第43話 メリー・メアーの花迷宮 4
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「階段U《アップ》3から、階層5へ。直進、扉12をくぐる。右側の通路を道なり。17歩先の壁の穴から隣の通路へ。出てすぐ左。階段D《ダウン》10から階層6へ。隣の階段Dへ。階層7。直進。罠を迂回。広間を突っ切った先階段U1から階層6へ戻る……」
我々は上がったり下ったりを繰り返した。地下迷宮は大層深くまで続いているようだった。
地下の迷宮は格段に難解になっていた。
分岐点が無数に現れるようになり、地下へ地下へと進む迷宮のため、階段による上下の移動が加わった。
普通の地下ビルなら降り続けていけばそれでいいのだが、ここは迷宮である。無数にある階段から、正解の、それも隠された階段を見つけなくてはならない。
壁一枚向こうに正解ルートがあるとして、そこへアクセスするにはいったん別の階に移動してから、それ専用の階段を探しださなくてはならなかったりするのだ。
そんな風だから我々は地図を作る必要があった。それもはぐれた時などのため、全員がやらなくてはならない。
だが携帯端末はとっくにバッテリーが切れ、ペンや紙も湿気と砂で駄目になっている。使えるものは自分たちの脳髄しかない。
頭の内側に地図を想い描き、それを重ね合わせ、比較して、隠された階段やフロアの位置を推測する。
それを実際に歩いて確認し、また記憶する。
頭の中に迷宮のレプリカを作成するような作業だった。
「階層28。階段U9を追加。U9より階層27へ。扉39を追加。左へ。道なり。階段D16、U19、U16、D17を追加。まずD16から階層28へ。道なり。扉38を追加――」
「もう無理! こんなん気が狂うよ! スカッとしないしさあ」
詞浪さんは大の字に寝転んでしまった。
「もうぜんぶ燃やしちゃおうよー」
などといっている。
折角の迷宮を燃やす気もないし、そもそも火をつければ酸欠になるか、こちらがが先に焼けてしまうだろう。
あなたは
落ちくぼんだ目をグルグルと走らせ、それに歯車で連動するかのように頭脳を目まぐるしく回転させた。
その間、あなたの脳内では迷宮のレプリカが同時進行でいくつも建設されては、比較され、破壊され、作り直されては正解に近づいていく。
「階層17からスタート。扉38。D22。扉20。扉9。抜け穴X3。扉19。直進罠に注意。D23。D19。D10。扉25。迂回。扉14、扉18、扉20,扉30の順に進む。D21。扉12。U8。U10。U13。左から三つ目の通路を直進。D28。崩落した階段の隣に隠し通路」
あなたは目まぐるしく迷宮のマップを更新しながら進路予測をアウトプットしていく。
脳内地図が完璧でないと、あなたの進路予測について行けなくなるので、私たちも必死でマップを頭に叩きこんだ。
さらにいうと、地下迷宮の随所に罠が仕掛けられていて、それも我々を疲労させた。
一度などは、三人まとめて落とし穴に落ちてしまい、もし詞浪さんが西瓜で足場をつくってくれていなければ、今頃私たちは、迷宮の蛇たちの餌なっていたことだろう。
石棺に似た宝箱から鞭を見つけて、インディージョーンズのまねごとをしたりもした。
そうしてボロボロになって地下迷宮を抜けた先は海の迷宮だった。
地下へ地下へと降りて行ったのに海へ出るのは謎だが、そういう迷宮なのだろうと我々は納得するしかなかった。
■■■
水迷宮は半ば海に沈んだ迷宮で、観光地としてなら申し分の無い美しさだ。
迷宮内を熱帯の色とりどりな魚が群れを成して游ぎ、腰まで水に浸かって歩く我々を、石の隙間から黄色いヒメウツボが見送っていた。
この迷宮の特徴は、潮の流れがあることだ。
我々は流れる水を掻き分け、時に游いで進まなくてはならなかった。
特に流れの強いところでは押し返されてしまったり、反対に流されてしまい引き返せなくなったりした。つまり一方通行の通路が存在するのだった。
我々はそうしたポイントも記憶した。
迷宮内には水門がいくつもあって、それを操作することで、水の流れが変えられた。
東へしか進めなかった通路が、反対に西にしか進めなくなったり、水でいっぱいだった部屋を干上がらせたりできた。
つまり我々はマップに加えて、潮目の変化のパターンと水門の位置も憶える必要があった。
あなたはこの迷宮でも、溌剌と働いた。
海流のパターンを記憶し。その組み合わせを試行錯誤する。実践。結果を記録。脳内マップを修正。その流れを繰り返す。
「水門1を開き、Aパターンで、一方通行路A、Bを通過。水門2を開き、通路3から水門1に戻り、水門1を閉じる……水流Cパターンで通路5を進む。通路6を流され、道なり、潜って隣のフロアへ。水路8を選んで進む。水門3を開く……」
当然のように罠もあった。
水中の隠し通路を潜ろうとしたところで、罠に捕まり、危うく逆さまに足を出したままで溺れかけた。
滝から落ちて水中で洗濯物のように掻き回され方向感覚を見失ったりもした。
一度、詞浪さんとはぐれたときには、合流するのに苦労した。番号や文字を刻んだ西瓜が流れてきて、どうにか探し出すことができた。彼女は巨大なイソギンチャクに飲みこまれる寸前だった。
「だから、ちゃんと頭に迷宮の地図を思い浮かべて下さいね」
あなたはそう注意するのだが、すでに憶えるべきことが膨大になっていた。
「もう無理! 脳ミソから地図が出る! チューしてよ! 脳ミソ使いすぎてIQが下がってんだよコッチは! チューとか膝枕とかして甘やかしてくれ! じゃないと無理!」
詞浪さんは水の中でバシャバシャグルグルと駄々をこねた。
こういう記憶ゲームは彼女の苦手分野なのだ。脳疲労のあまり幼児返りが始まっている。
詞浪さんをなだめたり、叱ったり、甘やかしたりしながら、私も素敵で濃密な疲労を感じ始めていた。
我々の頭蓋骨の内側は、迷宮の地図と水でいっぱいになって、それらがぐるぐると暴れまわり、精神を溺死させようととしているかのようだった。二日酔いの上に、更に強烈な美酒を流しこまれる気分だ。
「水門10。パターン2B。通路32を流され。右。通路28。通路33。通路35。水門5を閉じる。通路17.9、12、を通り水門6も閉じる。水底に新たな水流ルート発見。ヒヒッ」
あなたは、むしろ迷宮を進むほど活力を増していくようだった。
まるで迷宮そのものが、あなたの頭脳を回転させる歯車のひとつであるかのようだ。
もっとはっきりいうと、あなたは迷宮ジャンキーなのではないだろうか。
〈ホール〉を楽しんでいただけているようで私も嬉しい。
水迷宮は離岸流で終わった。
水流に流され、迷宮が遠ざかっていく。
やがて浜辺に打ち上げられたのだが、そこがどこの浜なのかは私にも解らない。
「……終わったぁ?」
うつ伏せに倒れたままで詞浪さんがうめいた。
迷宮は海の向こうにわずかに見えるだけである。
浜は、見たことのない風景だが、迷宮のようではない。
迷宮の外に出られたという事なのか? 初めはそう思った。
詞浪さんのギリシャ衣装の裾が捲れて、お尻が丸出しになっている。直してあげようとしたところ、尻が震えて「なんか向こうに落ちてるんだけど」といった。
詞浪さんの視線の先を追うと、薄く桃色がかった、全体としては灰色の塊が砂の上に佇んでいるのが見えた。
大きな鶏頭の花、に見えるがそうではない。
「なんか浜に脳ミソ落ちてるんだけど。あれ私の脳ミソじゃないよね?」
と詞浪さん。
その野ざらしの脳髄が次の迷宮の入り口だった。
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