第14話:魔術師の最期


 魔術師の塔とは、神秘を探究する工房であると同時に、難攻不落の要塞でもある。

 内側が死の罠に溢れた迷宮なら、外側は竜であっても容易く崩せぬ金城鉄壁。

 加えて、この塔の主は《大星球儀》の光を受けし星の一つ。

 宮廷魔術師ギュネスは、己の塔が外から崩される事などあり得ぬと自負していた。

 が、その自信は今、硝子よりも脆く打ち壊された。


「そん……な、馬鹿な……っ!?」

「……? あぁ、そうか。貴様がギュネスの本体か。

 投影体の方とあまりに面構えが違うせいで、流石に分からなかった」


 狼狽える老爺を見下ろし、ヒルデガルドは細い吐息と共に呟いた。

 塔の最上階、ギュネスの工房を半ば粉砕した戦斧。

 露わになった薄曇りの空を背に、《忌み姫》は分厚い刃を軽々と持ち上げる。

 威風堂々たるその立ち姿を、ガイストは床に這った状態で見上げていた。


「やぁ、姫様。さっきぶりだな」

「……ふん。貴様か、何故こんな場所にいるかは問うまい。

 また随分と無様な格好をしているな」

「面目ない。一応、それなりには頑張ったんだけどな」

「その努力は認めてやろう。望むなら、褒美をくれてやっても良いぞ」

「マジか。あ、何でも?」

「あまり調子に乗るなよ貴様」


 冗談まじりの言葉だったが、ガイストは思いの外本気で受け取っていた。

 それに唸る声で応じつつ、ヒルデガルドは視線をギュネスに向ける。

 狼の牙を受けた腕は、傷こそ深いが既に血は止まっていた。


「流石に、姿かたちまで偽っているのは予想外だったよ」

「……何故」

「何故、私がこの場にいるか。本当に分からないのか、魔術師」


 笑う。ヒルデガルドの唇は、美しい三日月の弧を描く。

 分からない。怒りと恐怖が混ざり合い、ギュネスは混乱の渦中にあった。

 確かに、侵入してきたガイストに気を取られていたのは間違いない。

 そのせいで投影体との接続は甘く、ヒルデガルドから意識を外した時間も多い。

 だが、繋げた知覚で彼女が《王器》の前から動いていないのは確認していた。

 これに関しては間違いないはず――だというのに、一体何故?


「影を自在にするのが、お前だけの専売特許だと思ったのか?」

「何……?」

「私は影を操る。ならばどうして、と考えなかった」


 言いながら、ヒルデガルドの姿が揺らめく。

 地を這うはずの影が立ち上がり、黒い平面から色を持つ立体へ。

 一瞬、ほんの僅かな時間で、影はヒルデガルドと全く同じ姿に変わっていた。

 驚愕する老魔術師に、二人の姫君は残酷に微笑んだ。


「見ての通りだ、魔法使い」

「お前の意識が外れた時を狙って、影と実体を入れ替えた。

 私のやった事はそれだけだ」

「まさか、我が秘術と同じ……!」

「いや、『同じ事ができる』は訂正しよう。

 投影体一人なら、私は本体と同時に動かせる」

「完全に意識を移さず、影と実体で二つに分割するぐらいは造作もないからな」


 まったく同じ姿形と声で、姫君二人はそれぞれ別の言葉を口にした。

 どちらが影で、どちらが本体か。分かれた場面を見ていても、全く分からない。

 ヒルデガルドの超常的な力に、ガイストもギュネスも舌を巻くしなかった。


「――さて、お前の疑問には答えてやった。もう思い残す事はあるまい」

「ま、待て、待ってくれっ!」

「待ったとも。お前が私に言った通り、十分に待って考えを定めた」

「わ、私が悪かった、正式に謝罪しよう! ほんの戯れのつもりで……!」

「禁術を用いて星を落とすと、お前はそう言っていたはずだが?」

「そのぐらい、本気であったのだと、そうお伝えしたかっただけなのだ!

 誓って、王都を滅ぼすつもりなどなかった! 信じてくれ……!」


 死ぬ。あっさりと、事もなげに死ぬ。

 回避しようがない死の予感に、ギュネスは必死にわめき立てた。

 声を張り上げ、その裏では思考を限界まで回し続ける。

 この窮地を、この死線を、どうすればくぐり抜けることができるのか。

 兎に角、今は時間を稼いで、此処から逃れるための術式を。


「そうか」


 穏やかで、優しく柔らかな声。

 たった一言に、花束のように溢れる憐憫を込めて、ヒルデガルドは告げる。

 声の響きを耳にして、ギュネスは僅かに表情を緩めた。


「そ、そうだ。そうだとも。落ち着いて、私の話を聞いて欲しい。

 確かに、先ほどの振る舞いが無礼だった事は認めよう。姫のお怒りはもっともだ。

 だが、私もアルデイル連邦の代表として、宰相殿や大法官殿に認められた身。

 これまで貴女が屠ってきたような、粗野で愚かな連中とは根本的に異なるのです。

 仮にここで私に万一があったなら、両国の関係に禍根を残すことになりかねない。

 ですから、ここは一度武器を収め、冷静になってお考えを――」

「死ね」


 これ以上、下らぬ命乞いなど聞きたくもないと。

 《忌み姫》の裁きは、愚かな魔術師へと一切の慈悲無く下された。

 術式を使う暇もなく、大戦斧が風ごと肉と骨を断つ。

 枯れ枝を落とすように、あっさりとギュネスの首は切り飛ばされる。

 我が身に何が起こったのか、呆けた表情に理解の色はなかった。

 首は乾いた音を立てて床に落ち、遅れて身体の方も倒れた。

 流れる血を、ヒルデガルドは躊躇なく踏みつける。


「お前が誰であれ《王器》の簒奪を企て、あまつさえ無辜の民に手出しをしたのだ。

 死ね。それが身の丈に合わぬ野心を抱いた、愚か者の末路に相応しい」


 吐き捨てて、斧を濡らす血を無造作に払い落とす。

 主であるギュネスが死んだ事で、魔力を帯びた星球儀も光を失った。

 隔てる魔術の壁は消え、ガイストを拘束していた人形兵もその動きを止めた。

 貫かれた手足を強引に引き抜いて、不死身の男は大きく息を吐き出す。


「くっそ痛ェ。流石に串刺しにされっぱなしはしんどいわ」

「死なぬのなら、大した問題でもあるまい」

「まぁ、そりゃそうなんだけども」


 痛みに堪えた様子もないガイスト。彼を一瞥し、ヒルデガルドは呆れた顔をした。

 四肢に刻まれた傷から、今も大量の血が流れている。

 並の人間なら死に至るほど溢れると、今度は広がった赤色が傷口に戻っていく。

 失血死したため、蘇生が始まったのだ。

 悍ましいが、最早ヒルデガルドにとっては見慣れた光景でもあった。


「…………」

「……む。珍しい、お前も怪我をしているのか?」


 無言で傍に寄ってきた灰色狼。姫君は手を伸ばし、血に濡れた毛皮に触れる。

 気遣う力加減で、硬い毛も構わず何度も撫でていく。

 優しい指先の感触に、灰色狼は気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「特に傷はない、か」

「……ルゥ」

「何を言っているかは分からんが、可愛らしい奴だな。お前は」

「姫様ー、俺の心配はしてくれない感じで?」

「不死身の男の、一体何を心配しろと?」


 灰色狼には優しく、ガイストには乱雑に。

 姫君からのあまりの扱いの差に、不死身の男は声を上げて笑った。


「……ところでお前、私が来なかったらどうする気だったんだ?」

「ん? まぁ何とかしたと思うよ。うん、何とか」

「まったく考えていなかったとしか聞こえんのだが……?」

「そうとも言うかも。あ、ちょっと姫様、刃物投げないで死んじゃう」


 容赦なく飛んでくる剣や槍を、ガイストは床を転がって回避した。

 撫でられている灰色狼は、必死な相棒とは対照的に、呑気に腹まで見せていた。


「くそっ、俺だってめっちゃ頑張ったのに……!」

「努力は認めよう、努力は。結局、ギュネスの奴に拘束されていたとしてもだ」

「俺は死なないだけなんで、数を頼みに押されるとキツいんですよ」

「良い事を聞いたな。次からは、その手も使わせて貰おう」

「そういえば分身できるんでしたね……!」


 そのままにしていた影の自分を、ヒルデガルドは足元に戻す。

 戦いぶりは見てないが、本体と同等の戦闘力を持っているとしたら悪夢だ。

 一人相手でも良い勝負が限度なのに、二人相手など勝ち目が見えない。

 軽く絶望するガイストに、ヒルデガルドは機嫌良さそうに笑う。


「どうした、ようやく己の無謀な行いを悔いる気になったか?」

「いやいやまさか、こっちから挑んだ話なんだ。勝つまでやる気だよ、俺は」

「そうか。ちなみに、城でお前が戦った影の兵もその気になれば複数出せるぞ」

「ホントに変身二回ぐらい残してるとはなぁ……」


 まだまだ底が知れず、まだまだ勝利は遠い。

 改めてその事実を認識しながらも、ガイストの顔に陰りはない。

 もっとも、兜で大半が隠れているせいで、表情は伺い知れないわけだが。

 と、人々のざわめく声が、微かにヒルデガルドの耳に届いた。


「……何だ? なんの騒ぎだ?」

「あー、そりゃまぁ、かなり派手にやったし人も集まってくるだろ」

「それは――確かにその通りか」


 粉砕した外壁を軽く跨いで、塔の下へと目を向ける。

 広場の外周辺りに、様子を見に来た街の人々の姿があった。

 危険を考慮して遠巻きにしてるが、彼らは一様に不安と好奇に満ちていた。

 突如として現れた謎の塔。その最上階が突然爆発し、そのまま沈黙したのだ。

 この状況で危険が起これば、脅かされるのは先ず街の住民たちだ。

 気になって様子を見に来るぐらい、想定して然るべき事だった。


「一声かけてやったらどうだ?」

「私が、彼らにか?」

「俺が何か言うよりも、王族である姫様が言った方が絶対効果あるからな。

 ほら、下手すると様子見に中に入ろうとする奴も出るかもだ」

「…………分かった」


 気が進まない……というより、何処か怯えを含んだ様子のヒルデガルド。

 そんな彼女の手に、灰色狼が軽く頭を擦り付ける。


「…………」

「……これは、何を言いたいんだ? ガイスト」

「自らが吼える声を、どう思われるか気にする狼はいないそうだ。

 生意気にも、なかなか的確な助言じゃないか?」


 冗談めかしてガイストの手は、容赦なく牙が食い込んだ。

 痛みにのたうち回る男を見ながら、ヒルデガルドは微かに笑みをこぼした。


「……そうだな。まったく道理だ」


 呟き、細い指先で自らの顔をなぞる。

 影のヴェールで表情を隠した上で、ヒルデガルドは砕いた壁から身を乗り出す。

 遠くからでも見えるよう、大戦斧は頭上に高く掲げた。


「――聞け! バルド王国の臣民、王都の住まう全ての民よ!

 我はヒルデガルド! 覇王ガイゼリックの娘、《王器》の守護者ヒルデガルドである!」


 欠けた火の心臓の下に、王女の声は良く通る。

 ざわりと、それを耳にした全ての人々が大きくざわめいた。


「……姫様? ホントにヒルデガルド様か?」

「嘘だろ、城の奥から出てきた事なんてなかったのに……」

「いや間違いないだろ。塔のてっぺんが爆発するのを見たんだ。

 そんな真似ができるのは、ヒルデガルド王女殿下しかいないだろ」

「じゃあ、王女様がアレをやったのか?」

「……この塔は、愚かにも《玉座》を掠め取らんとした異邦の術師のもの。

 だが、不埒者は既に我が裁きを受けた。故に恐れる事は何もない。

 されど、未だ塔には死をもたらす数々の仕掛けが蠢いている。

 誰も我が許し無しに近付く事は認めない。それだけは胸に刻みつけよ!」


 一瞬の沈黙。直後に、人々の口から歓声に近い声が上がった。

 ヒルデガルドは、ヴェールの下で戸惑いの表情を浮かべる。

 てっきり、彼らは自分の言葉に恐れ慄くと思っていたからだ。


「別に、そう不思議がる事でもないだろ?

 不満を持ってる奴は当然いるが、案外都での姫様の評判は悪くなかった。

 で、今回は分かりやすく活躍したわけだからな。こんぐらいの反応は普通だよ」

「……私、は」


 ヒルデガルドの名を呼ぶ声がする。

 顔さえ知らず、噂でしか聞かない《忌み姫》が突然現れた塔の魔術師を成敗した。

 分かりやすい事実と、ヒルデガルド自身の言葉に人々は歓喜を示したのだ。

 覇王ガイゼリックの正当な血筋は、強き力で自分たちを守ってくれていると。

 馴染みのない感情の波を受け、ヒルデガルドの戸惑いは更に強まる。


「…………」

「……姫様、大丈夫か?」

「……私は、城に戻る。お前は塔を下りて、扉を塞げ。頼めるな?」

「ん? そりゃあ大丈夫だが」

「では任せる。褒美を取らせると言ったが、そちらは日を改める。

 よほどの無茶でない限りは聞いてやろう」

「あ、その話は真面目に言ってたのか」


 微妙に驚くガイストを残し、ヒルデガルドは塔の上から高く跳んだ。

 あまりに素早いため、下にいる民衆のほとんどは見えなかっただろう。

 一瞬で遠ざかった姫君の背を探すように、ガイストはしばしの視線を彷徨わせる。


「……姫様のご褒美か」


 別にそれが目的ではなかったが、相手がくれると言うなら素直に貰う主義だった。

 何をおねだりするべきか、不死身の男は真面目に考え始めた。


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