第5話「いろいろ、です」
湯浴みをしてサッパリし、ひと息つく。
そこでやっぱり気になるのはライリーのことだ。
キャロルは急な雨でびしょ濡れになることは慣れているが、ライリーは違うだろう。
いくら鍛えているからといって、風邪をひかないという保証はない。
落ち着かなくて、部屋の中を行ったり来たりを繰り返し、そんな自分に呆れてしまう。
(もう少しすれば晩餐になる……そうすれば殿下にお会いできるわ。そこで体調のことを聞けばいい。そんなことわかっているのに……どうして落ち着かないのかしら)
近くの椅子に座り、ため息をつく。
ライリーが来てから調子が狂いぱっなしだ。その朗らかな雰囲気からは想像できなかったけれど、彼はとても強引だ。自分の思った通りにするために、あれこれ手を尽くす。
今回の外出だって、キャロルが乗り気でなかったのにも関わらず、ほとんど強引に話を決めてしまった。
それはまったく嫌ではなかったし、結果としてキャロルは生まれて初めて外出が楽しいと思えたから感謝もしているけれど、彼に振り回されている感じは否めない。
明るくて、自信家で、人を気遣うのが上手で。
彼はキャロルに持っていないもの、ほしいと思うものを全部持っている人だ。
そんな彼の隣に並ぶと、劣等感を抱く。
でもそれと同じくらい、わくわくしている自分がいるのも確かで。
(不思議な人だわ……まるで、お日様みたい)
彼の傍にいるのは居心地がいい。
川に落ちて「楽しかった」と笑った人だ。きっとキャロルの不運な場面に出くわしても、お日様みたいに笑って手を差し伸べてくれるだろう。
だからこそ、不思議なのだ。
──そんな彼に、どうして今まで婚約者がいなかったのか。
(ライリー殿下は第二王子……兄である王太子殿下とは母親が違うとは聞いているけれど、ライリー殿下のお母様のご実家はきちんとしたお家だったはず。後ろ盾がないわけでもない……その才覚も、容姿も、血筋だって申し分ないのに、なぜ?)
あの眩しい笑顔の裏に、なにかあるのだろうか。
そう考えて、初めて会ったときのライリーの表情を思い出す。
不運なキャロルを「羨ましい」と言ったときの、ライリーの顔を。
(彼になにがあるのかしら……?)
国で英雄扱いの王子。
その輝かしい功績の裏に、なにかあるのだろうか。
☆
晩餐に行くと、元気そうなライリーの姿を見かけてほっとした。
しかし、キャロルが川に落ちたときのことが話題にのぼると、緊張して肩に力が入った。
「川に落ちたそうだな。川の水は冷たかったろう?」
父の問いかけに答えなければ、と口を開こうとする。しかし、「またキャロルの不運か」と呆れられるのが怖くて、言葉が上手く出ない。
そんなキャロルを見かねて、ライリーが助け舟を出してくれた。
「そうですね。もう少し暖かくなってから入れば気持ちよかったかもしれません」
「そうかもしれんなぁ。しかし、いったいどういう経緯で川に?」
父の視線がちらりとキャロルに向けられる。
またか、と責められているような気がして、キャロルは机の下でぎゅっと拳を握った。
「ああ……川に魚がいないかと覗き込んでいたところに突風が吹き、お恥ずかしながらバランスを崩して川に落ちてしまったのです。そのときに姫を巻き込んでしまい……軍人として情けない限りです。姫には大変申し訳ないことをしてしまいました」
すみませんでした、と謝るライリーをキャロルは驚いて見つめる。
すると、ライリーは話を合わせろと言うように頷く。
「ほう……それは不運だったなぁ」
「いえ、貴重な体験でした」
ニコッとライリーは笑ったあと、ハッとした顔をする。
「……すまない。姫にとっては災難でしかないのに」
「いえ……その……こんなふうに楽しい思いをしたのは初めてでしたから、わたしにとっても貴重な体験でした」
「そんなふうに思ってもらえて光栄だ」
そう言って笑ったライリーの顔が眩しくて、キャロルは目を細めた。
なんて優しい人なのだろう、と思う。川に落ちたのはキャロルのせいなのに、それをおくびにも出さないで、自分のせいと言う。
川に落ちて、帰ってきたときにすぐに湯に入れるように護衛の一人を先に帰らせ、準備をするように言づけを頼んだり、そもそもこの外出にしても、キャロルに楽しんでもらえるようにあちこちに聞いて周り、準備をしていたのだという。
それをこっそりエフィが教えてくれ、「姫様愛されてますねぇ」とからかわれたのもつい先ほどの話だ。
どうして彼はこんなにもキャロルに優しくしてくれるのだろう。こんな、不運な娘に。
「二人の仲が順調なようで安心した」
「ライリー殿下になら、安心してキャロルを任せられますね、父上」
「うん、そうだな。キャロルは良き婿殿を迎えられた!」
いや、そんな、と謙遜するライリーをじっと見つめていると、それに気づいた彼がキャロルを見た。そしてなにを思ったのか、おもむろに話し出す。
「陛下、少し酔いが回ったようで、夜風に当たりたいのですが……」
「うん? 飲ませ過ぎてしまったか?」
大丈夫かと問う父に、ライリーはふんわりと笑う。
「いえ、本当に少し酔っただけなので、夜風にしばらく当たっていれば治るでしょう」
「ならば良いが……」
「しかし、私は未だにこちらの城内の道筋がわからないので、よろしければキャロル姫に案内を頼みたいのですが」
ライリーの言葉にキャロルは目を見開く。
父の方を見ると、なにやらニヤニヤとした顔で「なるほどなあ」と頷いている。
「うん、それが良いな。キャロル、ライリー殿下を夜風に当たれる場所に案内してさしあげなさい」
「え、ですが、バルコニーはすぐそこに……」
案内するまでもなく、この部屋を出て突き当たりがバルコニーに繋がっている。ここに来るまでに必ず見るのだから、わからないということはないはずだ。
戸惑うキャロルをよそに、「いいから案内を」と家族総出で追い払われる。
仕方なく、キャロルはライリーを案内することにした。と、いっても歩いて一分くらいの場所だ。案内もなにもない。
しかし、こうしてライリーと二人きりになれたのは丁度よかった。ライリーにはいろいろと言いたいことがあるのだ。
キャロルは言われた通りにバルコニーへライリーと共に出た。
少しひんやりとした風が頬に当たり、食事をしたあとで少し火照った顔に心地よい。
「うーん、風が気持ちいいな」
ライリーは伸びをしてバルコニーの手すりに手を置く。キャロルはその隣に並び、ちらりと隣の人を見た。
太陽の下では輝く黄金の髪が、月明かりに照らされて白く輝いている。
しかし、温かい榛色の瞳はそのままだ。
キャロルは彼の色が好きだな、と思った。
「……ライリー殿下。ありがとうございました」
彼の顔を見て言うと、城の外へ向けられていた彼の視線がキャロルに向けられる。
ライリーはキャロルよりも頭一つ分背が高い。そんなことに、初めて気づく。
「なんのお礼かな」
「いろいろ、です」
「いろいろ?」
なにかしたかなあ、と考え込むライリーにくすりと笑う。
「わたしのためにいろいろ準備をしてくださったんでしょう? 今日訪れたあの場所も、お兄様から聞いた場所なのだとか」
「……バレていたか」
格好悪いなと苦笑したライリーに首を振る。
「とても嬉しかったです。それから先ほども、庇ってくださってありがとうございます」
「庇ったわけではないさ。私が情けなかったのも事実だからな」
そう言って笑ったライリーに、キャロルも微笑む。
そして、疑問に思っていたことを聞いた。
「……どうしてライリー殿下はわたしに優しくしてくださるの?」
「どうして、と言われてもなあ……女性に優しくするのは当たり前だろう? それが婚約者であればなおのことだ」
「そうかもしれませんけれど……それにしても殿下はお優しいと思います。……いえ、甘い、と言うべきなのかしら」
小首を傾げたキャロルを、ライリーは目を細めて見つめる。
「……私があなたに惚れたのだとは思わないのか?」
「まさか。わたし程度の容姿で殿下のお心を射止められるとは思えません。それにわたしは不運体質ですし……この婚約にしても、殿下にもインフォーリア王国にもあまりメリットはないでしょう?」
そう言ったキャロルに、ライリーは小さく「メリット、ね……」と呟く。
その呟きに普段のライリーからは感じられない皮肉な響きを感じ、キャロルはなにかまずいことを言ってしまったのだろうかと内心焦る。
「確かに姫の言う通り、我が国に私と姫が婚約したところで大きなメリットはない。その代わりデメリットもない。しかし、私には大きなメリットがある」
「……殿下にメリット?」
ぱちりと瞬きをするキャロルを、ライリーは優しい目で見つめた。
「なんだと思う?」
意地の悪い質問だ、とキャロルは思った。
まだ出会って数日しか経っていない相手のメリットを当てるなんて、超能力者か心を読むのに長けている者にしか無理だろう。
それでも、わからないと答えるのは何となく癪だった。今まで交わしたライリーとの会話を思い出し、それらしいものを捻り出す。
ライリーにとって、キャロルと婚約することで得られるもの。それは──。
「……わたしの不運体質、ですか?」
ライリーがキャロルに興味を持ったきっかけがこの体質だと言っていた。
彼が強運体質だとしたら、人生はとてもつまらないだろう。なにせ、良いことしか起こらないのだ。そんな中にキャロルのような刺激的(?)な日々がほんのわずかでも加われば楽しくなるかもしれない。
「確かにあなたの不運体質は興味深いし、実際に体験してみてとても新鮮な気持ちにはなったからメリットの一つではあるかもしれない」
そう答えたライリーにキャロルは眉を寄せる。
つまり、キャロルの答えは不正解だったと言うことだ。
「私はね、あなたが羨ましい」
唐突なライリーの言葉にキャロルはきょとんとすると、ライリーは真面目な顔でキャロルを見つめた。
「あなたは私がほしいものを持っている。だから私はあなたが羨ましいし、ほしいと思う」
「……すみません、意味がよくわからないのですが」
申し訳なく思いながら答えると、ライリーはにっこりと微笑む。
「つまり、私はなにがなんでもキャロル姫の婚約者になりたいってことさ」
「はあ……」
ライリーの言っていることはよくわからない。
納得できなくて眉を寄せるキャロルを見てライリーはくすりと笑う。
「姫は自身を魅力のない存在であるかのように言うが、そんなことはないと思う。姫は傍から見ても十分魅力的な女性だ」
「はあ……ありがとうございます?」
首を傾げながら言うキャロルをライリーは不思議そうに見つめる。
「あなたのその自信のなさはどこから来るものなのだろうな?」
「……わたしは不運体質なので、自分に自信がないというよりも諦めているのだと思います。楽しいことなんてあるわけがない。きっとなにか裏があるに違いない──そう思わないと、嫌なことがあったときに耐えられなかった時期もあったので……恐らくその癖が染みついて抜けないのです」
にこりと微笑んでキャロルは言い切った。
この卑屈さは不運体質の賜物だ。自分の心を守るためにはそうして否定しないと心を保てなかった。
「……そうか。それはそうなってしまうのも仕方のないことだろう」
ライリーの言葉をキャロルは意外に思った。
きっと彼はキャロルを励ますのだろうと思っていた。「そんなことはない。諦めるなんてもったいない」とか、「今からでもその癖を治そう」とか、そういう前向きな台詞を言うのものだと。
「殿下にも……覚えがあるのですか?」
「うん、まあ……私も似たようなものだ」
そう笑ったライリーの顔はどこか悲しそうだった。
「そういうのは治そうと思って治るものではないからな。だが……これだけは覚えておいてほしい。私は姫を好ましく思っている」
「え……」
──好ましく思っている?
ライリーの言葉の意味を理解すると、顔へ一気に熱が集まった。まるで顔に火がついたように熱い。きっと今、キャロルの顔は真っ赤になっているだろう。
慌ててキャロルはライリーから顔を逸らし、両手で赤くなった頬を隠す。
こんな顔、絶対に見られたくない。
そんなキャロルの様子に気づいているのかいないのか、ライリーは普段と変わらない態度で「そろそろ部屋に戻ろうか」と言う。
それにキャロルは消え入るような声で返事をするのが精一杯だった。
ライリーは紳士的にキャロルの部屋まで送ってくれ、部屋に入ったキャロルはそのままベッドに飛び込んで、枕に熱い顔を押し付けた。
(絶対にからかっているわ、あの人……!)
ライリーは人の良さそうな顔をしてたまに意地悪だ。ニコニコと邪気なく笑っているその目がたまにいたずらっ子のように輝く。
部屋に行くまでの間、盗み見したライリーの目は面白そうにキャロルを見ていた。
(もう……どうしてわたし、こんなに動揺しているのかしら……変だわ)
ずっと誰にも期待しないようにしていた。
だから、どんな美辞麗句を並べ立てられたところでなにも心に響かないし、ニッコリ微笑んでお礼を言う余裕だってあった。
なのに、どうしてライリーにはそれができないのだろう。
(本当に不思議な人……)
はあ、とため息をついてそのまま目を閉じる。
そういえば、部屋に送ってもらうときに、なにかをライリーと約束したはずだが、それはどんなものだっただろうか。
覚えていないということは、きっと大した約束ではないのだろう。
また明日、起きたら聞けばいいと、キャロルはやってきた睡魔に抗わず、そのまま眠りに落ちた。
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