9〈mof〉 いぬ・きゅうりょうび


「先輩、今日は給料日でした」

 もらったばかりの茶色い封筒を、瀬名は差し出します。


 住み慣れた家の中。瀬名と先輩は、向かい合って座っています。


 喜んでもらえるかと思っていたのに、先輩はなんだか渋い顔をしています。

「さすがにこれはもらえないよ」


「ど、どうしてですか?」

「だって、瀬名が頑張って稼いだお金だろ? これで瀬名の好きなものを買いなよ」


「でも、瀬名の生活費は……食費と光熱費と家賃は……」

「むずかしいことを知ってるな……」


「瀬名は『無駄飯食らい』のいぬじゃ嫌です。自分のごはんは自分で稼ぎます」

「そ、そんなふうに思ってたのか? 飼い主がごはんを用意するのは当たり前だよ。瀬名はそんなこと気にしなくていいんだよ」


「瀬名は先輩にあげたいんです。そのためにばいとしたんですから」

 瀬名は、先輩の役に立ちたいです。いらないいぬではいられません。


「うーん……」

 先輩は困ったように頭を掻くと、やがて封筒から紙幣を一枚取り出します。


「じゃあ、これを瀬名の生活費代ってことでもらっておくよ」

「わう? それで足りるんですか?」


「ああ、十分すぎるくらいだよ。ありがとう。残りは瀬名の好きなように使うんだよ」




 * *




 封筒の中にはまだお金が残っています。

 先輩からは、あまりたくさんのお金を持ち歩くとなくしたとき大変だからと、貯金箱をもらいました。豚さんの形をしています。


「瀬名の、好きなように……」

 先輩は、瀬名にお金はよく考えて使うことを、こんこんと教えてくれました。


 このお金は、瀬名が頑張って働いたごほうびとしてもらったものです。だからこそ大切に使うべきだと。


「大切に……」

 そんなこと言われても、ぱっとは思いつきません。

 どうすれば、大切に使えるのでしょう?


 先輩はいつも瀬名にプレゼントをくれます。だったら、瀬名も先輩にプレゼントをあげます。


 先輩の喜ぶ顔を思い浮かべます。先輩の笑った顔。声。瞳。

「わふ……」

 胸がぽかぽかしてきます。


 ですが、一体何をプレゼントすればいいのでしょう?


 先輩の好きなものといえば……古い本です。あと、たまに「単位がほしい」と言っていますが、そもそも単位とはなんでしょう? 辞書で調べてみてもよくわかりません。


 先輩の好きなものを見つけ出すことが急務でした。




 * *




「店長」

 バイトの休憩時間、瀬名は店長に話しかけます。


「うん? どうしたの、瀬名ちゃん」

「男の人って何をぷれぜんとすればうれしいですか?」


「げほっ、げほっ」

 店長はむせていました。

「ど、どうしたの急に」


「瀬名はこないだのばいと代で先輩にぷれぜんとを買いたいと思います。でも、何を買えば喜んでくれるかわかりません」

「ああ、そういうことね……」


 店長に、事の経緯を説明します。

「瀬名、本当はばいと代の全部を先輩にあげようと思ってました。でも、先輩はもらってくれませんでした。これは瀬名が頑張って稼いだぶんのお金だから、瀬名が使うべきだと」


 先輩ににっこりになってもらうためにバイトしてるのに、お金をそのまま渡すのではダメみたいです。


「でも、瀬名は先輩ににっこりになってほしいです。ほかの何よりも、それが大事です。だから、ぷれぜんとを贈ることにしました」


 あまりにもまっすぐで屈託ない言葉を前に、店長はたじろぎます。

「そ、そんなに先輩のことが好きなんて……。うーん、確かに彼、優しそうに見えたけど……でも、案外そういうタイプほど裏では危ないって聞くしなぁ」


「わう?」

 店長が、モラハラ鬼畜男の表と裏に思いを巡らせているともつゆ知らず、瀬名は首をかしげます。


「瀬名ちゃんみたいないい子に想われて、先輩は幸せ者だなぁ」

「わう? 先輩、幸せですか?」

「そうだよ、きっと」


 先輩の幸せは瀬名の幸せです。先輩がうれしいなら、瀬名もうれしいです。もっともっといい子でいようと、瀬名は思いました。


「先輩って、大学生なんだっけ?」

「はい」


「それで、趣味は?」

「趣味は――」




 * *




 店長の協力のもと、先輩へのプレゼントの準備は着々と進みました。


「わう……」

 こっそり買ってきたプレゼントは、至ってふつうの大きなビニール袋の中に入れてカモフラージュしているため、まだ先輩は気づいていないようです。

 いつも通り、古めかしい本を読んでいます。


 とってもどきどきします。プレゼントが見つかってしまわないかも、上手く渡せるかどうかも。


「せ、先輩……」

「ん? どうしたんだ?」


 瀬名は、袋からプレゼントを取り出します。

 プレゼントは、水色の不織布のラッピング袋に包まれており、赤いリボンでぎゅっと結ばれています。


 見るからにプレゼントというビジュアルに、先輩は目を丸くします。

「瀬名、これは……?」

「先輩へのぷれぜんとです。開けてください」


 恐る恐る包装袋を受け取ると、リボンをほどく先輩。

 袋の中から出てきたのは、落ち着いたデザインのリュックです。


 先輩が普段使っているリュックは、よれよれになってきました。

 それに、荷物が多いときはぎゅうぎゅうになって大変そうでした。


 見た目の印象としては特別大きい鞄ではありませんが、中にはいっぱいの物が入れられる仕組みになっています。

 中の仕切りも多く、荷物がごちゃごちゃあっても綺麗に分けて入れることができ、本やパソコンに傷がつきにくいです。


 店長からアドバイスをもらいながら、瀬名が心を込めて選んだものです。


「もしかしてこれ、バイトの給料で買ったのか……?」

「わう」


「そんな……甘いものを食べたりするのに使ってくれてよかったんだぞ」

「瀬名は甘いものを食べるより、先輩に喜んでほしいです」


 先輩は、しげしげとこちらを見つめました。

「ありがとう、すごくうれしいよ」

 急に、ぎゅっと抱きしめられます。

「!?」


 右手で頭をなでなでされます。

「わう……」

 なんだか、すごくぽかぽかします。普段撫でられているときよりも、ずっと。


 先輩に喜んでもらえて、とてもうれしいです。

 一生懸命色々考えて、どうすればにっこりになってもらえるか悩んで。

 一ヶ月以上もの間バイトしていたのも、全部先輩に喜んでもらうためです。このときのためだったのです。


「先輩と一緒にいると、なんだか胸がぽかぽかします」

 そう言うと、先輩は笑みを浮かべました。

「俺も一緒だよ」


「同じですか?」

「ああ」

 先輩も同じ気持ちなんて、とってもうれしいです。


 瀬名の中の、先輩らぶな気持ちがあふれ出しそうです。

「わう……!」

 瀬名は思い切って、先輩の口に自分の口をくっつけました。


「――――!?」

 先輩が、息を呑んだのが伝わってきました。

 胸がぽかぽかするというレベルではありません。あつあつです。


「せ、せ、せ、瀬名!?」

 先輩はとても慌てています。心なしか顔が赤いです。


「口と口をくっつけるのは、特別なときじゃないと――」

「瀬名、わかりました。今が特別なときです」

「…………」

 先輩はなおもうろたえた様子でしたが、やがて観念したように瀬名の頭を撫でました。




 * *




 先輩は、早速新しい鞄に色々なものを入れ始めます。

「あんなに小さな毛玉だった子から、こんなにいいものをもらえるとは思わなかったよ」

「わふふー」


「今思うと懐かしいなぁ。瀬名がいぬの姿だった頃は、もふもふころころしていてとってもかわいかったんだぞ。まぁ、今もすっごくかわいいけど」

「わう……」

 なんだか恥ずかしいです。


「まさかここまで大きくなるとはなぁ」

 先輩は携帯電話を取り出すと、まじまじと眺めます。瀬名の写真を見ているようです。


「ほら、かわいいだろ?」

 そう言って、携帯電話の待ち受け画面を見せてきます。


「わう!」

 先輩の待ち受けは小さなマルチーズの写真でした。飼い主のひざの上で丸くなってのんきに寝ている姿です。


「こ、こんなのいつ撮ったんですか!」

「瀬名が寝てるときに。かわいいだろ?」

 先輩はあっけらかんと笑いますが、こんな気の抜けた姿、他人に見せられません。


「うう……もうお嫁に行けないです」

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