3 えんじょい・ひとらいふ


 瀬名が人間の姿になってから、今日は初めて大学がある。


「瀬名、いつもみたいにお留守番できるか?」

「わう。もちろんです」


 冷蔵庫にはごはんを用意しておいたし、電子レンジの使い方も教えた。

 瀬名が退屈しないように色々おもちゃもあるし、テレビもあるが、なんだか心配だった。


 何かあったら電話してもらおうにも、家には固定電話を置いていない。公衆電話の使い方を教えるのはまだ早いし、電話を掛けるために出歩かせるのは逆に危なっかしい気がする。


 普段お利口に留守番しているんだし、そんなに心配する必要はないのかもしれないが、もし何かあったらと思うと……。


 いやいや、俺が不安になったら、瀬名にまで悪い影響を与えてしまう。


「瀬名、いってきます」

「わう。いってらっしゃいです」


 今日はいつもより急いで帰るか……。




 * *




 今日の講義を全て終えた俺は、寄り道せずにまっすぐ家へと帰る。


「わうー」

 家のドアを開けると、瀬名は長い丈のスカートをはためかせながら、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「先輩、おかえりなさい」

「ただいま。ひとりで大丈夫だったか?」

「当然です。瀬名、お留守番は得意です」


「よしよし、いい子だな」

「わうー」

 頭を撫でると、瀬名はうれしそうにしっぽを振る。


 わうわうな女の子は、こちらの匂いをくんくんかいでくる。

 一瞬ぎょっとするが、まぁいぬだしな。


 キッチンの調理台の上には、綺麗に完食された皿が置いてある。よかった、ごはんもしっかり食べたらしい。


「先輩、お散歩に行きたいです」

「あはは、わかったよ。荷物置いてからな」

「わう」




 * *




 例によって、手をつないで街を歩く。風はまだ爽涼としているが、もう少し経てば熱気を運んでくるだろう。


「先輩、これはなんていうんですか?」

 隣を歩く女の子は、しゃがみ込んでたんぽぽの綿毛を見つめている。


 瀬名は、散歩中に見かける花をよく気にする。名前を訊いてきたり、まじまじと観察したりしている。

 思えば、いぬだった頃も花をよく気にしていた。好きなのだろう。


 一緒に歩いていると、自分が色んな植物の名前を知らないことに気付かされる。その場で調べたり、ふたりで考えたり、学ぶことが多くて楽しい。


「それはたんぽぽだよ」

「たんぽぽ? たんぽぽは黄色い花です。こんなにふわふわしてません」


「このふわふわは、花じゃないんだよ。たんぽぽは花が咲いた後、種が遠くまで飛んでいけるようにふわふわになるんだ」

「飛ぶ? このふわふわは羽ってことですか?」


「ああ、そんな感じかな」

「わう……」

 瀬名の瞳が知的興味に輝く。


 俺は、試しにたんぽぽの綿毛に息を吹きかけてみた。すると、丸い綿毛は一気にふんわり広がって、空に舞っていく。


「わう……!」

 横にいる少女は、目を丸くする。


「たんぽぽ、飛んでいきました」

「これで、またどこかでたんぽぽの花が咲くんだ。瀬名もやってみるか?」

「わう! やります!」


 瀬名は、すぐ近くにあった別のたんぽぽの綿毛に、思い切り息をふーっと吐く。綿毛が広がって、ふわふわと風に流されていく。

「おもしろいです」


 手をつないで、再び帰路に戻る。

 瀬名は、たんぽぽの綿毛を見かけるたびに息を吹きかけていた。


 その調子で歩き続けていたが、突然カフェの前で立ち止まる。

 店先には看板が立っていて、新メニューと思しきパフェの写真がでかでかと載っていた。


「これ、食べものですか?」

「ああ」

「不思議な形です」


 小柄な女の子は、パフェをじっと見つめている。

 なんだか気になっている様子だ。


「入ってみるか?」

「わう!」

 夕食前だが……まぁいいか。


 喫茶店のドアを開けると、からんころんという鈴の音が鳴る。


 初めて飲食店に入った女の子は、相変わらずきょろきょろと店内を見回す。


 店内は、シックな木目調で統一された内装で、洒脱なインストミュージックが流れている。

 北欧風の小さなシーリングライトが暖色の光を落としていた。


 客は数人いて、各々が本を読んだり携帯電話をいじったりしている。


 今まで瀬名に馴染みがなさそうな雰囲気だ。

 俺の手を握る手に、力が加わっている。少し緊張しているらしい。


 俺たちが案内されたボックス席は、長方形のテーブルを挟むようにして、ふかふかのソファが置かれていた。


「わう……」

 俺の横に座った瀬名は、どこかそわそわしている。


「瀬名、メニューを見ようか」

 差し出されたメニューを見た彼女は、むずかしい顔になる。


「横文字がいっぱいでよくわからないです」

「あはは、そうだな」


「先輩、どれが一番いいんですか?」

「一番いいものか……」


 ここは俺も初めて来る店だから、よく分からないが。

 このわうわうな女の子が気に入りそうなものはなんだろう。


 そう考えながらメニューをぱらぱらめくっていると、期間限定のいちごとチョコのパフェが目に留まる。


 瀬名が店先の看板で目に留めていたのもこれだし、ちょうどよさそうだ。


「このパフェはどうだ?」

「わう? ぱへです?」


「あはは、パフェだよ」

「ぱへ?」

「パフェ」

「ぱへ!」


 思わず笑いが込み上げてきて、必死に押し殺す。だが、瀬名は不満げにむくれた。


「わう! 横文字は言いにくいです」

「あはは、言いにくいな」

 とはいえ、ぱへを頼むことにしたらしい。


「瀬名、折角喫茶店に来たんだし飲み物も頼むか?」

「わう」

 なんとなくコーヒーは苦手そうだし、紅茶の方がよさそうだ。


 チョコパフェと紅茶を注文する。


「ぱへ、どんな味か楽しみです」

「きっとすごく甘いよ」

「わうー、早く食べたいです」


 まずは、紅茶が運ばれてくる。ディンブラのレモンティー。あっさりした風味で飲みやすいものだ。


「熱いから、ふーふーして冷ましてから飲むんだぞ」

「わう」


 瀬名はこくりとうなずくと、紅茶をふーふーし始める。まぁ、彼女は猫舌ではないと思うが。


「いい香りがします」

 紅茶の風味を解するいぬのようだ。


「コーヒーも飲んでみるか?」

「飲んでみます」

 俺が注文したコーヒーを、一口なめてみる瀬名。


「わう……」

 途端、渋い顔になる。

 好き嫌いがない子だと思っていたが、さすがにこの苦味はまだ早いらしい。


 そうこうしている内に、いちごとチョコのパフェが運ばれてくる。


 大きなあまおういちごが贅沢に使われており、ストロベリーシャーベットとチョコクリーム、白いホイップクリームにチョコブラウニーが層を織り成している。


 いちごに囲まれたソフトクリームには、板チョコが刺さっており、とどめと言わんばかりに、チョコソースがかかっていた。

 チョコといちご、おいしくないはずがない組み合わせである。


 結構大きいパフェだが、ひとりで食べ切れるのだろうか。まぁ、無理だったら俺が食べればいいか……。


 瀬名は、恐る恐るパフェの一番上に刺さっている板チョコをかじる。


「わう……!」

 それから、夢中になってチョコレートを頬張る。


 普段は感情があまり顔に出ない少女だが――しっぽを見れば一目瞭然ではある――今ばかりは目がきらきら輝いていた。


「これ、とってもおいしいです!」

「ああ、それはチョコレートって言うんだよ」


「ちょ、ちょこれーと……こんなにおいしいものがこの世にあったなんて……! 先輩、どうして今までこんなおいしいものを食べさせてくれなかったんですか!」


「え、いぬにとってチョコレートは毒なんだよ。そんなものを瀬名に食べさせるわけにはいかないだろ?」

「わう……そうだったんですか」


 そう言いつつも、スプーンを持つ瀬名の手は止まらない。

 ソフトクリームを、ブラウニーを、チョコソースを、スプーンですくい取って、口に運んでいく。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330650285791492


「これが……ぱへ……」

 大きなパフェが、どんどんなくなっていく。


「人間になってよかったです」

 にこにこで幸せそうにしている。

 その笑顔は、見ているこっちまで幸せになりそうな表情だった。




 * *




「わうー、ぱへおいしかったです。また食べたいです」

 よっぽど気に入ったらしい。家に帰ってからもその話をしている。


 まさか、あんな大きなパフェをひとりでたいらげるとは思わなかったが。


「いつでも食べられるよ。またあの喫茶店に行こう」

「わう! 約束ですよ?」

「ああ、もちろん」


 瀬名はうれしそうに、俺のひざの上に乗ってくる。

「先輩のひざ、好きです」


 たれ耳の女の子は、俺の頬を舐める。ぬるぬるした犬の舌ではなく、人間の女の子の舌が俺の肌を這う感触。


「う、うわっ」

「?」

 素っ頓狂な声を出した飼い主を、瀬名はきょとんとした顔で見つめている。


「舐めたいです」

「うーん……」

 いぬの習性か……。だとすると舐めるなとも言いづらい。


「……じゃあ、家では舐めていいけど、外ではやるなよ?」

「わう」


 瀬名はこくりとうなずいてから、またぺろぺろ舐め始める。

 本当にいぬだな……。


「瀬名、顔は舐めていいけど口は舐めちゃだめだぞ」

「どうしてですか?」


「人間は特別なときにしか口と口をくっつけちゃダメなんだ」

「どんなときですか?」


「……こほん。そのときが来たらきっとわかるよ」

「わう?」


「先輩との約束だからな」

「……わうー」

 瀬名はしぶしぶうなずく。そして、また俺の頬をよだれだらけにする作業に戻った。

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