第30話 メリー・メアーと虹の架け橋 8
8
「先生先生先生」
我々は畑へ向かった。
上から見た限り、シャツはぴくりとも動いていなかった。
さすがの詞浪さんも取り乱した様子だった。
階段を二段飛ばしで駆け下り、踊り場に飾った鉢植えにぶつかりながら一階へ急いだ。
膝の痛みも忘れている。
ここまで見たところ、彼女らの関係はメロドラマではない。が、少なくとも、同じ目標に向かって努力した者の仲間意識と、感謝の念がちゃんと存在しているようだった。
詞浪さんの慌てようから見るに、ある部分では頼りにしている相手だったのかもしれない。
彼女は畑で飛びこんでいった。
「何やってんだよ、せんせ……い?」
闇のなかに、シャツ、及びパンツ類が抜け殻のように散らばっている。センセイの姿は見えない。
上から倒れていたように見えたのは、服だけだったらしい。
正確にいうと、服と、服のなかの枯れ枝のようなもの。胴体の名残だ。すぐ側には、あらたな西瓜が転がっている。
「センセイ?」
「詞浪か……?」
緑色に縞模様の、喋る果実に成り果てたセンセイがそこにいた。
彼は清々しいような笑みを浮かべていった。
「ああ詞浪。俺スイカになっちゃったよー」
「ええ……」
そばにプラスチック包丁があり、喋り続ける西瓜生徒の一人の頭が、一部欠けている。
「――食べたの? 危ないの分かってて? 先生は馬鹿なの!?」
詞浪さんは駆け寄って西瓜を叩いた。
センセイはなかなかいい音がした。中の上のデキといったところだろうか。
「これ、これ大丈夫なの?」
詞浪さんがこちらを振り返っていう。
私は〈扉〉で帰してやればまだ大丈夫でしょうと請け負った。
そこへ西瓜センセイが、西瓜頭を震わせて割りこんできた。
「詞浪、聞いてくれ!」
「ええ……なに? もういいから帰るよバカ」
「俺は気づいてしまったんだ。自分の欲望に。そしてその解決法に」
「はあ?」
「詞浪。俺の目を見ろ。少しだけ聞いてくれ」
「目っていわれても……いつもより緑色で青臭いですけど?」
「聞いてくれ、詞浪」
「え……はい」
センセイの剣幕に詞浪さんは気押されたようである。素直になってスイカの前にしゃがんだ。
「なにさ」
センセイは話し始めた。
「入学してきてから、お前は一生懸命努力してきたよな。自分の才能にお前ほど誠実な人間はいないと先生は思う。俺もその誠実さに負けないように、色々勉強してきたつもりだ」
「いいって……それは、もう……」
「それはともかく!」
「ともかく?」
「そんな圧倒的事実はともかく! お前にいいたいことがある」
「おう……はい」
「俺は――」
そこで先生は言い淀んだ。
植物性の頭蓋骨をゴロゴロ転がし、言葉を探しているようでもある。
そこへ、先生が話すあいだ息を潜めていた西瓜生徒達が声を上げ始めた。
〈がんばれー〉
〈先生がんばって〉
〈いえるよファイッ〉
〈気持ち伝えようファイッ〉
〈ずっと我慢してたんだよね〉
〈きっと受け入れてくれるよ〉
〈そのために頑張ったんだよね〉
〈応援歌を歌おうよ〉
〈早くいえって〉
〈ほら〉
〈こっちへおいでよ〉
「俺はぁ――」
囃し声に押されるように、西瓜センセイは、一際声を大きくした。表皮がビリビリと震える。
「俺はぁ……」
センセイはなお躊躇ったが、今度は詞浪さんが促した。西瓜たちの言葉から、彼女なりに何か察したのかも知れない。
「――なに?」
「おれおれ俺はぁ、ここへ来てぇ、みんなに応援されてぇ、自分の本当の気持ちに気づいたんだ。俺、俺は今まで詞浪に無理矢理に色々食べッ食べさせようとしたよな?」
「別に無理矢理って程じゃ……先生は――」
「俺はァ! 本当は違くてぇ。食べ物を食べさせたいんじゃなくてぇ……俺の気持ちはァ! 聞いてくれ詞浪!」
「聞いてる、聞いてるから……いってよ」
そこまで詞浪さんにいわせて、ようやく先生は、切り出した。こういったのだ。
「俺の本当の気持ちは、俺は、本当は食い物になりたかったんだ! 子供の時から思ってた! 制服着たお姉さんに噛まれたい。なんなら消化されたいッ!」
「……は?」
と詞浪さん。誰だってそういうだろう。カマキリだってそういう。
意味が分からなかった。周囲の西瓜たちだけが、枝葉を震わせながら歓声を上げた。
〈いえたじゃん先生〉
〈やったね!〉
〈今日を記念日にして休日にしようよ。なんてね!〉
〈おめでとう先生〉
〈おめでとう〉
〈後は返事をもらうだけだよ先生〉
〈動画に撮りたーい〉
〈はやく食われるとこ見せろよ〉
これらの声に張り合うようにセンセイはなお声を上げた。
「俺の欲望はァ! お前に食べさせることじゃない、お前に食べられることだったんだ。お前しかいないんだ詞浪! これが俺の本心だ。俺は女子高生に食べられたい! ここでならその願いが叶うんだッ!」
「ふうん。そんだけ?」
そういって詞浪さんはゆっくりと立ち上がった。極めて冷たい声だった。
センセイはそれには気づかず、更に要求を繰り返した。
「お願いします! 初めて会ったときから食べられていって決めてました! JKのうんこになりたい!」
西瓜生徒たちもこれに続く。
〈詞浪さん。詞浪さん分かるよね?〉
〈食べてあげようよ〉
〈空気読もう〉
〈頑張れ〉
〈みんな応援してるんだよ?〉
〈気持ちを大事にしてあげて〉
〈こっちにおいでよ〉
これにも詞浪さんは「ありがとねえ」と平坦な声で返した。
それから彼らの方は見ず、畑のわきへ歩いて行って、プラスチック包丁を手に取りかけて止め、代わりにもっと立派な、両手持ちのシャベルを握った。
そうして「そっかー」とひとことだけ明るい声をだしたかと思うと、助走をつけたスコップをフルスイングで叩きつけた。
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