第3話:《亡霊》を名乗る男


 退くという選択肢は、ガイストにはなかった。

 黒い大戦斧を振り上げるヒルデガルドに対し、彼も剣を構える。

 慈悲を蔑ろにした哀れな挑戦者に、姫君は不快そうに顔をしかめた。


「後悔するぞ」

「もうとっくにしてるんで、ご心配なく」

「そうか」


 ならば、最早問答は不要。

 《王器》の番人として、速やかに愚かな野心に幕を引くのみ。

 ヒルデガルドは様子見などしない。

 相手の立ち姿から、どの程度の腕前を持つ戦士なのかはおおよそ把握できる。

 ――死線は越えて来たようだが、凡人だな。

 先に葬った竜雷の勇者など、《英雄》たる者が自然と纏う覇気がない。

 剣を構える姿や、細かな動作から歴戦である事は伺えるが、それだけだ。

 単なる戦士如きでは、王の座には届かない。


「死ね」


 その言葉は、処刑する罪人に送る餞の言葉だった。

 慎重に距離を計るガイストとは真逆に、ヒルデガルドは一気に間合いを詰める。

 戦士の反応が間に合っていない事は、超人的な五感が捉えていた。

 後は片手に持った大戦斧を、真横から大きく薙ぎ払う。

 甲冑を着込んでいようが、質量と速度が合わさった刃の前では紙切れ同然。

 哀れなガイストは、無惨にも血肉を足元の床へとぶち撒けて――。


「危なっ……!!」

「何……!?」


 ヒルデガルドが描いた、確定しているはずの未来予想。

 しかし意外にも、ガイストはそれを覆してみせた。

 風を切り裂く大戦斧の速度に、確かにガイストは反応できていなかった。

 回避など不可能なはずのタイミングで、彼は紙一重で身を屈めていた。

 刃が掠めたことで、甲冑の表面がガリガリと削られる。

 振り抜いた大斧で二の太刀を入れる前に、大きく間合いを離された。

 凡百の戦士が見せた動きは、思った以上に機敏だった。

 再び大戦斧を持ち上げて、ヒルデガルドは追撃を仕掛けようとする。

 仕留め損なった事には驚いたが、その程度の幸運は稀にある話に過ぎない。

 無理な回避で体勢を崩し気味のガイストに、今度こそ致命の一撃を。

 そう考え、再び距離を詰めようとしたところで。


「ガァァッ!!」


 足元の死角から、灰色の影が飛びかかってきた。

 ガイストの相棒である大柄な灰狼。

 ヒルデガルドの殺意にも一切怯まず、鋭い牙と爪で挑みかかってきたのだ。

 ――騎士の出で立ちで、獣を友としているのか!

 数多の勇士を葬ってきた姫君だが、これは稀な経験だった。

 狼の爪牙ぐらいは大した脅威でもない。が、獣の動きは人より遥かに素早い。

 追い払おうと振り回した大戦斧を、狼はするりと躱してしまう。


「良くやった……!」


 短い狼との攻防。その間に、ガイストの方も体勢を立て直していた。

 意識を纏わりつく狼に向けたヒルデガルドの側面から、剣を構えて突進していく。

 タイミングは完璧だ。大戦斧は空を切ったばかりで、致命的な隙を晒している。

 変わらず、心は美しい姫君の横顔に惹かれたままだが。

 戦士としてそれは一度切り離し、躊躇うこと無く手にした刃を振り下ろす。

 無防備な身体に、長剣の一撃が届く――はずだった。


「侮るなよ」


 冷たい声は、麗しい響きで耳の奥をくすぐる。

 ガイストが振り下ろした剣は、ヒルデガルドに届く前に弾かれていた。

 右手に持つ大戦斧ではなく、左手に掴んだ大剣の刃によって。


「嘘だろ……っ!?」

「現実だ、痴れ者め」


 大斧と大剣の二刀……いや、一斧一剣流。

 新たに握られた剣は、大戦斧と比べればまだ小ぶりではある。

 それでも、ヒルデガルドの身長と大差ないほどのサイズだ。

 彼女は両手に持った巨大武器を、木の枝か何かのように軽々と振り回した。

 

「…………!」

「チッ……おい、大丈夫か!?」


 嵐にも似た斧と剣の攻撃に、たまらず離れる戦士と狼。

 灰色狼は幸いにも無傷だが、ガイストの方は離脱するタイミングが一瞬遅かった。

 斧の刃先に引っ掛けられ、右腕から真っ赤な血が吹き出す。

 致命傷ではないが、重傷である事に違いはない。

 放って置いても失血で戦闘不能だろうが、ヒルデガルドは慈悲を見せない。

 それは戦う前に、既に見せたからだ。


「ホントに容赦ねェな!」

「……無駄口の多い男だな」


 応える必要などないのだが、呆れてつい言葉を返してしまった。

 ガイストの言葉通り、ヒルデガルドの攻撃に容赦はない。

 一つでも当たれば、即死に繋がる大斧と大剣。

 それらを途切れることなく繰り出して、ガイストを追い詰めていく。

 突風に揉まれる木の葉の如く、凡百の戦士になす術はない。

 が、彼はまだ生きていた。傷ついた腕で、それでも斧や剣の嵐を凌いでいるのだ。

 手は緩めず、しかしヒルデガルドは驚嘆していた。

 脳裏に浮かぶのは、これまで戦ってきた婚約者たちの姿だ。

 英雄豪傑と呼ばれた彼らの中でも、ここまで粘った者はそう多くない。


「名はなんという、戦士」

「っ……一応、ガイストって、名乗ってますよ……!」

亡霊ガイストか。ふざけた名乗りだが、まぁ良い。

 私とこれほどまでに刃を交えられたのは、お前で八人目だ」


 多くはない。多くはないが、稀にいる八人に過ぎない。

 故に幕引きが近い事も、ヒルデガルドは良く分かっていた。


「ガアアァッ!!」


 注意を引くために、あえて咆哮と共に行われる強襲。

 刃の隙間を縫う形で、灰色狼はヒルデガルドの腕に噛みついた。

 大戦斧を持つ手が、ほんの僅かに鈍る。

 その一瞬の儚い隙を突く形で、ガイストは動いた。

 斧が阻まれても、まだ左手に構えた大剣がある。

 踏み込んでくる戦士に向けて、半ば反射的に大上段から剣を打ち込んだ。

 兜ごと頭蓋を両断するには十分過ぎる一撃。

 それをガイストは、踏み込む前に背中から取り出した盾の表面で受け止めた。


「ッラァ!!」


 気合を叫び、剣の刃を受け流す。

 大戦斧の一撃なら、あるいは右腕で振るっていたならこうは行かなかったろう。

 左腕で振るっていたため、微妙に大剣に込められた力が弱かった事。

 狼の牙を受けた直後で、ヒルデガルドの体勢がやや崩れていた事。

 それらの幸運とタイミングが重なり、ここに奇跡が実現する。

 突き出す刃の先端は、晒された姫君の胸元に迫る。

 仕留められるとは毛頭思っていないが、致命に近い傷は与えられるはず。

 そう信じて、ガイストは構えた剣に全霊を込めた。


「……惜しかったな、亡霊」


 囁く声には、微かな憐憫と称賛が含まれていた。

 ガイストの剣は、阻むもの一つない虚空で停止している。

 何故、と。疑問に思う思考も、風に吹かれた霧のように散っていく。

 痛み。遅れて、ガイストは己の身体が何かに刺し貫かれている事に気が付いた。


「運が無かったな。それと、私にこれを使わせたのはお前で五人目だ」


 ヒルデガルドの足元。

 《王器》たる玉座が放つ光に照らされ、床に伸びる影。

 そこから、大小無数の刃が剣山の如く生えていた。

 ガイストはその上にいたため、全身を串刺しにされる結果となったのだ。

 腕や足、胴体と、十を超える剣が貫通している。

 身動きなど取れるはずもなく、誰がどう見ても致命傷だ。


「ッ……ぁ……」

「これでもまだ死なぬとは、呆れた生命力だな。

 ……そのままでは苦しかろう。すぐ、トドメを刺してやる」


 何かを言おうとしても、喉を貫かれたガイストに語れる言葉はない。

 苦しみに喘ぐその姿を見て、ヒルデガルドは大戦斧を構える。

 《死》を抱く者への慈悲は速やかに、首を断つという形で表された。

 切り裂かれた断面から噴き出した血が、赤黒いドレスに掛かる。

 ヒルデガルドは、細く息を吐き出した。


「……お前はどうする?」

「…………」


 床に振り払った灰色狼。問われたところで、獣は答えたりはしない。

 既に敵意の失せた瞳を、ヒルデガルドは真っ直ぐ見ていた。


「主人に忠義立てすると言うなら、良いだろう。

 そうでなければ、私も獣の命まで無為に取ろうとは思わない」

「…………」

「……獣ではあるが、賢いのだな。

 私の言葉も、理解できているのだろう?」


 狼は何も答えない。

 そのままヒルデガルドの足元に転がった、ガイストの首へと近付く。

 無造作に首の辺りに噛みつくと、これを持ち上げる。

 血の滴る生首を、影の剣から解放された胴体の方へと運んでいく。

 そんな奇妙な狼の様子を、ヒルデガルドは黙って見ていた。

 ……殺した者の屍は、可能な限り速やかに葬らなければならない。

 そうしなければ、《隠れたる者》がその《死》を盗みに来るからだ。


「……葬送を。あの狼も、邪魔をする事は……」


 狼の行いに戸惑いながらも、いつものように眷属たる鴉に命ずる。

 舞い降りる黒い翼は、死者を眠るべき場所へと葬ってくれる。

 いつも通りだ。いつも通りのはずだった。

 けれど、変化は突然に起こった。


「…………ぅ、ぁ、が、ああぁ……!」

「……な、に?」


 声。呻く声。苦痛に喘ぐ声。

 死者の声だった。何故ならそれは、屍の首が上げた声だからだ。

 あり得ない現象を目の当たりにして、ヒルデガルドは思わず息を呑んだ。


「馬鹿な、もう不死化しただとっ? 早すぎる……!」

「ぐ、ぅぅぁあぁあ……ッ、くそ、いってェ……!!」


 狼狽える彼女を余所に、ガイストに起こった変化は急激に進行する。

 切り裂かれ、撒き散らされたはずの血が、流れ出した傷口へと戻っていく。

 千切れかけた手足も、切断された首も。

 肉と骨が互いに繋がり合い、あっという間に断面を埋めてしまった。

 それは、あり得てはならない光景だった。

 時間にすれば、ほんの十数秒ほど。

 それだけで、死んだはずのガイストの身体は、完全に元の状態に戻っていた。

 ゴホッと、兜の奥で大きく咳き込む。


「あ、あ、ぁー……何というか、久々に派手に死んだな」

「…………」

「王城の中でも何度も死んだだろ、って?

 それはそうだけど、ここまでグシャグシャにはされてなかったろ」

「……お前、まさか。不死者アンデッドか?」


 不死者。口に出した単語を、ヒルデガルドは頭の中で繰り返す。

 悪しき神の一柱、《隠れたる者》によって《死》を隠されてしまった屍。

 本来は死せる巨人の懐に抱かれるはずの魂が、終わりを見失って彷徨う現象。

 この世界で、最も忌むべき事象の一つだ。

 ヒルデガルド自身、不死者そのものは見た事はない。

 《死》を盗まれると言っても、それはすぐに起こる事ではないからだ。

 目の前の男のように、死んだ直後で不死者と化すなど、本来はあり得ないはず。


「いや……俺は、不死者じゃない。そう勘違いするのも分かるがな」

「……どういう事だ? 一体、お前は何を言っている」

「お姫様が見ている通りさ。それとも、詩か何かで例えた方が良かったか?」


 訝る姫君の視線を受けて、ガイストは皮肉げに笑ってみせた。

 それは《死》を盗まれ、蠢くだけの屍ではあり得ない、生きた感情の動きだった。


「…………」

「ん? あぁ、そうだな」


 傍らの狼が、小さく唸るように吼えた。

 ガイストはゆったりとした動作で、その場から立ち上がる。

 反射的に、ヒルデガルドは再び大戦斧を引き抜くが。


「……とりあえず、一旦戻りますわ」

「は?」

「姫様が思ったより遥かに強かったのと、予想してた以上にド派手に殺されたんで。

 ここまで突破してくる間も、何度かあの影みたいな奴相手にも死んでるし。

 流石にそろそろ身体もしんどいから、一度出直そうかと」


 世間話でもするような軽さで、ガイストは撤退を宣言した。

 言ってる意味がすぐに呑み込めず、ヒルデガルドは一瞬呆けてしまいそうになる。

 が、堂々と向けられたガイストの背中を見て、頭の中で激情が迸った。


「待て、貴様! この状況で逃がすと思うのか!!」

「いいや逃げますとも! 再戦はまた日を改めてって事でお願いします!!」

「…………」


 やや呆れた気配を滲ませる灰色狼を伴って、ガイストは力強く駆け出した。

 追いかけようとしたが、既に相手は暗い通路の内へ飛び込んだ後。

 《王器》の前から離れるわけにはいかないと、ヒルデガルドは踏み止まった。

 ただ忌々しげに唇を歪めて、石造りの床を強く蹴る。


「一体、あの男は何者だ……?」


 自らを亡霊と名乗る、正体不明の不死身の戦士。

 あまりに得体の知れない相手に、ヒルデガルドは微かに戦慄した声で呟いた。

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