16 なるかみのいぬ
家に帰る道中、突然夕立が降ってきた。すぐに傘を差したおかげで、あまり濡れずに済んだ。それだけならいいが、遠くから雷の音まで聞こえてくる。
「まずいな……」
家にいる瀬名は大丈夫だろうか。彼女は雷が苦手なのだ。
空気を震わせる火薬のような破裂音が、やたら間近から聞こえる。
帰宅しても、いつものように瀬名が出迎えに来ない。部屋の奥から、すすり泣くいぬの声が聞こえる。
「わう……っ、わうっ」
瀬名は、クローゼットにしまってある俺の布団の隙間に、そのまま上半身を突っ込んでいた。はみ出ているしっぽまで、小刻みに震えている。
頭隠してしっぽ隠さずとはこのことか。いやいや、それどころじゃない。
「瀬名、大丈夫か?」
「わう……先輩? 先輩っ」
俺の声に気づいて、布団から出てくる。いぬ耳を両手で抑えて、涙目になっていた。俺に気づくと、すぐに抱き着いてくる。
「わうっ、こわいです。瀬名、ひとりはやです……」
「よしよし、もう大丈夫だよ。先輩がついてるからな」
「わう……」
部屋の窓とカーテンを閉めて、テレビをつける。
「瀬名、テレビを見よう。きっと楽しいぞ」
「わう。見ます」
チャンネルを教育テレビに合わせる。ちょうど歌の時間だった。音量を上げて、少しでも雷の音が誤魔化せるようにする。
俺にべったりくっついて、テレビを見る。それでも、時折雷の音がすると不安げに抱き着いてきた。少し雨に当たったことだし風呂に入りたかったが、雷が収まるまでは無理そうだった。
いぬが雷をこわがっても抱きしめるのはよくないらしいが、こんなにおびえて抱き着いてくる女の子を振り払うわけにもいかなかった。
少しずつ慣らしていくしかない。
うーん、雷も克服できるようにしないとなぁ。いぬが雷を怖がるのは仕方がないとはいえ、いつも俺が傍にいられるとは限らないし。
* *
落雷が収まり、瀬名の様子もだんだん落ち着いてきた。
もう少ししたら、散歩に行きたいと言い出すだろうか。
そう考えながらテレビを見ていると、情報バラエティ番組が始まる。
最近は〇〇デレ系女子が流行している、というニュースだ。
まずは、ツンデレ系女子が紹介される。
街頭インタビューされた一般人が、「素直に好意を伝えられなくて、照れ隠ししてるところがかわいい」とか「ツンとデレのギャップがかわいい」などと話している。
「わう? 瀬名、つんでれです?」
うーん、こんな甘えん坊で素直な女の子、ツンデレのツの字もない。
「先輩、つんでれの方がいいですか?」
ツンデレの瀬名? そんなの全く想像できない。
「瀬名は瀬名のままが一番だよ」
そう言うと、彼女はうれしそうに頭をすりすりこすりつけてくる。
「わうー」
テレビは、ほかにも〇〇デレ系女子を紹介していく。
病んでる女の子、通称ヤンデレというものもあり、それを好む層が一定数いるらしい。物騒なものが流行っているんだな、と思った。
「世の中には色んな人がいるんだなぁ」
人間、精神は健康な方がいいと思うが。
「わうー」
なおもうれしそうにすりすりしてくる女の子を見る。
俺は、大切な女の子が笑顔で元気そうにしているだけで充分だ、と思った。
* *
散歩から戻り、ごはんを食べ終える。
瀬名も、昼間の怯えっぷりが嘘のように、明るさを取り戻していた。
しばらくは、落雷がないことを祈るばかりだった。少なくとも、俺が側についていられるタイミングならいいんだが。
そんな心配もよそに、瀬名はへにゃっとしている。
「わうー、おなかいっぱいになるとねむたいです」
「瀬名、無理せず寝たらどうだ?」
「わう、食べてすぐ寝ると牛さんになると聞きました。先輩はいぬと牛どっちが好きですか?」
「えーっと、いぬかなぁ」
「だったら瀬名、もう少し起きてます」
無理しなくていいのに。今にもまぶたがくっつきそうな有様なんだから。
「そうだ、ブランケット洗濯しといたよ」
瀬名がいつも使っている、いぬの足跡柄のブランケットを取り出す。
柔軟剤を使ったから、ふわふわになっている。瀬名の昼寝もこれで捗ることだろう。
わうわうな女の子は、人工の強い香りが苦手だから、洗剤も柔軟剤も全て無香料で仕上げた。
「わうー! ブランケットがふわふわです!」
目をきらきらさせながら、ライナスのブランケットを抱きしめている。
「先輩、大好きです! やっぱり瀬名の先輩は先輩です」
その喜ぶ顔が見られるのなら、安いものだ。
「わうー」
瀬名はブランケットに
いぬは昼寝が大好きな生き物なので当たり前なのだが、瀬名の場合ただ単に子どもだからという理由もありそうだ。
* *
仮眠から起きた瀬名は、俺のひざの上に乗ってくる。
「わう! 先輩のひざの上は瀬名が占拠しました。返してほしければ、瀬名をいっぱいなでなでしてください」
テレビか何かで見たらしい。
「占拠されたら仕方ないなぁ」
俺は、わうわうな女の子の頭を撫でまくる。さらさらな髪の感触が、手のひら全体に伝わってきた。
「どうだ? なでなでは足りたか?」
「わう! もっとです!」
更にご所望らしい。
「しょうがないなぁ」
まぁいぬを撫でると、人間の幸せホルモン――オキシトシンを分泌させると科学的に証明されている。いぬなでなでは健康にいいのだ。
いっぱい撫でられて、瀬名の顔はまたへにゃっとしている。
もう充分だろうと思うが、満足するまで撫でまくるか。
「そうだ。瀬名、しっぽのブラッシングしようか?」
「わう……べ、別にそんな……」
「ちゃんと毎日ブラッシングしないと、もふもふが絡まっちゃうぞ」
「わうー……」
瀬名はしぶしぶしっぽをこちらに向けてくるので、ブラシをかける。
やわらかい毛は、とても絡まりやすい。毛玉になって瀬名が痛がったりしたら不憫だ。
ブラッシングしながら、自然ともふもふを楽しんでしまう。
やっぱり、マルチーズの毛の手触りは最高だ。
「瀬名、ブラッシング終わったよ」
そう言うと、彼女は無言で立ち上がって離れていく。
「ん? なでなではもういいのか?」
「…………」
「?」
* *
瀬名は、絵日記帳に何かを描き始める。
「わうー」
こないだ絵日記帳を買ってから、瀬名は毎日絵日記を描いているようだ。そろそろ二冊目を買わないといけないかもしれない。
ちらりと覗き見ると、白くて小さないぬと俺の絵があった。
「わう!」
見られていることに気づいた瀬名が、きっと睨んでくる。
「ぷらいばしーです! 見ちゃダメです!」
「瀬名もプライバシーを持つ歳になったか……」
感慨深い。これ以上怒られてもたまらないので、俺はそそくさと離れた。
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