第4話:念入りに殺す姫君


 そして、次の日。


「……まさか、本当に来るとはな」

「自分で言ったことは守る主義なんだよ」


 灰色狼を連れた薄汚れた戦士は、再び玉座の間に現れた。

 ヒルデガルドは警戒し、その様子を観察する。

 ……こうして見ても、やはり人間と変わらないか。

 右手に大戦斧を抜き放つが、いきなり仕掛ける事はしない。

 対するガイストも、剣と盾をそれぞれ構えて防御重視の姿勢だ。

 睨み合いが続いたのは、ほんの数秒。


「おおおぉぉッ!!」


 戦士の咆哮を響かせて、先に踏み込んだのはガイストだった。

 一足で間合いを潰し、鋭い突きを繰り出す。

 後ろに飛び退いて躱すヒルデガルドに、不死の戦士は迷わず追撃する。

 やはり、動きは鋭い。剣の腕前もかなりのものだ。

 が、その程度の戦士ならばヒルデガルドも見飽きている。


「死ね」


 ただ一言。攻めを焦ったガイストの耳に届いたのは、冷たい刃と同時だった。

 今回は相棒の狼が手助けする暇もなく、断たれた首が宙を舞う。

 赤い血の軌跡を描き、ガイストの首が地に落ちた。


「……くそっ、流石に突っ込みすぎたか」


 そして程なくして、断たれたはずの首は元の通りに繋がっていた。

 《死》に抱かれるはずの生命が、何事もなく蘇る。

 昨日と寸分違わぬ光景に、ヒルデガルドは顔を歪めた。


「悍ましい……貴様、何故に死なぬのだ?」

「さてな」


 答えをはぐらかし、ガイストは再び武器を構える。

 戦意に満ちた眼差しを受け、大戦斧を握る手に力が込もった。

 ――どうあれ、この男もまた玉座を奪いに来た愚か者だ。

 あまりの得体の知れなさに狼狽えてしまったが、やるべき事に変わりはないのだ。

 改めて、ヒルデガルドは目の前の男を睨みつけた。


「どうやら、不死が貴様の誇りであるようだな」

「……誇りとは違うな。命拾いはさせて貰ってるけどな、文字通り」

「死なぬ生命など、この世にあるものかよ。

 真に貴様が不死であるかどうか、私の手で確かめてくれる」


 これまで以上の殺気を放ち、ヒルデガルドは大戦斧を振り上げた。

 反射的に、ガイストは盾を構える――が、それは囮だ。

 本命は床に伸びた影。既に立ち位置を調整し、影はガイストの足元に触れていた。


「おおぉっ!?」


 下から突き上げる刃の群れを、ガイストはギリギリで回避した。

 一度死んだ攻撃は、そう簡単には引っ掛からないようだ。

 しかしそれも、ヒルデガルドにとっては予測の内。

 無理な姿勢で避けたガイストへと、容赦なく大戦斧を投げ付けていた。

 タイミングは完璧で、今度は抵抗の余地すらなかった。


「ぶっ!?」


 斧の刃が肩に命中した衝撃で、ガイストはその場で転倒する。

 受けた傷は心臓近くにまで達する深さで、放って置いても死に至るだろう。

 だが、ガイストは不死なる者。故にヒルデガルドは手を緩めない。

 影から引き抜いた剣の数は、合わせて十本。

 それを宙に浮かべると、地に転がっているガイストの頭上に降り注がせる。


「ちょ、まっ」

「待つ道理など無い。速やかに死ね」


 無様な悲鳴に混じって、血肉と骨が断ち切られる重い音が連続する。

 それを何度も、何度も、何度も何度も重ねた。

 ヒルデガルド自身、ここまで執拗に敵の肉体を破壊したのは初めてだった。

 仮に《死》を盗まれても、二度と起き上がらない程度には粉々にして。

 最早ひと欠片の原型もなくなったところで、ヒルデガルドはようやく手を止めた。


「これで……」


 呟いた直後に、広がった血の池が泡立った。

 身に帯びた甲冑も、手にした剣や盾も。

 一つも損なう事なく、真っ赤な汚泥の中から立ち上がる戦士の姿。

 あまりにも現実離れした現象に、ヒルデガルドは息を呑むしかなかった。


「きっつい……! いや、こんな無茶苦茶殺す必要ないだろ……!?」

「…………」

「お前も見てないで助けてくれませんかねぇ……!」


 抗議されても、灰色狼は特に気にした様子もない。

 自分の血肉で全身を汚した状態で、ガイストはふらふらと立ち上がった。

 そして、呆然と見ていたヒルデガルドと視線が重なる。


「……あー。うん、今日のところはこの辺で」

「……は、いや、待て貴様……!」

「また明日来るから、その時に宜しくお願いしまーす!」


 まさに脱兎の如く。逃げ出したガイストの背を、ヒルデガルドは見送る他ない。

 白くなりかけた頭を、細い手が強く叩いた。


「落ち着け……こんな事で冷静さを欠いてどうする。

 私は《緋の玉座》を守る者、相手が不死の怪物だろうが、それは変わらない」


 二度、いや回数で考えれば三度、ガイストという男を殺した。

 そのどれも、あり得ざる現象によって《死》の底から蘇ってみせた。

 《死》――本来ならば、全ての生命が迎えるべき結末。

 《隠れたる者》にそれを盗まれると、生死を失って蠢く屍――《不死者》となる。

 単に動くだけの死体なら、物理的に破壊してしまえばそれで済む。

 常軌を逸した再生能力を持つ個体もいると、ヒルデガルドは伝聞で知ってはいた。

 しかしそれも限界は存在するし、何より『死なない』だけなら他に手もある。


「……そうだ、何も恐れることなどない。奴はただ、死なぬだけの凡人に過ぎん」


 そう結論つけてしまえば、思い煩うことなどなかった。

 あの男が語った言葉が真実か否か、それこそ不明ではあるが。

 もし本当に、性懲りもなく明日もやってくるなら、その時に思い知らせれば良い。

 自分が、どれだけ愚かな真似をしているのかを。


   ◆   ◆   ◆


「……で、姫様。それは一体何でしょうか?」

「鎖だ。見て分からぬか?」


 次の日、ガイストはまた玉座の間に現れた。

 顔を見せると同時に、ヒルデガルドの側が問答無用で襲いかかったのは数分前。

 思った以上に奮闘を見せたが、結局地を這ったのはガイストの方だった。

 四肢を切り裂かれ、身動きの取れない男を、ヒルデガルドは頭上から見下ろした。

 その手には、影から取り出した太い鎖が握られている。


「貴様が死なぬ事は、既に何度も見させて貰った。

 単純に殺すだけでは無駄だと、流石に私も認めよう」

「えぇと、それで?」

「お前を拘束し、このまま壁の中に沈める。

 生き埋めともなれば、不死であろうと関係はあるまい?」

「容赦がない……!」


 もがく力もないガイストを鎖で縛り付け、それを軽々と持ち上げる。

 一番分厚い石壁まで引き摺ると、ヒルデガルドは自らの手を壁面に触れさせた。

 影が揺らめき、壁に黒い穴のようなものを形作る。

 それが何であるのか、ガイストが疑問に思うよりも早く放り投げられた。

 黒い影が、鎖で拘束された戦士を呑み込む。

 壁の内側に完全に取り込まれたのを確認すると、ヒルデガルドは息を吐き出した。


「手こずったが、これで……」

「…………」


 すぐ近くで、灰色狼が歩き回る気配がした。

 主人が消えた石壁――ではなく、それとほど近い床の辺り。

 そちらに視線を向けると、ヒルデガルドは驚愕に身を震わせた。


「な、な……っ」

「……いや、うん。何かホントに申し訳ないんだが」


 床の上には、ガイストが変わらぬ姿で転がっていた。

 何故、どうして。鎖で拘束した上で、壁の中に生き埋めにしたはず。

 混乱するヒルデガルドを見上げながら、ガイストはゆっくりと立ち上がった。

 四肢に受けた傷はなく、身体を縛っていた鎖も見当たらない。


「生き埋めっつーけど、ほら、壁の中とか普通に窒息するし。

 あと、身体とかも潰されてグシャグシャになったんで、即死しました」

「……そのまま、埋まった状態で死に続けたりはしないのか」

「よく分からんが、昨日みたいに別の身体で復活したりするんだよな。そうなると」


 本人も、あまり理解していなさそうな顔で首を捻った。

 完璧だと思っていた作戦が、失敗した。

 恥辱に奥歯を噛みしめる姫君に、ガイストはゆっくりと後ずさる。


「……じゃあ、今日も盛大に負けたんで」

「待て……!」

「また明日来るから……!」


 躊躇なく逃げ出すガイストの背中を、ヒルデガルドは三度見送った。

 ……落ち着け、冷静になれ。

 ここ三日で経験した事を思い返し、推測も交えて検証していく。

 ガイストは不死だ。恐らく、物理的な手段では完全には殺せない。

 ヒルデガルドは、先ずその事実を認めた。

 その上で、如何にしてあの不死の怪物を仕留めるのか。

 肉体を粉々にするのも、生き埋めでそもそも生存が不可能な状態にするのも駄目だった。

 当人も否定していた通り、あの不死性は通常の《不死者》ではあり得ない。

 語る言葉も、見せる感情も、生きた人間とまるで変わらないのだ。

 ……生きた人間と、変わらない?


「……そうだ、あの男にも心が、真っ当な精神が備わっているはずだ」


 不死身の怪物が、人間としての正気を備えているのかどうか。

 それは流石に不明だが、物理的な殺害が困難な以上、手段としては悪くはない。

 ヒルデガルドは頭の中で新たな手を纏め、また次の日に備えた。


   ◆   ◆   ◆


「それで、今日はこんな感じですか」

「あぁ、随分と手を煩わせてくれたが。これで貴様も終わりだろう」


 後日、四度目となるヒルデガルドとガイストの戦い。

 流石に回数が重なった事で、ガイストも勘が働くようになったのか。

 ヒルデガルドの予想を超えた激戦の末、不死の戦士は再び彼女の前に屈していた。

 足元に這いつくばった昨日とは異なり、今日は微妙に高い位置に浮いた状態だ

 打ち負かされたガイストは、床に突き立った剣や槍の墓標で串刺しにされていた。

 流れる血は、生命の維持が可能な限界をとうに過ぎている。

 程なく、男は《死》に落ちるはずだ。


「肉体を損壊し過ぎては、お前は別の肉体で復活してしまう。

 だがこのように、緩やかに死に続ける状況を作ればどうなるか?

 不死であるお前は、例えそれでも死にはせんだろう。

 死んで、蘇って、また血を流してゆっくりと死ぬ。その繰り返しだ」

「姫様の容赦の無さには、マジで脱帽しますわ。

 けど、これじゃあ俺は死にませんよ?」

「あぁ、肉体はそうだろうとも。だが心の方はどうだ?

 お前は不死身の怪物やもしれんが、身も心も化け物というわけではあるまい」


 磔にされたガイストを見上げて、ヒルデガルドは笑う。

 それは冷たいが、酷く魅力的な微笑みだった。


「お前は何度でも死ぬ。繰り返し、不死である限りは何度でもだ。

 終わりなき死など、まともな心があれば耐えきれまい。

 狼を友として、話などできぬのに言葉をかけるのは、己を保つためだろう?」

「まぁ、大体……そんなとこ、だな」

「素直なのは結構だ。どうあれ、お前はここで死に続ける。

 その魂が朽ち果てる時までな」


 ヒルデガルドが語っている間に、ガイストの身体が一度力を失う。

 程なくして、項垂れていた頭が持ち上がった。


「悪い、ちょっと死んでた」

「……ふん、このまま身動きも取れず、お前は何度でも」

「確かに死ぬのはしんどいが、話し相手がいれば意外と何とかなるんだよな」


 なぁ、と。磔にされた墓標の傍に佇む、灰色狼に声をかけた。

 狼は当然のように無言で、時折流れてくる血を舐め取る。

 その仕草は案じているというより、単純に水分を欲しているように見えた。


「……意外と薄情そうな相棒だな」

「やっぱり姫様もそう思いますか。

 いやコイツ、たまに俺の事を非常食と勘違いしてる節があって……」

「まるで何度か食われたような口ぶりだが」


 なかなか恐ろしい想像だが、ガイストは曖昧に笑うのみだった。

 ちらりと灰色狼に目を向ければ、実に落ち着いたすまし顔だ。

 何の気はなしに手を伸ばすと、自ら頭を差し出してきた。

 指に触れた毛並みは、決して柔らかいものではない。

 けれど、硬い手触りが不思議と心地よく、自然と笑みを浮かべてしまった。

 ――と、その辺りでヒルデガルドは自分の口元を抑えた。

 処刑中の罪人を相手に、何を普通に言葉を交わしているのか。

 あまつさえ、気を緩めて微笑んでしまうなど。

 急に黙りこくった姫君を見ながら、ガイストはまた失血による死を迎えていた。

 それもすぐ蘇生して、構わずに言葉を投げかける。


「なぁ、姫様。姫殿下? 呼び方は何が良いですかね」

「…………」

「あ、俺と会話したら意味ないと気付いた感じで?

 独り言は流石に寂しいですが、仕方ないか。  

 じゃあ最後に一つだけ、姫様に謝罪したい事が」

「…………?」

「いや昨日、思いっ切り床に転がされた時。

 姫様の立ち位置が良くなかったせいで――その、微妙に見えてしまって」

「…………は?」

「誓ってそんなつもりはなかったんですよ、ええ。

 ところで、意外と下は可愛らしいのをお召しみたいで――」


 咄嗟に全力攻撃で薙ぎ払ってしまった事を、ヒルデガルドは後悔しなかった。

 後先など考えず、怒り任せに手にした大戦斧を叩き込む。

 墓標の一部ごと、ガイストの身体がバラバラに粉砕された。

 砕けた血肉は、程なく元の戦士の形で蘇生を果たす。

 追撃を仕掛けられるより早く、ガイストは相棒の狼を連れて逃げ出した。


「それじゃあ姫様、また明日!!」

「二度と来るな馬鹿者がァ!!」


 走り去る背中に、ヒルデガルドは腹の底から吼えた。

 息を荒げ、肩を揺らす様など常では考えられない醜態だった。


「次は、殺す……! 痴れ者め、必ず殺してくれる……!!」


 相手は不死と知りながら、ヒルデガルドは呟いた。

 二度と来るなと、自ら口にしたはずの言葉は忘却の彼方だ。

 次だ、次に来たならば、その時は必ず。

 怒りと殺意を滾らせ、ヒルデガルドは狼を連れた戦士が現れるのを待った。

 けれど次の日は、ガイストが彼女の元にやって来る事はなかった。

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