第11話:男の矜持


 城の正門を抜けて、城門前の広場に出る。

 都は活気づいているが、流石に死の迷宮と化した城の前に人気はなかった。

 ガイストは疲れた息を吐きながら、何気なく空を見上げる。

 今日の天気は薄曇り。半欠けの火の心臓は、赤い炎で大地を薄く照らしていた。

 心臓の色合いからして、間もなく昼になる頃だ。

 そう考えた瞬間、空腹を感じるのも実に都合の良い話だった。


「さて、昼飯はどうするか」

「…………」


 呟く男の傍らに、灰色狼は無言で佇む。

 何故か視線を強く感じるなと、ガイストは相棒の方に目を向けた。

 狼は言葉を口にしない。ただ、理知的な瞳は時に驚くほど雄弁だった。

 灰色狼の訴えかける眼差しを受けて、兜の上から頭を掻く。


「分かってる。分かってるよ。別に問題はないだろ?」

「…………」

「問題しかないって? それも分かってる。

 あの姫様に勝てるかっていうと、まぁ正直自信はないな。

 最近はそこそこ戦えるようにはなってきたが、向こうもまだ本気じゃない。

 マジであと二回ぐらいは変身しそうだしな」


 冗談っぽく、わざとおどけた口調で語るガイスト。

 灰色狼の反応は冷ややかで、向ける視線にも変化はない。

 正門前の階段を下りきったところで、足を止める。

 バツが悪そうに、また兜の上から強く頭を掻きむしった。


「……ってもな、こっちには未だに何の手掛かりも無いんだ。

 それなりに彷徨い歩いて来たが、成果はほぼゼロ。お前も知ってるだろ?

 だから今回の話は、文字通り千載一遇のチャンスなんだよ」

「…………」

「そんな事は分かってるって? じゃあお互い様だな。

 あっ、痛っ。おいコラ、何で手を噛もうとするんだよっ」


 抗議の意を示すように、灰色狼はガイストの手に牙を立てる。

 本気ではないが、それでも痛いものは痛い。

 ガイストは不死だが、死なない事以外は普通の人間と大差はないのだ。

 腹も減るし、傷を受ければ痛みも感じる。

 激しい戦いの結果として蘇生を繰り返せば、疲労も感じて休みたくもなる。


「…………」

「……勝とうと思えば、手段を選ばなきゃ勝てるんじゃないか、って?

 お前ってホントに賢いよな。俺より頭が良いだろ、絶対」

「…………」

「当たり前だろ何を馬鹿なこと言ってるんだ、って目で見るのは止めろよ。

 地味に傷つくだろ、マジで」


 笑う。灰色狼が、本当にそう思ってるかは分からない。

 ただ手段を選ばなければ勝機がある、というのは事実だ。

 ヒルデガルド王女は強い。

 ガイストも死地を渡り歩いた経験は長いが、あの姫君の強さは群を抜いている。

 まともに、正面から戦い続けては勝ち目は蜘蛛の糸より細いかもしれない。

 けど、彼女もまた人間だ。

 ガイストが不死である以外は、人間なのと同じに。


「死んで生き返って、向こうが音を上げるまで繰り返す。

 それこそ百回ぐらい死ぬかもしれんが、多分姫様の方が先に息切れする。

 俺も無茶苦茶しんどいし、これでも勝てるかは正直五分だけどな」

「…………」

「それでも、今の状態よりは勝率は高いだろって?

 まぁそうだな、お前の助け込みでも正面から勝つのはかなりキツいわ」

「…………」

「……じゃあ、何でそうしてるかって?」


 相棒の厳しい追求に、ガイストは苦笑いをこぼした。

 空を見上げて、欠けた天の心臓を眺める。

 古い神々が奪い合ったことで、砕けてしまった巨人の火の心臓。

 地上に実りをもたらす恵みの光も、今は半分以下になってしまったとか。

 そのせいで、僅かなくもり空でも黄昏時のように薄暗い。


「これが戦場で、手段を選ぶ余裕なんざ無いのなら、俺もどんな手だって使うさ」

「…………」

「けど……こう、何だ。別に、今はそこまでじゃないだろ?

 ほら、何だかんだで姫様とも良い勝負になって来たし」

「…………」

「それだけじゃないだろ、って? なんか今日は特に厳しくない?」

「…………」

「……分かってる、いや分かった。本音は違う。うん? 正直に言え?

 男が本音を軽はずみに晒したとか、噂されたら恥ずかしいだろ」


 大真面目にふざけた答えを返したら、今度は思いっきり噛み付かれた。

 籠手の隙間に器用に牙が食い込み、ガイストはその場で悶絶した。

 さらなるお仕置きの気配を感じ、流石に不死身の戦士も観念する他なかった。

 語る気のなかった本音を、灰色狼にだけ口にする。


「……姫様は強いさ。無茶苦茶強い。勝てる気配は、まだほとんどゼロだ。

 けど、あんな寂しいところで一人いる女相手によ。

 手段を選ばず、汚い手で勝ちました――なんて、とてもできねェよ」

「…………」

「美人相手にカッコつけたいだけだろって? それはそうだろ。

 男って生き物は、意地と見栄が一番大事だからな。

 カッコ良く死ねないのに、カッコ悪いまま生きるのなんて嫌だろ」

「…………」

「なに、何を言いたいか分からん? ……まぁ、要するにだ。

 コイツは、だからな」


 そこでカッコをつけなくて、いつカッコつけると言うのか。

 まったく、我ながら馬鹿な意地だと。

 口ではそう言いながらも、ガイストの声は実に清々しかった。

 彼の事情を理解している灰色狼は、ふっとため息をこぼす。


「いや、悪いな相棒。こっちのワガママに付き合わせちまって」

「…………」

「慣れっこだって顔だな、オイ。いや、ホントに助かります」

「…………」

「礼よりも欲しいのは肉だよな、分かってるよ。

 じゃあ、いい加減に“銀の杯”亭に行くか。あそこの肉なら文句ないだろ?」


 狼が頷くのを見て、ガイストは笑った。

 そうしてから、既に馴染みとなった酒場に向かおうと――。


「……うん?」


 向かおうとしたところで、気が付く。

 空が暗い。いつの間にやら、薄曇りだった空は真っ黒い曇天に変わっている。

 急激に天気が変わった……にしては、妙な空模様だった。

 厚い暗雲が渦巻いているのは、王城とその前にある広場の上空のみ。

 その動きは、まるで意思を持った生き物のように見えた。


「なんだ、こりゃ――」

「ガゥッ!!」


 沈黙していた灰色狼が、鋭く吼えた。

 それは危険を知らせる警告だったが、反応が僅かに遅かった。

 閃光。轟音。衝撃。

 視界を真っ白に焼かれ、ガイストはその場から激しく吹き飛ばされた。

 もしこれが彼以外の人間なら、五体をバラバラにされて即死していただろう。

 ガイストも当然そのように死んだが、彼は不死身だ。

 全身に酷い痛みを感じながら、砕かれた石畳の上で蘇生を果たす。


「グルルル……!!」

「いたたっ……や、こっちは大丈夫だ。だから落ち着けよ、相棒」


 身を低くして唸る灰色狼の毛並みを、汚れた手で撫でる。

 軽く噛み付かれたが、今は気にしない。

 それよりも、何が起こったかだ。


「……何だ、こりゃ?」


 もうもうと立ち込める土煙。

 その向こう側に、巨大な『何か』がそびえ立っていた。

 間違いなく、先ほどまでは影も形もなかった。

 それはさながら、大地に突き立てられた巨大な槍のように。

 城門前の広場、その半ばを潰す形で一本の『塔』が出現したのだ。

 幸い、吹き飛ばされて死んだのはガイストのみ。

 広場に近い家屋は破損しているが、倒壊などの被害はないようだった。

 突然の事態に、都の人間たちも顔を覗かせている。

 しかし、『塔』が纏う不気味な気配に、近付く者は一人としていなかった。


「…………」

「あぁ、そうだな。コイツはちょっとヤバいかもな」


 警戒を露わにする灰色狼に、ガイストは小さく呟く。

 立ち上がり、改めて『塔』の姿を観察する。

 全体は石造りだが、よくある石材を積み重ねた構造ではない。

 まるで、一枚の岩をそのまま『塔』の形で切り出したかのように。

 壁から何から、継ぎ目らしきものは何処にも見当たらない。

 窓もなく、あるのは硬く閉ざされた金属製の扉が一つ。

 しかもそれは地上ではなく、大体『塔』の三分の一ほどの高さに存在していた。

 表面には赤色で描かれた紋様が輝き、頂上には二本の角が突き出している。

 材質不明のその黒い角は、暗雲から落ちる雷を受けて青白い瞬いていた。


「いわゆる、魔術師の塔って奴だな」


 魔術とは、神々ではなく人間が編み出した業。

 大いなる巨人が死に、その心臓を巡る争いで神の大半が地上を去った後。

 天から降り注いだ火で焼かれた大地で、人々はまだ生きていた。

 明日の生存すら危うい過酷な環境に置かれても、彼らは必死にあがいた。

 その過程で、死してもなお残る巨人の生命力を操る術が見出された。

 世界に存在する多くのものは、大いなる巨人がもたらした賜物。

 それら全てに、巨人の残した命の力が満ちている。

 魔術とは、主を失った巨人の力を人の意思で制御する方法だ。

 その技術は人々の危難を救ったが、一部の者たちはその本質を独占してしまった。

 故に、魔術とは今も魔術師たちにのみ伝承される神秘の業なのだ。


「塔持ちの魔術師ってことは、かなり高位なはずだろ?

 そんな奴が何で、こんな街のど真ん中に自分の塔を……」


 疑問を口にしかけて、すぐにそれが無意味なものだと気付いた。

 王都の中心に、高位の魔術師が自分の塔ごと乗り込んでくるような理由。

 そんなもの、一つしか存在しない。

 主の存在しない《王器》と、それを唯一人で守る姫君。

 ガイストを含めて、多くの者たちが手に入れようと狙ってきたものだ。


「…………」

「……どうするんだ、って顔だな」


 相棒の視線を受け、ガイストは曖昧に笑う。

 今のところ、『塔』が出現した以外に目立った動きはない。

 あくまで、この場で観測できる範囲の話だが。

 都にも異常が起こってないのなら、事態が進行しているのは王城の方か。

 ガイストは、くぐったばかりの城門を見上げた。


「お姫様なら、大抵の相手は自分でどうにかするよな」

「…………」

「俺が何かする理由は、多分無いんだよな。

 うん、むしろ混乱に乗じて漁夫の利狙いが、一番賢いだろうよ」

「…………」

「……けど、それは流石にカッコ悪すぎるよな?」

「…………」

「いや、ホントに悪いな相棒」


 仕方のない奴だと、そう言わんばかりに狼は息を吐いた。

 ガイストは、自分が英雄ヒーローなどとは微塵も思っていない。

 ただ、死なない事だけが取り柄のどうしようもない奴だと。

 名誉ある《死》が望めない以上、誉れなどというモノにこだわるつもりもない。

 それでも、譲れないものがあるとしたら。


「せめて、カッコ良く生きたいよなぁ……!」


 笑う。己の馬鹿さ加減を笑い飛ばし、ガイストは動く。

 向かう先は王城ではなく、目の前に現れた『塔』の方だ。

 

「城の姫様助けに行くよりは、絶対にこっちの方が効率良いよな」


 冗談めかして言ってはいるが、実際その通りのはずだ。

 ヒルデガルドは強く、大抵の危険なら一人で跳ね除けられる。

 そもそも、ガイストの行い自体余計なお世話かもしれない。

 全て理解した上で、迷いも躊躇いもなかった。


「やれる事はやらないとなぁ。お前もそう思うだろ?」

「…………」

「ん? あの塔にどうやって入るつもりかって?

 そいつは今から考えるのさ」


 少なくとも、よじ登って扉に辿り着くのは不可能だろう。

 勢いだけの相棒に、灰色狼はため息をついた。

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