がったことは決してされない。だから俺は──そんな兄上を尊敬しているんだ」


 にっこりと笑ったライリーの言葉は、すべて心からのものに思えた。

 崩れた一人称も、彼の本心だからこそだろう。


「いつか……」


 ぽつりと、勝手に言葉が零れた。


「いつか、ライリーのお兄様にお会いしてみたいです」


 そう言ったキャロルに、ライリーは一瞬目を見開き、すぐに破顔した。


「きっとすぐに会えるさ。キャロルが兄上に会ったとき、どんな印象を抱くのか楽しみだ」


 わたしもです、と答えたキャロルは、ライリーと一緒に彼の兄に挨拶をする自分の姿が自然に頭に浮かんだ。

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