2 ぺっと・おあ・らばー


 かわいがっている愛犬が、人間の姿になってから、はや五ヶ月ほど。

 もふもふころころとした小さなマルチーズは、黒髪が艶やかな女の子になった。


――瀬名が人間になったのは、先輩のお嫁さんになるためなんですから。


――だって、先輩、瀬名にぷろぽーずしてきたじゃないですか。


 先日瀬名に言われた言葉が、頭から離れない。


 お嫁さん、か……。

 まさか瀬名がそんな目で俺を見ていたなんて……。


 言われてみれば、それっぽい言動がないわけでもなかった……気がする。

 いきなり「生殖行為してもいい」と言っていたのも、けものだからではなく、彼女の中ではそういう間柄だったからということなのだろう。


 だからといって、瀬名は元々かわいい飼い犬だったし、今だって歳の離れた妹みたいなものだし、到底恋愛対象として見られない。


 今日の朝ごはんは、瀬名が自分で作りたいと言い出したので、任せている。


 炊きたての米に、わかめの味噌汁。焼き鮭に、お新香。

 古式ゆかしい和朝食だった。


 こないだ初めて料理の作り方を教えたばかりなのに、いつの間にここまで……。

 ここ最近何か練習しているとは思っていたが。


「料理に一番大事なのは、『あいじょう』だと聞きました。瀬名、先輩へのらぶは誰にも負けません。先輩のこと、世界で一番好きなのは瀬名ですから」

「ら、らぶ……」


「わふふ、瀬名のらぶがたっぷり籠もったごはん、いっぱい食べてくださいね?」

「あ、ありがとう……」

 妙に気圧されてしまうのは、なぜだろう。


 恐る恐る、料理を口に運ぶ。

 味噌汁は出汁の風味が効いており、焼き鮭の塩加減は抜群。粒が立った白米もおいしい。


 しかし、「らぶ」が籠もっていると言われると、食べづらいというかなんというか……。


「先輩、おいしいですか?」

 わうわうな女の子は、純真な瞳で見つめてくる。


「お、おいしい、よ」

「わふふー、瀬名のらぶの証左です。先輩へのらぶは、瀬名のあいでんててーですから」

「…………」


 な、なんなんだ? この居心地の悪さは。

 屈託なく「らぶ」を向けられるのが、こんなに困惑するものだとは思わなかった。


 お嫁さん……瀬名を娶る……そんなこと急に言われても……。


 こないだは「結婚する」と答えたが、正直勢いに押されたところは否めない。

 瀬名のことはもちろん大好きだが、恋愛対象としては見ていないし、そういう関係を望むことが憚られるくらいなのだ。


「瀬名、早く先輩のお嫁さんになりたいです」

 俺の葛藤もつゆ知らず、彼女は話す。


「瀬名は、なんでお嫁さんになりたいんだ? いや、その……俺がプロポーズしたからっていうのもあるけど」

 プロポーズしたつもりはないが、彼女はそう思っているようだし。


「わふふ、大好きな人と結ばれたいと思うのは、当然です。瀬名、先輩の特別になりたいです」

 相変わらず、一切躊躇なく「好き」を口にする子だ。


「人間は好きな人とつがいとなって生涯添い遂げるんでしょう? ステキです……わう」

 夢見る女の子の顔になっている。

「瀬名も先輩とつがいになりたいです」


「つ、つがい……」

 瀬名とつがいになるのか? 俺は……。


「瀬名、きっといいお嫁さんになります。三指ついてお出迎えです」

 なんかお嫁さん像がちょっと古いというか……別にそんなことしなくても良いのだが。家庭のあり方は、当人にとって快適な形が一番だ。

 とはいえ、瀬名がそれを夢見ているというのなら、否定する道理もない。


「瀬名は、人間にしてもらうとき、いぬの神様――古いいぬに人間の知識を教えられたんです」

「教えられた?」

「なんというか……びびびっといんぷっとされました」

 魔法的なことらしい。


 なるほど。瀬名が横文字を苦手とするのは、情報源がいぬの神様という老犬だからなのだろう。知識がなんか古いのも、そのせいだ。


 だいいち、彼女が俺に抱いている感情も、本当に恋愛感情かどうか怪しいものである。

 お嫁さんへの憧れか、小さな子どもが「パパのお嫁さんになる」と言っているようなものじゃないのか?


「先輩のお嫁さんになったら、子どもをいっぱい作りたいです」

「げほっ、げほっ、げほっ」


「わう? 先輩、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……」

 いや、瀬名は色んなことをよくわかってないだけなんだ。


「瀬名は、子どもを作るっていうのがどういうことだかわかってるのか?」

「わかってます。オスとメスがこ――」

「いやいや! そういうことを訊いてるんじゃないんだ」


「む……」

 瀬名はむずかしそうな顔をする。


「大事なのは、子どもができた後だよ。人間の子どもは、いぬの子どもより大きくなるまで時間がかかるし、色々準備が要るんだ。少なくとも二十年くらいは子どもの面倒を見ることになる。だから、ちゃんと計画を立てておくのが大事なんだよ」


「わ、わう……?」

 瀬名の目がぐるぐる回り出す。一度にややこしい話をしすぎてしまったらしい。まぁ、まだそこまで現実的な話をする必要はないだろう。


「瀬名は、子どもは何人くらい欲しいんだ?」

「十人くらい欲しいです。家族みんなで楽しく暮らしたいです」

 基準がいぬだった。


「そうか、にぎやかな方が楽しいもんな」

「はい」

 人間にはさすがに無理がある数だと思うが、わざわざそれを言うのも無粋な気がした。


 結婚に関しても、今すぐ決めることではないだろう。


 思考停止とも言えるが、子どもがいつまでも「パパと結婚したい」わけではないように、瀬名だって少し成長しただけで考えが変わる可能性は大いにある。

 変に具体化させない方が、将来彼女のためになるかもしれない。


「らぶー」

 瀬名はすりすり甘えてくる。


 この子の喜ぶ顔が見られるのなら、まぁ結婚するのも悪くないかなという気分になってくるから不思議だった。

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