第29話 メリー・メアーと虹の架け橋 7
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「さっき、旅行のルートから外れてるっていったでしょ? そっちのルートからバスで結構移動したような気がするんだよね。音楽聴いてたから分かんないけど」
つまり詞浪さんの〈扉〉は、たぶん淡路島より向こう、神戸の方にあるのではないかという話だった。
そこからバスはどういう理由か――たとえば〈ホール〉のもたらす引力のようなもので人の気配を嗅ぎ分け――舵を切り、淡路を抜けて私のいるホテルまで到着したのである。
詞浪さんがそう感じるのなら、そうなのだろう。〈扉〉の持ち主の感覚を信じるべきだ。
となると、彼女たちは帰るために神戸まで移動しなくてはならない。
ここから一〇〇㎞は距離がある筈だった。
詞浪さんは軽く「一〇〇くらいなら圏内かな」という。「ロードレースでは当たり前の距離だよ。短いくらい」
自転車の話? と聞くと、もちろん、という。
私は車で行く者だと思っていたから驚いた。
自転車で一〇〇キロメートル?
まあ、いざとなればバスがある。どうせセンセイは車を使う必要があるのだ。
そのセンセイは何をしているのだろう?
この時、彼は西瓜畑の所にいた。それが屋上から見えた。夢モブとセンセイの笑い声が高まって、ここまで届いてきた。
「みんなありがとう。ありがとうみんな。怖がってごめんな。みんなが先生のことをこんなに思ってくれてるなんて知らなかった!」
〈先生頑張れ〉
〈見てるよ先生〉
〈見てるぞ〉
〈おいでよ先生〉
「ありがとう。ありがとう。先生は今夜生まれ変わります!」
「こわぁ」と詞浪さんはいった。「やっぱり、もう帰った方がいいのかな」
いったい何の話をしているのかは謎だった。
確かに、悪夢に対するセンセイの耐性は弱い。
早く帰らせるにこしたことはないだろう。
とはいえ、要は〈扉〉をくぐることができればいい。それは経験で知っていた。
〈ホール〉では、例え大怪我をしても、〈扉〉さえくぐれば現実へ帰っていけた。
私などは毎回〈扉〉をくぐるたび、バラバラに粉砕されるほどだ。それでも何の問題もない。
または、悪夢が安全である場合もある。ある人は、悪夢に半ば飲みこまれながらも〈扉〉まで容易に辿り着くことができた。「眼球に毛が生える」というだけの悪夢だったからだ。
要は〈扉〉へ辿り着けさえすればいいのだ。
センセイに何かあったとしても、私か詞浪さんが送ってやればいいだろう。
詞浪さんへ、もっとここにいたいかと尋ねた。
「ああ……ううん」
自分でもよくわからないらしく、彼女は首をかしげ、頭を掻いた。
「修学旅行に戻るのがさ……嫌って訳でもないんだけど、あんまり興味ないっていうか。私はチャリンコ乗りに学校選んだわけで……。でも、それももう関係ないわけで、別に誰も悪くないんだけどさ……『なんでここにいるんだろ?』って思ったりもするわけ」
自分の欲望やストレスが自覚できないでいるのかもしれないなと私は考えた。だが、私は夢分析でも心理学者でもないので、具体的なことは何もいってやれない。
センセイに関してだけいうなら、早めに帰った方が良いでしょう、とだけ私はいった。
詞浪さんも特に拘らなかった。
「そっか~。車も信号もない道って興味あったんだけどな。センセイのいったとおり、一回くらいは乗っておいてもよかったかなって思ってた所だけど、まあしょうがないよね」
そういって彼女は自転車から降りた。
また来れば良いのですよと私はいった。
「あ、来れるんだ。じゃあいいよね~」
詞浪さんは、素直に頷いていたが、急にとても困った、申し訳なさそうな顔で、何か切り出しかけた。
「でもさあ、ほんとのほんとの事をいうとさあ……私は……いや。やっぱりいわない。いう必要のない事だから。いうべきじゃない。こんなこと」
〈ホール〉ではね、何をいってもいいのですよ。
そう伝えようとしたときだった。私たちは下からの声が変化しているのに気づいた。
悲鳴が上がっている。
〈せんせーい〉
〈先生〉
〈きゃああああはは〉
〈来たねえ〉
〈きいいい〉
それはモブたちの声で、子供が演技をしているような、造りっぽい声色だったが、悲鳴には違いない。
屋根のヘリまで行って西瓜畑を見下ろすと、闇の中センセイのシャツが白く見さだめられた。体を仰向けに投げ出して倒れているように見えた。
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