第10話:隠れたる者


 大戦斧の一撃を、長剣の切っ先が紙一重で受け流す。

 驚愕すべき光景だが、ヒルデガルドの心に乱れはない。

 既に見慣れたものだと、構わず刃を重ねた。

 体勢が崩れたことで生じた隙、それを足元から伸ばした影の刃で埋める。

 多くの強者を葬ってきた、死角からの攻撃。

 ガイストは後ろに跳び、それをギリギリのところで回避した。


「危なっ……!!」


 などと呟く声にも、もう腹は立たない。

 今では感心すら覚えるぐらいだ。

 ――見えてるわけではない。私がいつ仕掛けるのか、その癖を覚えられたか。

 メグロスとの婚約を破棄してから、今日で丁度七日目。

 その日数の倍以上、ガイストはヒルデガルドの手で殺されてきた。

 殺されて、生き返って、また挑んで殺される。その繰り返し。

 何度も何度も戦い、回数が増えるほど徐々に動きも洗練されていく。

 最初の頃は、十も切り結べば死んでいたというのに。

 今ではヒルデガルドの攻撃を見切り、剣や盾で弾き落とすまでになっていた。


「ガアアァッ!!」


 ガイスト自身が手強くなったのに加えて、灰色狼の援護もある。

 相棒の動きを阻害せず、的確なタイミングで爪と牙を振るって飛び掛かる。

 これがなかなか効果的で、攻防の両面でヒルデガルドの邪魔をしていた。

 反撃で刃を打ち込むが、狼の動きは驚くほど素早い。

 放った武器の隙間を、灰色の毛皮は魔法のようにすり抜けてしまう。

 そして、あまりそちらに意識を取られすぎると。


「オオオオォォォッ!!」


 戦士の雄叫びを響かせ、横からガイストが斬り掛かってくるのだ。

 人と獣という差を感じさせない、それは見事な連携だった。

 ヒルデガルドも、これまで葬ってきたどの婚約者相手よりも真剣に対峙する。


「随分と強敵になってくれたものだな、不死の亡霊」

「お褒めに預かり光栄だな、姫様……!」


 思わず口にした言葉に、ガイストは律儀に応えた。

 弾く。弾く。弾く。弾く。

 大戦斧ではなく、左手に握った大振りの黒剣。

 斧よりも鋭く速い剣撃を、不死の男は自らの剣で真っ向から受け続ける。

 力も速度も、全てヒルデガルドが上回っているはずだ。

 そんな明確な実力差を、ガイストは経験と勘で強引に埋めていく。

 ――まったく、強敵だ。

 改めてそう認めながらも、そこに不快な感情はなかった。


「む……!?」

「よし……!!」


 手から離れた剣が、宙を舞った。

 強く弾かれ、武器を取り落としたのはヒルデガルドの方だった。

 体勢を立て直すのには、一秒も必要としないだろう。

 逆に言えば、一秒未満だが致命的な隙を晒した事になる。

 当然、ガイストは見逃さなかった。

 剣を即座に構え直し、間合いの内側に深く踏み込む。

 大戦斧を振り下ろしたとしても、先に届くのはガイストの剣の方だ。

 何なら、相討ちの形になっても構わない。

 不死というアドバンテージがある以上、そうなればガイストの勝ちだ。

 ようやくハッキリと見えた勝機に、戦士は迷わず身を投げ出す。

 対するヒルデガルドは、一切の焦りを見せていなかった。

 冷静な眼差しを受けたところで、男は全身が総毛立つのを自覚した。

 判断を誤ったと、後悔しても手遅れだった。


「本当に、見事なものだ。だが死ね」


 凍てついた言葉を浴びせられた直後に、ガイストは灼熱の炎に包まれた。


「ッ……!?」


 何が起こったのか、全く理解できない。

 生きたまま全身を焼かれるという苦痛に、床の上をのたうち回る。

 熱い。痛い。熱い。熱い。熱い!

 炎はまるで意思があるかのように蠢き、甲冑の下まで焼き尽くしていく。

 この時点で、今回の戦いは終わりを迎えた。


「が……っ……!」

「……この場で、私にこれを使わせたのはお前が初めてだ。

 誇るが良い。お前は、玉座の前に墓標を並べるどの勇者よりも優れた男だ」


 剣を心臓辺りに突き立てられ、ガイストは命が断たれたのを感じた。

 最後に見上げた、ヒルデガルドの姿。

 彼女の足元からは、真っ黒い炎のようなものが吹き上がっていた。

 ……影から武具を創り出すのが、彼女の異能。

 それはガイストも、かなり初期から理解していた。

 しかしまさか、炎まで『武具』の範疇とは。


「……このまま永遠に焼き殺す、というのは流石に手間だな。

 私も、この黒炎は意識して出し続ける必要がある」


 蘇生に合わせて焼き殺す状態を維持するのも、恐らく調整が困難だろう。

 完全に灰にしては、また新たな身体で蘇生されるだけだ。

 あまりの面倒さにため息を吐きつつ、ヒルデガルドは黒い炎を消し去った。

 全身をくまなく焼かれ、胸を剣で刺し貫かれたガイスト。

 黙って見下ろしていれば、ほどなく蘇生が始まった。

 焼けた肉は剥がれ、流れた血は傷口から体内に戻っていく。

 ほぼ完全に肉体が再生を果たせば、不死の男は何事もないように身を起こした。


「ちょっと姫様、焼き殺されるのは大分辛いんですけど」

「そうか、では次からは焼き加減にもう少し気を使おうか」

「焼いた肉が食べられなくなっちまう……!」


 戯言を聞いても、今はもう大して腹も立たない。

 むしろ呆れ混じりに応答することに、随分と慣れてしまった気がする。


「しかしまぁ、まさかこんな奥の手があるとは……。

 姫様に認めて貰うには、まだもうちょい掛かりそうだな」

「ふん、アレが最後の手札だと言った覚えはないぞ」

「姫様は一体、あと何回変身を残しておられるんです?」

「そんなものは己の実力でつまびらかにしてみせるが良い。

 力無き者に、《王器》を掴む資格はないのだからな」


 笑う。ヒルデガルドは笑って、座り込んだガイストを見ていた。

 傍らには、灰色狼が行儀よく並んでいる。

 そちらへと、《忌み姫》は躊躇いなく手を伸ばした。


「お前も、愚かな主人に付き合わされて大義なことだな」

「…………」

「おう、『まったくです』みたいな顔するなよ。相棒だろ??」

「…………」

「えらく蔑む目で見られているが、信頼関係はどうなっているんだ?」

「そらもう一心同体ですよ、姫殿下」


 灰色狼が酷く不満げに鼻を鳴らすので、ヒルデガルドは思わず吹き出していた。

 ほんの少し前まであった、死線の気配は何処にもない。

 いっそ和やかとすら言える空気が、二人と一匹の間を流れていた。

 それは決して、不快なものではなかった。


「……よし、今日のところはぼちぼち撤退しますか」

「そうか。二度と来なくて構わんからな」

「また明日来ますよ、姫様」


 笑いながら、ガイストはお決まりになった言葉を口にした。

 それもやはり、ヒルデガルドは不快に感じなかった。

 胸の奥が微かにざわつく理由までは、今はハッキリしていない。

 不明な感情は、あえて意識の隅に追いやる。


「じゃあ姫様、また」

「…………あぁ」


 短く応えて、灰色狼と共に去る背中を見送る。

 これについても、随分と慣れてしまった。

 ガイストたちの姿が完全に見えなくなってから、小さく吐息をこぼす。


「……どうかしているのかな、私は」


 誰に向けたわけでもない独り言。

 呟いてから、ヒルデガルドは自らの衣服に手をかけた。

 躊躇なく脱ぎ去ると、《緋の玉座》の輝きに照らされて、裸身が露わになる。

 白く美しい肌には、細かな傷が幾つも刻まれていた。


「ヤタ」

「――控えております、姫様」


 名を呼べば、即座に一つの声が帰ってきた。

 傍らに降り立つ黒い鴉――それはすぐ、鳥の形から別の姿に変じた。

 全身を黒く塗ったような、執事姿の幼い少年……いや、少女?

 短く纏めた黒髪に、褐色の肌。瞳の色は角度によって様々に変化している。

 顔立ちは幼さが目立ち、表情にはほとんど温度がない。

 ひと目で性別は判じがたい元鴉は、切り揃えた前髪を揺らしながら一礼をした。


「身を清める。しばし預かれ」

「仰せのままに」


 脱いだドレスを元鴉、ヤタの方へと押し付ける。

 小柄な彼(?)は手慣れた様子で、姫の戦装束を丁寧に受け取った。

 それを確認すると、ヒルデガルドは深く息を吸い込む。

 意識を集中させ、足元から黒い炎を生み出した。

 先ほど、ガイストを焼いたものと同じ。

 肉を骨まで炭化させる火力だが、ヒルデガルドの肌には火傷一つ付かない。

 しばし自らの炎で全身を炙ってから、ゆっくりと吐息をこぼした。


「たまには湯浴みをなされては如何ですか?」

「私はこの場を離れるわけにはいかない、お前も分かっているだろう。

 そんなことより、ドレスを」

「はい、お清めは済んでおります。

 こちらも、新たなお召し物に変えて欲しいですが」

「不要だ。これだけあれば、今のは私には十分過ぎる」


 これもまた、慣れたやり取りだった。

 《王器》の眷属、即ちこの国の王に仕える人ならざる従者。

 ヤタはヒルデガルドに敬意を込めながらも、ハッキリとした苦言を呈する。

 それを姫君が受け流すのも、いつも通りだ。

 ただ、今日はほんの少しだけ異なる言葉が続いた。


「姫様、あの者といつまでお関わりになられるつもりですか?」

「……突然、どうした?」

「あの亡霊を名乗る男が、如何なる存在なのか。姫も既にご存知では?」


 渡されたドレスに袖を通しながら、ヒルデガルドは沈黙する。

 ガイスト。正体不明な不死身の戦士。

 彼が何者であるのか、当然ながら可能な範囲で既に調べていた。

 素性そのものは不明だが、不死の理由についてはおおよその見当は付いていた。


「……《不死英雄レヴナント》」

「悍ましき悪神、《隠れたる者》の使徒。

 生きながらにして《死》を盗まれた、不死者ならざる不死者。

 まさか、神話伝承の存在を目にする事になるとは、私も思いませんでした」


 《不死英雄》。その名を聞いただけで、ヤタは戦慄に身を震わせる。

 それは遠い昔、まだ天に燃える心臓が欠けず、神々が地上を闊歩していた時代。

 大いなる巨人が残した火の心臓、それを巡って全ての神が争った頃。

 ある一柱の神が、恐るべき大罪を犯した。

 当時の神々は巨人から授かった生命を宿すが故に、人間よりも遥かに長命だった。

 不老長寿ではあるが、不死ではない。

 神々よりも偉大な最初の巨人さえ、心臓を抜き取ったのが原因で命を落とした。

 《死》を初めて目の当たりにしたその神は、《死》を何よりも恐怖した。

 恐怖して、恐怖して、恐怖して――遂に全ての生命から《死》を盗み出したのだ。

 けれど《死》はあまりに大きく、逃げる道々に様々な種族の《死》を落としてしまった。

 人は死ぬ。盗人たる神が、人の《死》を落としたから。

 獣は死ぬ。盗人たる神が、獣の《死》を落としたから。

 木々は死ぬ。盗人たる神が、木々の《死》を落としたから。

 だが神々は死なない。

 盗人たる神はその《死》だけは、必死につかんで手放さなかったからだ。

 かくして、神々の《死》は心臓の火が届かぬ何処かへと隠された。

 心臓の奪い合いがあまりに激しく、神々はその事実に気付くのが遅れてしまった。

 自分たちが不死になっていると知った頃には、盗人は逃げ去った後。

 以来、全ての神々は《死》を失い、《死》を盗んだ神は何処かに姿を隠した。

 それ故に、彼の神は《隠れたる者》と呼ばれるようになったという。


「《隠れたる者》を信奉する者の内で、邪悪なる祈祷が伝わっていると聞きます。

 生きたまま《死》を捧げる事で、神々に近い不死を得る。

 それこそが《不死英雄》、《死》を盗んだ悍ましき悪神の忠実なる下僕。

 あの亡霊を名乗る男は、間違いなく《不死英雄》です。姫様」

「…………そうだな、《不死英雄》なのは間違いない。

 それ以外に、あれほどの不死性を有する存在は見つからなかった」

「なら……!」

「だが、あの男が本当に《隠れたる者》の信者に見えるか?」


 逆に問われて、ヤタは返す言葉に迷った。

 見た目の印象など、本来ならばアテにはならない。

 悪神の信徒とは、必ずしも邪悪さが目立つとは限らないからだ。

 むしろ、彼らは社会に混ざり込むための擬態の術ぐらいは心得ている。

 これがヒルデガルドの言葉でなければ、ヤタは否定で応えただろう。


「あれは……そう、ハッキリ言ってしまえば、馬鹿者だ。

 愚かという言葉さえ高尚に思えるぐらいにはな」

「……だから、あの男を信ずると?」

「信じるとか、別にそんな話ではない。私はあの者など、正直どうでも良いのだ」


 そう言いながらも、執着に近い感情がある事。

 ヤタは気付いているが、ヒルデガルド自身は気付いているだろうか。


「姫様……」

「お前の忠告はありがたく思っているよ、ヤタ。

 だが、お前が言うような危険をあの男は持ってはいまい。

 ……まぁ、それならば何故、奴が不死などというものを宿しているかだが」


 それはきっと、亡霊を名乗る彼の素性に関わる話だ。

 仮にそれを問うたとして、ガイストは簡単に答えるものだろうか。

 答えそうではある。きっと、何でもない事のように口にするはずだ。

 ヒルデガルドは、そう確信した上で。


「……いや、聞いたところで、何の意味もあるまい」


 小さく首を横に振って、微かな好奇心を払い落とした。

 あの男は簒奪者で、自分はそれを殺す者。

 その関係を考えるのなら、そんな感情は無用の長物だ。

 己に言って聞かせるように、ヒルデガルドは何度も頷く。

 そんな姫君の様子を、ヤタはやや不安げな眼差しで見つめていた。

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