第13話:ダンジョンアタック


 ギュネスは投影体から意識を引き戻した。

 全てではなく、向こうの動作を維持できるよう一部だけは残した状態で。

 肉体の五感と繋がると同時に、耳障りな音が頭の中に飛び込んでくる。

 酷く不快なその響きは、侵入者を告げる緊急の警笛だった。


「一体どこの誰だ……! 不躾に上がり込むなど不届きであろう!」


 自らの所業は完全に棚に上げ、魔術師は憤りを露わにする。

 彼が身を置くのは、塔の最上階。古き神秘が息づく工房。

 半球形の広い空間には、魔道の品々がある種の秩序を持って並んでいる。

 徒人が見ても、その大半はどんな役割を持つのか不明だろう。

 その中から、ギュネスは水晶で造られた一枚の石版タブレットを手に取った。

 精密に磨き上げられた表面に、爪の先が触れる。


「見透せ」


 一言。力と意思を込めた言葉を唱える。

 たちまち美しい水晶の表面が波打ち、色彩の洪水が渦を巻く。

 不定形な色は激しく動き、程なくしてそれは塔の内部を映し出す鏡となった。


「塔の門は、翼でもなければ入り込むこともできぬはず。

 まったくこの忙しい時に……!」


 身勝手な怨嗟を呟きながら、水晶板に刻んだ術式を操作する。

 指先の動きに合わせ、映る景色は次々と切り替わっていく。

 無味乾燥とした石造りの通路にぶち撒けられた、幾つもの血痕。

 魔術師の塔には、侵入者を効率的に殺害するための罠がひしめいていた。

 迫る壁や、押しつぶす天井などの絡繰り仕掛け。

 触れただけで命を吸い尽くす死の紋章や、血も涙もない無慈悲な守護者たち。

 主であるギュネスか、その許しを得た者しか進むことかなわない死の迷路。

 大量にこびり付いた血の量を見て、ギュネスは満足げに笑った。


「ふん、久しく招かれざる客人が来たかと思えば、とんだ肩透かしだな」


 確認したのは、塔の入り口から中層辺りまで。

 どの通路や部屋を覗いても、あるのは血と肉片のみだ。

 何人が侵入したかまでは不明だが、最低でも十人分にはなるだろうか。

 流石のギュネスでも、流れた血を目分量で推測するのは困難だった。

 下らんとため息混じりに呟いて、水晶板の術式を解除する。

 貴重な時間を無駄にしてしまった事に、僅かな苛立ちが脳髄を焼いていた。


「……落ち着け。万事、我が事のようにとは行くまい。

 予定に狂いはなく、何も問題はないのだ」


 呟き、投影体に残した意識に知覚を接続する。

 相変わらず、《緋の玉座》の前でヒルデガルドは静かに佇んでいた。

 何をするでもなく、ただ強い瞳でギュネスの投影体を睨んでいる。

 鋭く硬く、何者も寄せ付けない。それは王者の眼光だった。

 魔術による傀儡を挟んでいるにも関わらず、全身が震え上がるほどだ。


「《忌み姫》、ヒルデガルド女王殿下。まったく、噂に違わぬ恐ろしさよ」


 畏怖を感じながらも、ギュネスは彼女を大した脅威とは見ていなかった。

 頭上を見上げれば、工房の天井付近に輝く光がある。

 夜に浮かぶ星々を模した結晶の球体、即ち星球儀。

 アルデイル連邦が擁する《王器》、《大星球儀》――そのレプリカだ。

 宮廷魔導師であるギュネスは、《王器》の力を一部ながら扱う権利を有していた。

 星を落とす禁忌の秘術も、その力があってこそ行使が可能となる。

 塔全体を駆け巡る魔力の脈動に、魔術師の口元は笑みの形につり上がった。


「素晴らしい。あぁまったく素晴らしい!

 今や地上に残る《王器》の大半は、いずれかの国が所有している。

 一個人が手にする機会など、本来ならば絶無。

 それがまさか、こんなにも容易く手に入ろうとは……!」


 まだ獲ってもいない獲物の皮を数えるなど、愚か者の所業と人は笑うだろう。

 だが、ギュネスは自分が既に王手直前であると考えていた。

 勝利には指をかけた後であり、時が経てば全てが思う通りとなる。

 故に魔術師は笑っていた。

 約束された栄光の未来は、もうこの手の中にあるのだと。


「……しかし、いつまで鳴っているのだ? 侵入者など、とうに死んだはずだろう」


 工房内に響き続ける警笛の音。聞き漏らしなどないよう、音量は相当に大きい。

 耳障りな騒音に顔をしかめ、ギュネスは術式に干渉すべく指を動かした。

 警笛の音が途切れるのと、扉が破られるのはほぼ同時だった。


「なっ……!?」

「……はー、ヨシ。ここが最上階か?」


 ベチャリと、赤い血を床にこぼしながら。踏み込んでくる一人の男。

 返り血ではなく、鎧の大半を己の赤で染めながら、ガイストは大きく息を吐いた。

 その後ろから、灰色の毛皮に赤を混ぜた狼も続く。

 あり得ざる客人の訪問に、魔術師は激しく心を乱した。


「き、さま、何者だ! いや、そもそもどうやって此処まで……!!」

「あ? あー、お前がこの塔の持ち主か? 街のど真ん中にこんなもん立てるなよ」

「ッ――いいから答えろ、無学な野蛮人めがっ!」


 狼狽え、大声で怒鳴り散らす。動揺は残っているが、ギュネスは思考を回す。

 焦って騒いでいるだけに見せかけて、指先は塔の術式に触れていた。

 気付いているのか否か、ガイストは魔術師の疑問に応じる。


「梯子」

「……何?」

「だから、梯子。流石に、あの高さにある扉までよじ登るのは無理だったからな。

 街の人たちに頼んで、梯子を無理やり繋げて上ったんだよ」

「…………」

「あ? そういう事を聞いてるんじゃないって?」


 胡乱げな狼の視線を受けて、首を捻るガイスト。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい返答に、ギュネスも絶句してしまった。


「……死の罠が、無数に仕掛けられていたはずだ。凶暴な守護者たちもいた。

 なのに何故、貴様は私の工房まで辿り着けたのだ」

「そりゃもう死ぬほど頑張って上ってきたんだよ。

 階段が一番しんどいまであったな」

「我が魔道を愚弄するつもりか、貴様!」

「いや、別に。そんなに興味もないし。

 ……つーか、そんな興奮しないで落ち着けよ。

 息が切れても知らないぞ、

「ッ――――!」


 若く、己が理想とする姿を映し出した投影体。

 それとは似ても似つかぬ老魔術師は、決して冷静さを失ったわけではなかった。

 そう見えるよう装う事で、相手の不意を打つ計算もしていた。

 が、しかし。今のガイストの一言で、激情が頭の中を完全に支配してしまった。


「大人しく屍を晒せ、下郎がァッ!!」


 投影体に施した虚飾、その欠片すら存在しない真実の老醜。

 取り繕う理性もかなぐり捨てて、ギュネスは叫びと共に術式を発動させる。

 工房の壁際に並び立つ、合わせて五体の人形。

 腕を六本持つ異形の瞳に赤い光が灯り、俊敏な動きでガイストに襲い掛かった。

 腕から飛び出した無数の刃は、鎧など紙切れのように刺し貫く。


「ハハハ、愚か者が! これで――」

「いきなり痛ェだろうが、このクソジジイ……!!」


 常人ならば、当たり前に即死するはずの傷だ。

 けれどガイストは不死、全身を串刺しにされようが《死》を得る事はない。

 刺されて死に、そのまま蘇った男は力任せに剣を振り回す。

 人形の内、二体は刃を受けて切り倒される。

 痛みも恐れもない人形兵は、更にガイストの身体を何度も刻んだ。


「っ……貴様、《不死者》――いや、違う。まさか、《不死英雄》かっ!?」

「良く知ってるなぁ、ジイさん!」


 ギュネス自身も、実物は見たことがない神話伝承の存在。

 驚愕の後に、沸き立つのはどうしようもない好奇心だ。

 主無き《王器》を求めた先で、まさかこんな奇跡に出会えようとは!


「ハハハハッ! 名も知らぬ男よ、無礼な客人ではあるが歓迎しよう!

 《隠れたる者》の使徒と、まさかこんなところで出くわそうとは!」

「その呼ばれ方は好きじゃねぇなぁ……!!」


 高らかに笑い、音ではなく思念によってギュネスは人形たちに命令を下した。

 伝説が語る通りならば、《不死英雄》はどうあっても死なない。

 《隠れたる者》の手により、《死》の運命を隠されているからだ。

 死なずとも、腕や足を切り刻めば動きは鈍る。

 ガイストの方も剣を振るって抗うが、相手の手数は九倍だ。

 刃に貫かれ、人形の胴体から吐き出された鎖が蛇のように絡み付いてくる。

 不死身の男はあっさりと拘束し、魔術師は歓喜した。


「どうした、口ほどにもない。不死性こそ脅威だが、他は常人と変わらぬのか?

 まぁ、こうなってしまえばどうでも――」

「グルァッ!!」


 余裕ぶっていたギュネスに、灰色の影が襲いかかる。

 ガイストを優先したため、人形たちも反応が間に合わない。

 容赦を知らぬ獣の牙は、老いた魔術師の腕を深く引き裂いた。

 脳髄を焼く激痛に集中を乱さなかったのは、ギュネスの練度の高さが故だ。


「ケダモノが……ッ!! 星のつぶてよっ!!」


 呪文を吼えると、それに従い宙に光が舞う。

 極小の流星は美しい弧を描き、ギュネスの腕に噛みつく狼を射抜いた。

 頭に一発と、胴体に二発。畜生相手に掛ける情けなど、欠片もありはしない。

 力なく崩れ落ちる灰色狼を見下ろし、老いた魔術師は息を吐いた。


「この……小癪な真似を、しおって! 私を誰だと思っているのだ、犬コロが!!」


 高ぶる感情のまま、血に染まった狼の亡骸をつま先で蹴り上げる。

 人形に抑え込まれた状態で、ガイストはそれを見ていた。

 怒りはなく、向ける眼差しは酷く冷たい。


「ふん、ペットを使って仕留める気だったようが、詰めが甘かったな」

「…………」

「どうした、だんまりか? よほどこの犬を信頼していたようだな。

 だが結局は猿の浅知恵よ。このギュネスの首に、獣の牙如きが届くものか!」

「…………」

「ハハハハハッ、そら、負け惜しみでも言ったらどうだ!

 この私に傷まで負わせたのだ、死なぬ我が身を存分に後悔させて――」

「盛り上がってるとこ悪いけどな、足元注意だぞ。ジイさん」


 身動きの取れぬ相手の言葉など、ただの戯言に過ぎない。

 ギュネスはそう断じて。


「ガアアアァァァッ!!」

「な……っ!?」


 灰色狼の牙に、容赦なく肉をえぐられた。

 ギリギリで喉笛は避けたものの、反射的に構えた腕が食い千切られていた。

 纏ったローブの半分近くを己の血で染めて、魔術師は必死にあがく。

 仕留めようと迫る狼を術式で弾き飛ばすことができたのは、まさに奇跡だった。


「グルルッ……!」

「おい、あんま無茶するなよ! つーかこっち、こっち助けてくれ!」

「っ……ええい、私に近寄るな! 化け物どもめっ!」


 ガイストの声に、灰色狼は僅かに迷いを見せた。

 その一瞬を逃さず、ギュネイは塔を巡る《大星球儀》の魔力を操る。

 丁度、工房の真ん中を区切る形で、半透明な『壁』が両者の間を隔てた。

 極めて強靭な魔力防壁は、魔術師の身を守る、文字通り最後の砦だ。

 竜の吐息すら退ける守護を得た事で、ギュネスは少しだけ安堵の息をこぼした。


「ちっ、こんな手札も持ってたのかよ。これだから術者相手は面倒なんだよな」

「…………」

「あ、俺が何も言わなけりゃ仕留められたって顔してます?

 いやいや、必ずしもそうとは限らんだろ? それより、早く助けを……」

「一体、何なのだ、貴様らは……っ」


 恐怖。驚愕。困惑。複雑な感情に喉を詰まらせ、老魔術師は掠れた声で呟く。

 殺したはずの狼は仕方ないとばかりに、ガイストを拘束している人形へと噛みつく。

 五体を貫かれ、死に至る量の血を流しながら、死なぬ男は平然としていた。


「見ての通りさ、魔術師殿。いや、アンタも大概とんでもないけどな。

 クソデカい塔が目の前に落ちてきた時は、流石にビックリしたよ」

「戯言など聞きたくもない! 貴様は一体、何が目的で私を殺そうと……!」

「先に手ェ出してきたのはそっちだと思うけど……いや、まぁ良いか。

 俺がここまで来た理由は、アンタが横紙破りをしたからだよ」

「……何だと? 横紙破り?」

「どうせそっちも、姫様に婚約を申し込みに来たんだろ?

 悪いが、こっちが先約なんだ。

 こっちの邪魔するつもりなら、力尽くでどかすしかないよな」

「っ……貴様、そんな下らん理由で……?」


 死なない灰色狼だが、塔の魔力で動く人形兵には苦戦を強いられていた。

 ガイストは未だに動けないまま。その眼だけは、ギュネスを真っ直ぐ見ている。

 ――信じられん。コイツ、その程度の動機で魔術師の塔に挑んだと?

 あまりに理解しがたい思考に、ギュネスは戦慄を覚えた。

 そもそも、相手は不死身の怪物。まともな人間を基準にするのが誤りなのか。

 自然と、魔術師はじりじりと後ずさっていた。

 魔力防壁で遮り、ガイストたちは人形を排除できていない。

 問題ない。何も問題はないはずだ。

 例え拘束を逃れても、彼らに防壁を破る手段はない。

 ならば恐れる事はなく、後は時間が過ぎるのを待てば良い。

 いや待て、待つのは良いが、その前に狼に噛まれた傷の治療を――。


「――私を見ているのではなかったのか、ギュネスとやら」


 美しい鈴の音に似た声は、影ではなくギュネス自身の鼓膜を震わせる。

 瞬間、塔の壁が外側からの衝撃で粉々に打ち砕かれた。


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