第12話:異邦の魔術師



 玉座の間を、幾つもの光が舞う。

 それは自然ならざる輝きであり、敵意を含んだ光だった。

 降り注ぐ光の矢を、ヒルデガルドは手にした大戦斧で弾き散らす。

 同時に、宙に浮かべた影の剣を反撃として撃ち放った。

 狙うのは、一人のローブ姿の男。

 背はひょろりと高く、痩せ気味の体躯は畑にぽつんと佇む案山子を連想させる。

 フードの下から覗いた口元が、三日月の形に歪んだ。


「無駄ですよ、ヒルデガルド王女殿下」


 囁く声など聞き流し、黒い刃の切っ先はローブのど真ん中を射抜く。

 手応えはあった。心臓を正確に貫いた形だ。

 が、剣で刺し貫かれても、ローブの男は平然とその場に立っていた。

 まるで、殺しても死なぬ不死であるかのように。


「何者だ、貴様」

「いやはや、卑賎なる身であります故。

 名乗ったところで、《忌み姫》様の怒りを買ってしまうのではないかと……」

「先ほどから戯言ばかりだな」


 苛立たしげに応えながら、ヒルデガルドは容赦なく攻撃を続ける。

 このローブの男が唐突に現れてから、ここまで。

 もう既に、何度か似たやり取りを繰り返した後だった。

 名すら明かさず、問答無用で襲い掛かってきた正体不明の怪人物。

 幾ら致命傷を与えても堪えぬ姿に、ヒルデガルドは酷く不快な気分にさせられた。


「しかし、噂に違わぬ恐るべき力。数多の英雄を屠ったというのも頷ける。

 これは一筋縄では行きませぬな」


 芝居がかった口調で呟いてから、ローブの男は怪しげな言葉を口にする。

 何を言っているのか、ヒルデガルドでは理解ができなかった。

 理解はできなかったが、『それ』が何であるのかは知っていた。

 死せる巨人の生命に訴えかける、古き魔法の文言。

 素性は未だに不明だが、相手が高位の魔術師であることだけは確かだった。


「さぁ踊れ、竜牙の従者たちよ。我が身を守る盾となり、我が敵を討つ刃となれ!」


 歌うように告げて、男は懐から何かをばら撒いた。

 白っぽい小石のようなそれは、見る間に武装した髑髏の兵へと変じた。


「《竜牙の従者スパルトイ》か!」

「ほう、流石は王女殿下。お詳しいですなぁ」


 その名の通り、竜の牙に魔力を込める事で造られる骨の兵士だ。

 並の兵士よりよほど強く、痛みも恐怖も感じないという厄介な相手。

 立ち上がった数は十体、これほど多くの従者を同時に操るとは。

 この国に、ここまで腕の立つ術者がいただろうか。

 少なくともヒルデガルドは心当たりがなかった。


「さぁさぁ、如何なさいました! まだまだ驚くには早いでしょう!」

「ちっ……!!」


 骨の身体とは思えぬほど、従者たちの動きは力強く俊敏だった。

 直剣と盾を構え、一斉にヒルデガルドに襲いかかる。

 後方に佇むローブの男は、奇妙な身振りと不可解な呪文を重ねた。

 男の周りで星の如く光が煌めき、それらが矢となって頭上から降り注ぐ。


「舐めるなよ、下郎が!!」


 絶体絶命の状況。だが、怒れる王女は鋭く叫んだ。

 斬りかかる骸骨たちの刃を、構えた大戦斧で纏めて受け止める。

 一瞬だけ動きの止まった骨の兵たち、その足元の影から剣の山を生み出した。

 突き上げる刃の切っ先を受けて、竜牙の従者の半分が砕け散る。

 時間差で飛んできた光の矢は、剣の山を盾にして防いだ。

 残る竜牙の従者は五体。影の剣を避けて、次々とヒルデガルドに刃を振るう。

 避け切れず、腕や肩が刻まれて赤い血が散った。

 痛みに眉をしかめるも、動きを阻害されるほどの苦痛ではない。

 反撃で打ち込んだ斧で一体を砕き、更に空いた手でもう一体の髑髏を掴んだ。

 抵抗する暇も与えず、細い指は骸骨の頭を握り潰す。残りは三体。


「痛みも知らぬ兵など……!」


 目の前で仲間二人を失っても、心を持たぬ竜牙の従者は怯まない。

 正確に急所を狙ってくる剣を腕で受け、足元の影から再び刃を放った。

 二度目では奇襲の効果は薄く、砕かれたのは一体のみ。

 残る二体は、左右からタイミングを合わせて仕掛けてきた。

 鋭い剣の切っ先が、黒いドレスを刺し貫く。

 刃が肌を裂き、致命的な傷に達するよりも早く、大戦斧が全てを薙ぎ払った。

 腰から上を吹き飛ばされ、二体の髑髏は力なく崩れ落ちた。


「お見事、お見事。《竜牙の従者》を十体、一人で全て砕き切るとは。

 このような真似ができるのは、彼の《彷徨える王》ぐらいなものでしょうなぁ」

「……まだ戯言しかほざかぬのか、愚かな簒奪者め」


 憤怒に燃える瞳。射殺すほどの敵意を込めた視線にも、ローブの男は揺るがない。

 酷く愉快げに笑いながら、大げさに肩を竦めるのみだ。


「あぁどうか、お怒りをお鎮めになられよ。ヒルデガルド王女殿下。

 私は貴女様の伴侶たる者、即ち未来の王なのですよ?」

「虫唾が走る。

 もういい、下らぬ妄言しか出てこないなら、永遠に口を閉ざしてやる」

「まぁまぁ、落ち着いて下され。何も戯言というわけではないのですよ」


 笑う。ローブ姿の男は、酷く下卑た笑みを浮かべていた。

 勿体ぶった態度で、これまで表情を隠していたフードを外す。

 暗い影の下から現れたのは、金髪碧眼の絵に描いたような美男子の顔だった。

 まるで名画か、神工の手からなる彫刻か。

 常人なら心奪われそうな魔性の美貌を見ても、ヒルデガルドは平然としていた。

 むしろ忌々しさが増した様子で、睨む視線に余計に力が込もったようだ。


「王女殿下のお力、十分見させて頂きました。

 であれば私も、そろそろ名を明かすと致しましょう」

「死ね」


 余裕ぶった態度の男に、ヒルデガルドは一言添えて刃を打ち込んだ。

 足元の影から勢いよく放たれた槍が、胴体をあっさり貫く。

 しかし、ローブは血の一滴すら滲む様子はなかった。


「無駄で御座いますよ、ヒルデガルド様。この身は不死――」

「魔術による投影体か」

「……ご明答。いや、本当に博識でいらっしゃる」


 投影体。即ち、この場にいるローブの男は本物ではない。

 不可思議な魔術により、影をまるで術者本人であるかのように操っているのだ。

 極めて高度な技術で、決して数の多くない魔術師の中でも、使い手は更に稀少だ。

 それをひと目で看破したヒルデガルドに、男は感嘆の声をこぼした。


「自ら死地に立つことすらせぬ臆病者か。

 どれだけ術の腕が達者かは知らんが、そのような輩が王を名乗るとはな」

「……改めて名乗りましょう、ヒルデガルド王女殿下。

 我が名はギュネス。西域はアルデイル連邦、レントリア星団が一星。

 どうか昏き星のギュネスとお刻み下されば」

「……何だと?」


 ギュネスの名は、ヒルデガルドも初めて聞いたものだった。

 しかし、アルデイル連邦とレントリア星団については知識があった。

 前者はバルド王国の西、魔術師たちの国とも呼ばれる列強の名だ。

 そして、レントリア星団とは――。


「貴様、宮廷魔術師……!!」

「いやはや、姫君は真に博識ですな。

 ええ、恥ずかしながら末席を埋める身で御座います」


 密やかに、それ以上に誇らしげに。

 魔術師ギュネスは、驚くヒルデガルドを見て笑い声をこぼした。


「先ほどの衝撃……まさか、自らの塔ごとやって来たのか」

「ええ。魔術師にとって、塔とは半身そのもの。

 ヒルデガルド王女殿下と見えるのなら、万全を期さねば失礼というもの」

「明確な侵略行為だぞ、貴様……!

 アルデイル連邦は、バルド王国に宣戦するつもりかっ!」


 これまでとは質の異なる怒りに、ヒルデガルドは激しく吼えた。

 アルデイル連邦に属する宮廷魔術師が、魔術師の塔ごと王都に乗り込んできた。

 他国の冒険者が、流れてきて挑んだのとはワケが違う。

 例えるなら、別の国の貴族が軍隊を連れてやって来たのに等しい。

 国際問題……どころか、そのまま国家間の戦争に発展してもおかしくない話だ。

 だというのに、ギュネスは余裕の態度を崩さない。

 ヒルデガルドのことを、騒ぐ子供か何かのように見下していた。


「私は正式な婚約者なのですよ、姫。

 全て、宰相ゼフォン閣下と大法官クロウェル閣下もご承知のこと」

「なに……?」

「この話が来た時は、流石の私も大層驚きましたがね。

 我が国とバルド王国、その友好の証として王女殿下との婚姻をお願いしたいなど」


 笑う。ギュネスは酷く愉快そうに笑っていた。

 語る言葉の意味を、ヒルデガルドはすぐには呑み込めなかった。

 だが理解が追い付いた途端に、激怒のあまり視界が真っ赤に染まっていた。


「あの売国奴どもが!

 自らの欲のためなら、国を売り渡して良いと言うのか……!」

「彼らの英断を、そう悪し様に語るものではありませんよ。姫。

 全て、貴女の愚行が招いた結果なのですから」

「貴様のような得体の知れぬ輩に、《王器》を委ねる事が悪でなくて何だ!!」

「貴女が王となるか、新たな王を定めていれば良かったのですよ。

 『こうなる可能性』すら考えなかったのなら、貴女こそ愚かと言わざるを得ない」

「ッ……!」


 嘲る言葉に、ヒルデガルドは奥歯を噛みしめる。

 屈辱に堪える姫君を眺め、ギュネスは嗜虐心が満たされるのを感じていた。

 できればもう少し楽しみたいと、そう魔術師は考えた。

 が、遊びすぎて本題に入らぬのでは本末転倒。


「さて、納得頂けたところで、ヒルデガルド王女殿下。

 どうか私に、バルド王国の《王器》――《緋の玉座》を明け渡して頂きたい」

「断る。売国奴どもの思惑など、私の知った事ではない。

 貴様のような卑怯で臆病な輩が、王の器に足るなどと思い上がるなよ」

「であれば、この王都には滅んで貰うしかありませんな」

「……なんだと?」

「古き神話には、かつて砕けた火の心臓の破片が地に降り注いだと語られています。

 心臓の火が暗くなると、空には代わりに星々が淡い火を灯す。

 これらの星もまた、地には落ちなかった心臓の断片。

 ――それを神話の如く地上に降り注がせる、禁忌の術式が存在致します」


 詩を諳んじるように、ギュネスは恐ろしい言葉を口にした。

 天に光る星々を、火の心臓の欠片を地上に落とす禁忌の魔術。

 王都を滅ぼすとは、つまりそういう事だ。


「脅すつもりか、この私をっ!!」

「正面から貴女に打ち勝てれば良かったのですが、どうやらそれも難しそうだ。

 故にここは知恵者らしく、賢い手を使わせて頂きましょう」

「卑怯者がっ!」

「耳に心地よいですな、姫君の声は。

 是非とも褥で鳴いて貰いたいですが、それは後の楽しみと致しましょう。

 星降りの術に関しては、既に発動のための儀式に入っております。

 天の心臓の赤色が薄らぐまで、丁度二刻ほどですか。

 それを過ぎれば、空から落ちる火によって王都は焼かれる事となる」

「ッ……貴様……!」


 ハッタリでもないし、ギュネスは間違いなく本気だ。

 要求を受け入れないなら、本当に王都を焼き尽くすつもりだ。

 それを理解できるからこそ、ヒルデガルドにはどうしようもなかった。

 この場にいる投影体を、幾ら叩いたところで意味はない。

 恐らく、城の外には魔術師の塔があるはずだ。

 術式を妨害するのなら、そちらをどうにかする他ない。


「悩んだところで無意味ですよ、姫。貴女は玉座からは離れられない。

 投影体の私を無視すれば、こちらはすぐに《王器》を確保しますからね。

 《王器》を守る貴女に、そうすることは選べないはずだ」


 打つ手はない。故にギュネスは嘲笑う。

 王都の民を諦めるか、それとも《王器》を諦めるか。

 王女がどちらを選んでも、あるいは選べずとも、どっちにしろ心は折れる。

 その気高さを穢す瞬間を夢想すると、ギュネスは胸の高鳴りを抑えられなかった。

 愉快げに笑う下郎を、ヒルデガルドは睨むことしかできない。

 そう、ヒルデガルドには。


「………む?」


 不意に、ギュネスが怪訝そうに表情を歪めた。

 当然、ヒルデガルドは何もしていない。


「あぁ、失礼。少々問題か――いや、何も姫君が気にされるような事は。

 そのような些末な話よりも、どうか未来のことをお考え下さい。

 私にとっても、貴女にとっても。

 何より、この王都に住まう全ての民にとって。

 どんな答えを出すことが最善なのかを」


 芝居がかった口調と仕草。

 巧妙に取り繕っているつもりだろうが、違和感は隠し切れていない。

 僅かだが、投影体の動きが散漫になっている。

 ヒルデガルドの目は見逃さなかった。


「さぁ、姫。どうかご決断を」

「……お前の言葉が正しいなら、まだ時はある。

 星はすぐには落ちない。ならしばしの間は、思い煩わせて貰おうか。

 まさか悩む女を急かすほど、器の狭い男ではあるまい?」


 穏やかに、けれどはっきりと侮蔑を込めて。

 美しく笑うヒルデガルドに、ギュネスは感情が乱されるのを感じた。

 術者として、精神の綻びなどあってはならない。

 素早く自らを律すると、美貌に花を咲かせるように笑い返した。


「良いでしょう、存分に悩まれるが宜しい。

 しかし王女殿下、

 どうか愚かな真似はせぬよう願いますよ」


 念を押す言葉には、ヒルデガルドは何も答えない。

 果たして、自分の預かり知らぬところで何が起こっているのか。

 ヒルデガルドは知る由もなかった。知らぬままで、姫君は静かに待つ。

 いずれ好機が訪れる、確かな予感を意識しながら。

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