第42話 メリー・メアーの花迷宮 3
3
最初の迷宮は、このリゾートホテルである。
詞浪さんは西瓜に乗ったまま、コロコロ移動した。
ホテルは迷宮としては優しいものらしく、あなたは簡単に階段を見つけてしまう。我々は下の階を目指した。
「いい考えがある」
二階まで降りたところで詞浪さんは悪巧みを思いついた。彼女はキックで窓を割ると、そこから外へ降り行ってしまう。
辺りは一帯が迷宮で埋め尽くされている。二階からは平面図を広げたように、道筋の幾何学模様が見渡せた。
詞浪さんは、その複雑な壁の上を猫みたいに歩いて行った。
こうすれば、上から迷宮を見渡しつつ進めると考えたのだろう。
しばらくすると彼女は引き返してきて、二階の我々へ向かって「ムリムリ」と手を振った。
「だめ。道の果てにも、海の上も、山の斜面も迷宮がどこまでも続いてる。塀も高くなったり低くなったり、何階ぶんにもなってるとこもあるし。そもそもどこへ行けばいいのか分かんない」
「迷宮の出口ですよ。出口へ向かうには迷宮に従わなくては」
迷宮を解いて行きさえすれば、目的地へは――この場合〈扉〉へは――自ずと到着することになるだろう、とあなたはいうのだった。
「迷わせることと、導くこと。この矛盾した二つの性質が、迷宮にはあるのです。迷宮には出口と入り口があるのだから」
我々は石造りの迷宮へ入っていった。ひんやりと湿った苔が手にふれた。
■■■
左右は石の壁だ。それが進んでも進んでも、いつまでも続いている。野ざらしだったり、二階建てになっていたりした。ときどき視界が開けると、庭園風の広間に出たりもする。
どういう風になっているのかは解らないが、元の町の面影は無く、車もコンビニも自動販売機もめったに見かけなかった。
あなたは、ほとんど迷うことなく石の迷宮を進んでいる。
「あっは。いいですね。いかにもって感じの迷宮でしょう? 今にもミノタウロスが出てきそうな」
あなたは有名なギリシャ神話の話をした。
狂った王女が美しい牡牛と交わり産まれた半人半獣のミノタウロス。
クレタ島の迷宮ラビリンスは、このミノタウロスを閉じこめるためにつくられたのだ、とそういった。
歩きながら、目まぐるしく視線を走らせ、迷宮のマップを脳に刻みつつ、いった。
「そして同時に、ラビリンスはミノタウロスのための生け贄を逃がさないための迷宮でもあるのです。箱の中を迂回させて迂回させて〈恐ろしいもの〉を出口まで辿り着かせず、箱の中を迂回させて迂回させて生け贄を入り口まで逃がさない。あれ? 僕この話、前にしましたっけ? 迂回させて迂回させてミノタウロスを迷宮という箱の中へ閉じこめ続ける話。前にしましたか? 迂回されて迂回させて迂回させる話の前にしましたか?」
「あんたの話も相当迂回するよね」
と詞浪さん。
あなたはずっとこんな調子だ。
「ん?」
ちょうど、この会話をした後、詞浪さんは何かを見つけた。
「ねえ。ヘイ。ここ向こう側、何かあるんじゃない?」
このとき我々がいたのは、石室のような空間のなかだった。日光が遮られて薄暗かった。
「上だよ、この上。近づくと角度的に見えないけど……」
彼女はサイクルジャージの背中のポケットから、西瓜を取り出した。西瓜はポケットの容量以上に次から次に現れ、さらに床の上で大玉西瓜のサイズに成長した。夢の欠片なのである程度は物理法則を無視するのだ。
「ここに何かあったんだよ――」
積み上げた西瓜の山を足場にして、詞浪さんは石室の天井付近までよじ登った。闇に紛れて見えにくいが、天井に近い部分の切石が一つが欠けていて、ポケットができている。
その空間から、彼女は何かを引っ張り出そうとしているようだ。尻をぷりぷり振っている。ずいぶん重いらしい。
「んん~おっ。いけた! どやっ」
引っこ抜いた瞬間、彼女は勢い余って後ろ向きに落下してしまう。幸い西瓜がクッションになったおかげで怪我もなく、果汁まみれになるだけで済んだ。
「ぐわああ。パオパオジャージが! 高えヤツだぞこれ、びちゃびちゃだあ」
というか、よく見るとサイクルパンツのお尻が破けて用をなさなくなっていた。
「で。中身は?」
それは小さな石の棺のような外観だったが、俗に宝箱と表現をした方が正しいようだ。
蓋が割れていて、中の宝が見えている。迷宮にはこんなものまで完備されているのかと私たちは笑った。
丁度良いことに、宝箱には古代ギリシャ式の着物一式が入っていた。
「防具は装備しないと意味が無いぞ?」
とたん詞浪さんがバンザイをしたので、心得た私はびしゃびしゃで肌に貼りつくジャージ類を脱がせてやり、それからギリシャ服に着替えさせてやった。お気に入りの服を駄目にした詞浪さんも、この待遇に気分を持ち直したようだった。
あなたは紳士なのか、見ないようにしていた。
我々は進んだ。
ホテルもそうだったが、石の迷宮も分岐点は少ない。従って行き止まりに当たることも稀だった。
入り組んではいた。なるほど迂回させるという役割が迷宮の本分であるというのもよく分かる。指の指紋だとか腹腔に押しこまれた内臓のようにグネグネひだひだしたマップだった。
あなたは説明して、
「本来の迷宮というのは、迷路とはわけて考えられる別物なのです。古来の迷宮は、迷路ほど煩雑ではなく、分岐点のない一本道で構成されていました。一種の護符のようなものだったともいえます。まあ、僕は古式ゆかしい一筆書きの迷宮も、ゲームのような複雑怪奇なダンジョンも大好きですけどね」
そういいながらも、あなたはどんどん進んでいった。あなたの脳内には、石迷宮の完璧なマップが出来上がっているようだった。
「ひひ。進みますよ。直進。右へ曲がる。右の扉を出て真っ直ぐ。左折。右折。落とし穴を跨いで行き止まり、に見えるが穴を潜って向こう側へ。右折左折右折左折左折。眼鏡橋を渡って庭園にでる。十字路を右へ。右折右折、カーブした道沿いを進んでT字路を左。真っ直ぐ。真っ直ぐ。真っ直ぐ。左折。どんどん。どんどん進む」
「はい、クリア。はいクリアー」
気分の良くなった詞浪さんは、先に立って歩きだした。そして行き止まりに、地下への入り口を発見する。
「余裕じゃーん迷宮。まあ私も走行ルートとか憶えるのには自信があるからついてきてよ。方向感覚とかもすごいし」
とはいえ、本当の迷宮はここからなのだった。
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