第15話:王が来る


「……塔からの反応が途絶えました。恐らく、ギュネスは討ち死にしたものかと」

「そうか。であれば、こちらは予定通りに動くぞ」


 王都の遥か西に、囁き合う影の群れがあった。

 人里離れた林の内で陣地を築いた異国の兵士たち。

 彼らはアルデイル連邦が誇る魔術騎士、その精鋭たる一団だった。

 星の青と夜の黒で統一された鎧兜に、火の心臓を取り巻く光を意匠化した紋章。

 全体の数は百に満たず、決して大規模な軍勢ではない。

 しかし彼らは一人一人が《大星球儀》の加護を受け、《英雄》に準ずる力を持つ。

 それが数十を超える隊伍を組むなど、戦争準備と言っても差し支えないだろう。

 ……いや、実際に彼らは準備をしているのだ。

 この位置からは遠く、肉眼で確認できる距離ではないが。


「バルド王国の王都、ソールグレイを攻め落とす。

 宰相ゼフォン、大法官クロウェルの両名とは既に話が通っている。

 王城を占拠するヒルデガルドを討ち取り、《緋の玉座》を我らの手に」


 魔術騎士の将、宮廷魔術師のドノヴァンの千里眼は王都の姿を捉えていた。

 目立ちすぎるため、ギュネスのように自らの塔を持ち込んではいない。

 が、《王器》と繋がる護符は身に付け、配下の騎士たちにも魔力を供給している。

 その気になれば、千の兵に守られた城塞も落とせる自負がドノヴァンにはあった。


「しかし、あの連中の言うことなど信用できますか?」

「できんさ。所詮、あの二人は国への忠誠ではなく己の欲望を優先する奸臣どもだ。

 もしギュネスが討ち死にすれば、それを大義名分に連邦として軍事力を行使する。

 奴らがその条件を呑んだ理由は、漁夫の利狙いだろう。十中八九な」

「我々がヒルデガルド王女を討ち取った後に、背後を狙ってくると?」

「あるいは、こちらを蹴散らして消耗した王女の首を穫る気だろうな。

 どちらにせよ、卑怯者が考えそうな浅知恵だ」

「そこまで分かった上で、相手の思惑通りに動くのですか?」

「分かっているからこそだ。連中とて、見透かされる事ぐらいは承知の上だろうよ」


 兜の下で、ドノヴァンは低く笑う。

 牙をむく獣の獰猛さと、歴戦の戦士としての狡猾さが混ざりあった表情だった。


「そのための我々だ。ギュネスを殺すほどに、ヒルデガルド王女は強い。

 確実に勝利するために、連邦でも最精鋭たる我々が選ばれた。

 失敗は許されん。勝利を確実にし、《王器》を故国にもたらす事こそ我らが使命」

「ハッ、我ら一兵残らず、冥府の底までお供する覚悟であります!」

「アルデイルの星々に勝利と栄光を!」

「ドノヴァン様、いつでも出立をお命じ下さい。皆、既に準備は整っております!」


 騎士たちは一人の例外もなく意気軒昂。

 その様を見て、ドノヴァンは満足げに頷いた。

 ――私は、身の程を弁えぬギュネスほど自惚れてはいない。

 慢心も驕りも不要、しかし勝利の確信は揺るぎなかった。


「良し。先ずは王都方面へと行軍。

 《転移》の有効距離に入り次第、儀式の用意を行う。

 王城内の見取り図は、全員頭の中に取り込んであるな?」

「問題ありません。懸念すべきは、ヒルデガルド王女が仕掛けた罠のみかと」

「それらは力で踏破すれば良い。小娘の浅知恵如きに、遅れを取る弱卒はいない」

「勿論です、ドノヴァン様」


 言葉を交わしながら、魔術騎士たちは行動を開始する。

 彼らの目には、己がなすべき使命と、その未来に約束された栄光しか映っていなかった。

 故に、近付きつつある『破滅』の存在に気付かない。

 風は冷たく、空を漂う雲が不自然に流れる。

 半分に欠けた天の心臓、その火がもたらす恵みの光が更に暗くなる。

 最初に異変を感じ取ったのは、宮廷魔術師のドノヴァンだった。


「……待て。何だ、この気配は」

「ドノヴァン様? 如何なされましたか?」


 他の騎士たちは、まだ何も感じ取った様子はない。

 ドノヴァンのみが、大気に混ざり出した不可解な気配に背筋を凍らせる。

 分からない。何が起こっているのかは、まだ何も。


「お前たち、周囲の警戒を――」


 戸惑う配下に向けて命令を下した、その瞬間。

 凄まじい衝撃が、足元の大地を激しく揺さぶった。

 地震かと考えたが、そうではないとドノヴァンはすぐに理解した。

 今の揺れは地の底からではなく、もっと近い場所で発生したものだ。

 振動は断続的に続き、同時に大気に混じる気配も強まる。


「ドノヴァン様! これは一体……!」

「くそっ、あの奸臣どもが契約を反故にしたのか……!?」


 動揺しながらも、ドノヴァン含めた騎士たちは迎撃の構えを取る。

 この状況で自分たちを狙う者など、バルド王国側の手勢としか考えられない。

 宮廷魔術師は怒りを露わにし、大地の揺れで倒れた木々の向こう側を睨みつけた。

 何かがいる。まだ、その姿をハッキリとは見ていないが――。


「……アレは……?」


 彼方を見通す千里眼。先ず最初に目に映ったのは、倒れ伏した兵たちの姿だ。

 アルデイル連邦の者ではない。装備からして、バルド王国の者たちだ。

 ドノヴァンたちの警戒を避け、監視を行っていたのだろう。

 それ自体は、別に驚くべき事ではない。

 驚くべきは、それが全員事切れていることだ。

 魔術騎士たちの監視を任されるほどの手練の部隊。

 疑いようもなく宰相や大法官らが有する虎の子、バルド王国の精鋭のはずだ。

 彼らを容易く蹴散らした『存在』も、ドノヴァンの眼は捉えていた。


「巨人……いや、違う。アレは、まさか……!」


 かつてない戦慄に、言葉は酷く掠れる。

 ドノヴァンが『巨人』と口にした通り、それは恐ろしく巨大な男だった。

 とはいえ、神話に語られる大いなる巨人とは比較にもならない。

 精々が常人の二倍か、それより少し大きいぐらいだ。

 それでも並の人間では考えられないサイズの巨漢が、ゆっくりと空を仰ぎ見る。

 足元に転がった死体を無造作に蹴飛ばし、手にした巨大戦斧を握り締めて。


「AAAAAAAaaaaaaa――――――ッ!!」


 吼える。高く、より遠くへと響かせようと。

 戦士の咆哮ウォークライは、歴戦の魔術騎士たちの心臓すら凍りつかせる。


「ど、ドノヴァン様、あの怪物は……!!」

「《彷徨える王》……! 何故、このタイミングで現れる……!?」


 恐怖と畏怖、その二つと共にドノヴァンは叫んだ。

 その名は伝説であり、神話であり、御伽噺の一節だった。

 そして現実に存在する脅威――ある種の『災害』に他ならない。

 《彷徨える王》とは、元は最初に《王器》を見出した始まりの王の一人であった。

 王たちは心臓の断片に宿る巨人の力で、人々を導き繁栄をもたらした。

 人の数が少なく、どの国も未熟な内はまだ平和だった。

 しかし《王器》の力によって国が栄えれば、やがて人々は争い始める。

 より多くの物を手に入れ、より多くの土地を奪い取り、より大きな国へと。

 欲望は際限なく、一度燃え上がった炎は誰にも止められない。

 《彷徨える王》と呼ばれたその男もまた、野心の炎に魂ごと焼かれてしまった。

 彼が見出した《王器》である巨大戦斧、銘は《虐殺者スローター》。

 その刃で、《彷徨える王》は先ず自らの国と民を残らず滅ぼした。

 国を消し去った王は、次に目につく国々を無差別に襲い始めたのだ。

 全ては、「この世の全てを手に入れたい」という狂気じみた欲望が故に。

 大いなる巨人の血を引く末裔とされた、偉大な王の姿はもう何処にもない。

 強欲なる竜の王が、その魂に堕落を囁いたとする伝説もあるが、真偽は不明だ。

 確かに言える事は唯一つ、王は未だに『彷徨っている』ことのみ。

 決して満たされない飢えと、あらゆる物を欲する強欲の性を引きずりながら。


「AAAA――aaa――あ、ああぁ、あぁー」


 声。獣に近いものから、少しずつ人の理性を宿す声に。

 燃える日輪の瞳にも、ゆっくりと理知的な光に満たされていく。

 その様を、騎士たちもただ黙って眺めているわけではない。


「総員、攻撃術式用意!! 『顕現』したばかりの、この時が好機だ!」


 命令を下しながら、ドノヴァンは速やかに魔力を練り上げる。

 《大星球儀》と接続した護符は、莫大な力を騎士たち全員に供給する。

 動揺を隠せない騎士たちだが、彼らは命令には忠実だった。

 ドノヴァンの言葉に従い、一人の例外もなく術式を構築する。

 狙うのは、巨大な斧をぶら下げた燃える赤毛の大男。

 今は無防備に佇むだけの相手に、魔術騎士たちは意識を鋭く集中させて。


「放てッ!!」


 一斉に、構えた攻撃術式を解き放った。

 炎、氷、風、雷。様々な属性を帯びた魔力の矢。

 横殴りの嵐のように、それらは容赦なく《彷徨える王》を呑み込んだ。

 地形すら変える威力の魔術が存分に荒れ狂う。

 手応えあったと、ドノヴァンは口元に会心の笑みを刻んだ。


「――温いわ、小童どもめ」


 そして、それが彼が耳にした最後の言葉となった。

 一瞬で距離を潰した《彷徨える王》は、真っ直ぐに巨大戦斧を振り下ろす。

 落下してきた圧倒的質量に、ドノヴァンは訳も分からずに粉々になった。

 刃はそのまま大地も砕き、凄まじい衝撃を辺り一面に撒き散らす。

 先ほど、魔術騎士たちが感じた揺れと全く同じものだ。

 辛うじて吹き飛ばされるだけに留まった騎士たちを、《彷徨える王》は一瞥する。

 万物を呑み込む火の色で、王の瞳は爛々と輝いていた。


「ふぅむ。何処の誰かは知らんが、お前たちも運のない。

 ワシと出会ってどうなるかは、寝物語に聞いていよう?」

「う、そだろ、ドノヴァン様が……!」

「くそ、撃て! 撃て! 攻撃を続けろ!」

「我ら、アルデイルの魔術騎士の誇りを示す時だ!!」


 嘲り笑う王へと、将を失った魔術騎士たちはそれでも果敢に挑み掛かる。

 逃げたところで助からぬと、本能で理解しているからだ。

 恐怖しながらも、騎士たちが全力で仕掛ける攻撃術式の雨。

 それを全身で浴びながら、《彷徨える王》は愉快そうに笑った。


「ハハハハハハ! 良いぞ、良い気概だ。雑兵にしては上等よ。

 あぁ、欲しいな。欲しくなってきた。お前たちの命も、ワシが喰らうてやろう」


 独り呟き、王は右腕を高く掲げる。

 魔術による攻撃は途切れず続くが、巨漢の王は欠片も意に介さない。

 振り上げた分厚い刃が、風の如き速度で地を払った。

 衝撃と轟音、そして飛び散る赤い花々。

 後はその繰り返しだ。巨大戦斧が、慈悲も容赦もなく全てを叩き潰す。

 残る魔術騎士たちが全滅するのに、大した時間は必要なかった。


「……つまらん。食い足りん。まだまだ、こんなものでは腹は満ちぬ」


 散らばった肉片と、小さな泉の如く広がった血の痕。

 取り返しの付かない《死》だけが横たわる中、強欲なる王は呟く。


「もっとだ。もっと、もっともっともっともっともっと。

 多くの命を喰らわねば、多くの宝を奪わねば。

 足りぬ、足りぬぞ。とても足りぬ。

 我が飢えと乾きを癒やすには、とても足りぬわ!」


 咆哮が世界を揺るがす。その叫びに、応える者は何処にもいない。

 《ただ一人の王国》、《民無き者》、《世界喰らいの暴君》。

 数多の名で呼ばれる《彷徨える王》の、本来の名を呼ぶ者はもう何処にもいない。

 その悲しみを自覚しないまま、巨漢の王は視線を巡らせる。

 己が奪うに値するものを、探し求めるように。


「……匂う、匂うぞ。《王器》の匂いだ。王を持たぬ、主なき玉座の匂いだ」


 笑う。《彷徨える王》は、飢餓に喘ぐ獣の顔で笑った。

 奪い尽くした《死》の痕跡には目もくれず、王はゆっくりと歩み出す。

 目指す先が何処であるのか、強欲なる王は知らない。

 王都ソールグレイの名を知らずとも、奪うべき物の在り処と分かればそれで十分。


「奪おう、全てを。この世は一つ残らず我が物だ、我こそが王であるが故。

 奪って、奪って、奪って、奪い尽くして――――」


 一歩、一歩と。我が物である大地を踏み締めて。

 王は征く。守るべき民も、従えるべき兵もなく、たった独りで。


「……それから、どうするべきだ?」


 空虚な言葉だけが、無意味に虚空へと散っていく。

 それでも、王は決して歩みを止めない。

 王なき玉座と、それを守る王ならざる姫君が待つ城を目指して。

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