11 しょけい・いぬ


 気がつくと、俺は見知らぬ場所にいた。


 壁も床も天井もコンクリート打ちっぱなしで、その上を機械か何かの太い配線がおびただしく這っている。


 身体が動かないと思ったら、俺は金属製で肘置き付きのごつい椅子に座らされ、四肢が拘束されていた。


「な……なんだこれ?」

 拘束は堅く、身体をひねっても力を加えても、抜け出せそうになかった。


 やけに広い空間のようだが、ごてごてとした機械が多く、むしろ窮屈感と圧迫感がある。

 灯りはなく、機械の表示ランプや、遠くにかすかに見えるモニターの光だけが部屋を照らし、薄暗い。


 そのせいですぐには気づかなかったが、俺の足元に小さなマルチーズがいた。

 黒い革の帽子を被り――サイズが合ってなくてずり落ちそうだ――きりっとした目つきをしている。


「せ、瀬名……?」

「わう!」

 これから尋問をする、と瀬名は吠える。


「じ、じんもん?」

「わおん!」

 もし不適当な返答をした場合は――と、白いマルチーズの目がぎらりと光る。


「わうわうん!」

 ビリビリの刑だ、といぬの鳴き声が高らかに響き渡った。


 ビリビリの刑?

 まさか、俺が今座らされている椅子は……電気椅子!?


「瀬名! そんな危ないことはよせ!」

 かわいい飼い犬は、一切飼い主の言葉に耳を貸さない。


「わん!」

 第一の質問らしい。


「わうーん」

 一番好きな犬種を答えよ。


「え、えっと……マルチーズ?」

「きゅーん」

 少しうれしそうな声を出すと、瀬名は質問を続ける。


「わおん!」

 第二の質問。来世でもマルチーズを飼いたいか?


「え、そうだな……」

「わうん?」

 目の前の子犬の目がまたぎらりと光る。まさか飼わないつもりか?と瞳で言っている。


「えっと、飼いたい……飼いたい、よ」

「わふふ」

 半ば言わされた形になったが、瀬名はそれでも満足そうにしている。


「わおん!」

 次の質問だ。

 マルチーズ犬と付き合いたいか?


「つ、付き合う?」

 「どこに?」なんて無粋な質問はしない。


「いや、付き合いたくはないかな……」

 さすがにマルチーズを恋愛対象として見たことはない。


「わうーん!」

 瀬名は一段と強く吠えると、どこかに何やら合図をした。処刑執行だ、と言っている。


「え、待ってくれ! これで処刑は横暴だろ!?」

 哀れな子羊の制止も空しい。


 どこからともなく、料理運搬用のワゴンが独りでに滑ってきて、瀬名の横でぴたっと止まる。そのワゴンの上には、細かく切られたパイナップルがたくさん乗せられた皿がある。パイナップルにはご丁寧につまようじまで刺さっていた。


「ま、まさか……」

 ビリビリの刑というのは……。


「わふふ」

 不敵な笑みを浮かべて、瀬名は俺のすぐ横にある台座にぴょんと飛び乗り、俺の口にパイナップルを押し込む。


「や、やめ――むぐ」

「わふふふふ」

 まずい、舌がビリビリする――!

 パイナップル自体は甘くておいしいが、舌が痛い。


「わふ……」

 これはとびきり若いパイナップルだ。さぞかしビリビリするだろう、と瀬名は笑う。そして、俺の口にどんどん詰め込んでいく。


 やめてくれ、これ以上ビリビリしたら――

「うわああああああっ」




 * *




 処刑を受けている最中、俺はどうにか目を覚ますことができた。

 夢だったのだ。


 カーテン越しの窓の外の明るさを見るに、まだまだ早朝と言っていい時間帯だった。


 先ほどまでの処刑人は、俺の横ですやすや眠っている。もちろん、人間の姿で。

 瀬名が、あんな凶悪な拷問をするわけがない。


「ふわああ……」

 俺はあくびをひとつすると、二度寝する態勢に入った。




 * *




 瀬名が人間の姿になってから、しばらく経った。

 さすがに俺も、家の中に女の子がいる暮らしに慣れてきた。


 彼女はとってもいい子だし、一緒に暮らしていく上で不便さは感じない。人間の生活に慣れていないところはあるものの、教えればなんでもすぐに覚えるし。

 ちょっと食いしんぼうなところはあるが。


「わうー」

 瀬名は、部屋の隅で洗濯物を干している。


 俺は、ちゃぶ台の前に座り込もうとして、止まる。

「ん?」


 床に、かわいい色の布が落ちている。

 嫌な予感がして恐る恐る窺う。


 これは、まさか……。


「せ、瀬名! 床になんか落ちてるぞ!」

 洗濯物を運ぶときに落としたらしい。


 基本家事は俺がやっているが、彼女の下着だけは自分で洗濯してもらうことにしていた。洗濯機の回し方も、部屋干しの方法も、一度教えたらすぐに習得した。


「わう。ぱんつくらいで一々うるさいです」

「な……!」

 けものすぎる。


「あ、あのな、パンツはほかの人に見られちゃダメなんだよ」

「これ、先輩が買ったものですよ? いつも部屋に干してますし」


「そ、それはそうだけど……部屋に干すときは、ピンチハンガーの外側にタオルを干して、見えないようにしてるじゃないか。とにかく、慎重に扱ってくれ。いいな?」


「わう……」

 瀬名はそそくさと布を拾い上げると、片づける。危ないところだった……。


 うーん、どうにか人並みの羞恥心を持ってほしいのだが。元々服もへったくれもないもふもふな生きものだったから、仕方ないのだろう。


 洗濯物を干し終えた瀬名は、お絵かきをしている。


 今日は、俺と白いマルチーズが手をつないでいる絵を描いていた。周りには、昨日の散歩で見かけた花や植物が舞っている。


 写真を撮ったわけでもない、少し見ただけの花なのに、よくここまで精密に描けるものだ。のほほんとしているように見えて、観察力や記憶力がすごいのかもしれない。




 * *




 ソファで本を読んでいると、わうわうな女の子がひざの上に乗ってくる。

 頭を撫でると、うれしそうに「わうー」と鳴いた。


 いつもくっつかれて、さすがに慣れてきた。

 むしろ、いっぱいなでなでや抱っこをしてあげないと、瀬名に悪い気がする。


 彼女は頭をすりすりしてくる。

「まーきんぐです」

 自分の匂いをつけているらしい。


「先輩のひざの上は、瀬名の定位置です」

 確かに、瀬名は俺のひざに乗ってくるのが好きだった。


「瀬名以外、ひざに乗せてはダメですよ? 先輩は瀬名の先輩ですから」

 うーん、やきもち焼きないぬだ。


「あはは、乗せないよ」

 そもそも、乗ってくるような生きものは他にいないし。


「わふふー、うれしいです」

 今度は、頬ずりをしてくる。スキンシップが多い子だ。


「瀬名のほっぺはもちもちだなぁ」

「わう? いいことです?」

「ああ、いいことだよ」

「わうー」


 瀬名は更にほっぺをすりすりしてくる。

 まさにいぬのじゃれつきだ。じかに伝わってくる、もちもちな感触は別だが。


 不意に、もふもふの感触が恋しくなった。

 彼女がいぬの姿だった頃は、毎日もふもふしまくっていたのに、いきなりもふもふがなくなってしまったのだから。


「瀬名、しっぽを撫でてもいいか?」

 俺は、思い立って尋ねてみる。ぶんぶん左右に揺れている丸っこいしっぽは、マルチーズのなめらかな毛並みそのままだった。


「わう……」

 瀬名はなぜか躊躇っている様子だったが、やがてこくりとうなずく。

 お言葉に甘えて、俺はしっぽに手を伸ばした。


 魅惑の手触り。シルクよりも上等なもふもふ。

 いくらでも触っていられそうだ。


「瀬名のしっぽは触り心地がいいなぁ」

「わ、わう……」


「いくらでも触っていられそうだよ」

「きゅ、きゅーん……」

「ん? どうしたんだ?」

「な、なんでもないです……」


 なんだか様子が変だが。

 俺は魅惑のもふもふに取り憑かれ、しっぽを触り続ける。


 そんなこんなで、このわうわうな女の子との暮らしは続いていくのだった。

 

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