通り夢のかんばせ

第48話 通り夢のかんばせ 1

1


 ――こんな結果に終わるとは思わなかった。


 肌を刺す空気の冷たさ。

 舞い上がるおしろい粉。

 宙を舞う破片。透明に近い焔の切れ端。

 何処までも続くような元旦の青空。

 視界を走る花笠の行列。嘘花の盛りだ。

 廻る日傘の赤とそして〈通り夢の花嫁〉。

 私はその顔をはっきり視ている。

 私は叫ぶ。


 これは私の油断が招いた事態でもある。〈ホール〉で死ぬことはないとたかをくくっていた。

 もっと慎重に、あらゆる場面を想定して行動していれば、このような事態は避けられたはずだった。

 心から反省している。もう今ではもうどうにもならないことだが――。



■■■



 蓋を取ると、熱い湯気が顔に当たった。

 冷たい調理場の中だったから、心地がよかった。

 鍋の中には鮮やかな色をした赤飯が炊き上がっている。味見をすると、想像以上のできだった。

 時間をかけて小豆から準備をした甲斐もあるというものだ。


 厨房の日めくりカレンダーは一月四日をさしている。元旦の澄んだ空気の中で、食器の立てる音も澄んでいた。

 赤飯を箱へ詰めていく。箱は二つ用意する。

 飾りに紅葉をひとつ。

 のし飾りはなくていだろう。

 紙を折った袋を二つずつつけた。一つにはごま。

もう一つには和三盆糖が入っている。

 これで準備は完了だ。

〈通り夢の花嫁行列〉を眺めながら食べようと思っていた。


 〈通り夢〉。

 その名前の由来はさだかではない。

 確かなことは〈通り夢〉は、我々客人とも、我々の持ちこむ悪夢とも違うものだということだ。


 〈通り夢〉はずっと昔から〈ホール〉に存在し続けているらしい。〈ホール〉の法則から外れた存在なのだ。

 〈通り夢〉は数種存在するが、知られている限り、そのほとんどが危険なものだった。遭遇には消滅の危険が伴う。

〈通り夢〉には決してふれてはならないと教えられた。


 例えば詞浪さんから、それらしきものを見たと聞かされたときには、私は近づかないよう注意した。

 彼女が視たのは黒い犬だった。高速道路を移動中目の前を黒いものが横切って、振り返ってみるとそれは大型の黒い犬だったらしい。走行中だったためはっきりとは確認できなかったが、犬は彼女を見て明らかに笑うと複雑な動きで走り去ったという。


 〈黒犬〉と呼ばれる〈通り夢〉に似ていた。

 話を聞いた限りでは〈黒犬〉は詞浪さんを追跡していたわけではなそうだったので、私は安心した。もし〈黒犬〉が、彼女を標的に追って来ていたなら、私はたぶん守り切れなかったろう。


 昔〈ホール〉の調査を趣味にしていた男は、何かの拍子で〈通り夢の黒犬〉につきまとわれるようになった。〈黒犬〉はこの男だけを狙い続け、ついに男は姿を消した。

 調査の過程で〈黒犬〉の機嫌を損ねるような行為をしたのだろうと仲間たちは噂し合った。


 だが、怯えるほどではない。

 普通に〈ホール〉を歩いているだけなら〈通り夢〉との遭遇率は極めて低く、それは落雷や竜巻の心配をした方が遙かにマシといったほどなのだ。詞浪さんは極めて珍しい経験をしたという事になる。


 私もこれまで幾つかの〈通り夢〉に遭遇したが、そのなかで、その性質と、遭遇条件がはっきり分かっているのは一つだけだ。

 それが〈通り夢の花嫁〉である。


 その〈通り夢〉は、現代日本の暦で、一月四日にだけこの沿岸を通っていく花嫁行列のかたちをとる。その目的や意図は誰にも分からない。

 ただ、通る。

 それが〈通り夢の花嫁行列〉だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る