第49話 通り夢のかんばせ 2

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 赤飯を冷ましていると、何匹かの烏賊君が近づいて来た。

〈おなかすいた〉

 烏賊君には知能がある。

 が、それは小動物程度の物で、我々客人の言葉をオウムみたいに記憶しているだけにすぎない。


 私は赤飯を与えてみることにした。

 何というか、下世話な例えだが、烏賊君はスカートをめくり上げるみたい触手を上げて、口を露出させた。

 私は菜箸の先で赤飯を抓むと、それを口に射しこんでやる。紫色の唇がすぼまる。私が菜箸を引き抜と、烏賊君は赤飯をくちゃくちゃ咀嚼はじめた。


 烏賊君の口は人間そっくりだ。それに海から這い出して〈ホール〉をうろつく。現実世界の烏賊とは異なる生き物なのだ。

 おいしいですか、と聞くと〈おなかすいた〉と返ってくる。


 たまに間違われるが、烏賊君は私の持ちこんだ悪夢ではない。そして現実には存在せず〈ホール〉にだけ棲息する。

 そこだけ見れば烏賊君は〈通り夢〉と呼べる条件を満たしていた。

 そうなのだろうか? しかし〈通り夢〉にしては無害な存在だった。寝ている間におへそを囓って来る程度だ。


 烏賊君は謎だ。

 記憶力は相当なもので、例えば私が烏賊君をバーナーで焼いたとすると、次に会ったときにはバーナーを取り出しただけで逃げていくようになったりもする。

 普通の〈ホール〉の生物はそんなことできない。次に来た時には、記憶もすべてリセットされて私のことなんか忘れている。


 一時期、私は烏賊君を解剖して研究した。

 その結果、何も分からないということが分かった。

 ただ、彼らの神経系は普通の烏賊よりシンプルで、しかし知能は同等かそれ以上もあると判明した。

 その過程で私は烏賊君の扱いに精通した。

 何本かの針を差しこんで、神経経路を精密につま弾いてやり、彼らの欲求や行動にあるていど命令を送れるようにすらなっていた。


 その当時のことを思い出して、ちょっと久しぶりにやってみようかな? と包丁を探したところで、私は外から流れてくる笛の音に気づいた。

 〈通り夢の花嫁行列〉が近づいているのだ。

 海沿いをゆっくりゆっくり進むから、このホテルを通過するまでは、まだ時間がかかるだろう。




 私はホテルから外に出た。

 気温は低いが、陽射しは暖かかった。

 山の方から煙の匂いがする。

 何故なのかはまったく謎だが〈通り夢の花嫁行列〉が現れるとき、その一帯では柿の木だけが一斉に燃え上がるという現象が起きるのだった。


 花嫁行列は、毎年同じ日。同じルートを通る。

 もうじき、このホテルの前の道を通過するはずだ。

 私は〈花嫁行列〉が何処まで近づいているのか確かめようと道路の向こうに目をこらした。


 これはあまり推奨された行為ではない。

 一番良いのは、行列の先頭が行き過ぎたのを確認してから見に行くか、ずっと高いところから見下ろすべきである。それなら和傘の下にいる花嫁の顔を見てしまわなくて済む。

 〈花嫁〉及び花嫁行列が、我々に対して何かしてくることはない。ただ注意事項が二つある。


【行列の行く手を塞いではいけない】

【花嫁の顔を見てはいけない】


 これだけだ。

 特に花嫁の顔を見ることだけは絶対にしてはいけない。鏡越しでもいけないし、写真で撮ってもいけない。

 この禁を侵して助かった人間はいない。

 だから、さすがに私も、この行事を人に勧めることはしなかった。

 知り合った客人たちには、一月四日は〈ホール〉へ来ないよういっておいたし、例えば詞浪さんなどは、無鉄砲なところがあるから、私は〈花嫁〉については教えていない。嘘をついてこの日だけは彼女が来ないように遠ざけたほどだった。

 だが、禁止事項さえ気をつけていれば〈通り夢の花嫁〉はただただ美しい〈ホール〉の風景に過ぎない。

 私はこの日を毎年楽しみにしていた。


 〈通り夢の花嫁〉に人間性が存在するのかは不明だが、私は礼儀として礼装で見に行くことにしている。今年は紋付袴でいどんでいた。


 烏賊君が何匹か、道路までついてきていた。彼らのお目当ての赤飯は置いてきたままだ。行列の位置を確認したら、ホテルに戻って上の階から更新を眺めるつもりだったのだ。

 道路に出て行列の道を塞いでしまっては大変なので、私は彼らを紋付きの懐へ入れた。


 道は何度かカーブしているから、ここからではまだ行列が見えない。

 だが近くには楽の音色が聞こえ、遠くの峠のほうにも、列の気配が漂っていた。香川方面から海岸沿いに、長い長い列をなして彼女らはやって来るのだ。

 風に乗って白檀香の匂いが届いた。

 楽しみだ。

 危険だがもう少し進んで、カーブの向こうの気配を探ろうとした。音があまり近いようなら背を向けて戻ってくればいい。


 だが、これが間違いの元だった。

 少し歩いて行ったところで、私は突然の襲撃を受けた。何者かがライフルで狙撃してきたのだ。


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