第5話:王都の日常


 バルド王国の王都、ソールグレイ。

 王が病で命を落とし、王城は乱心した姫君によって玉座ごと占拠された。

 その噂を聞いた時点で、既に都の方も廃墟同然かとガイストは考えていた。

 《王器》の継承者が不在となってから、はや一年。

 国土はさほど荒れてはいなかったが、荒廃は徐々に迫りつつある。

 ならば王を失った都も、とっくに人がいなくなっているかと思ったが。


「やぁ、兄ちゃん! 昨日も王城に行ってきたのかね?」

「あぁ、また尻尾を巻いて逃げてきたところだ」

「逃げ帰ってくる奴は珍しくないがなぁ。

 兄ちゃんみたいに懲りない奴は滅多にいないよ!」


 王城へと伸びる大通りの一角。

 “銀の酒杯”亭と呼ばれる宿の酒場で、ガイストは遅めの朝食を取っていた。

 不死の身ではあれど、眠りはするし腹も減る。

 特に激しく殺された後は、どうしても肉体の消耗は重くなってしまう。

 食卓を同席するのは、既に顔なじみとなった名も知らない年配の男。

 薄くなった頭頂部をしきりに撫でながら、昼間から薄めのエールを口にしていた。


「有名な英雄様がたは、大体奥に行っちまうんだろうねぇ。

 《忌み姫》様のお顔を見た奴は、誰一人帰ってこないってもっぱらの噂だ。

 半端な腕自慢は、大体途中で諦めちまうから逆に運が良いって話だからなぁ」

「らしいな。ところでオジサン、その話もう三回目だと思うわ」

「おっ、そうだったか? ハハハハ! 酒の飲み過ぎだなこりゃ!」


 既に軽く酔いが回ってる様子で、男は楽しげに大笑いしてみせた。

 ここ数日で定位置となった椅子の傍に、灰色狼は何も言わずに佇んでいる。

 ガイストは黒パンを齧りつつ、干し肉を相棒へと差し出した。

 鋭い牙が肉を捕らえ、乾いて硬くなった繊維をゆっくりとほぐしていく。

 その様子を、酔った男は感心した顔で眺めていた。


「いやぁ、いつも思うけど良く躾けられてるねぇ。

 灰色狼は人に懐かないって聞いたんだがなぁ」

「別に懐いてるわけじゃあないけどな。

 ま、行き場の無い者同士が、たまたま一緒にいるだけだよ」

「よく分からんが、旅の相棒がいるってのはそれだけで良い事だろうさ」

「……それは確かに」


 深い考えもない、酔っぱらいの戯言に近い言葉だったが。

 意外と真理を突いてるなと、ガイストは笑いながら応えた。

 こちらも薄めたエールを口にして、喉の乾きを潤す。

 ガイストたち以外にも、広い酒場の中には多くの客が飲み食いをしていた。

 ここ数日で見知った顔もあれば、全く知らない顔もある。

 王都で一番の宿という触れ込みを考えても、昼間からなかなかの賑わいだった。


「……しかしまぁ、不思議だよな」

「ん? 何がだい?」

「いや、王都に入る前は、てっきり此処は放棄されたもんだと思ってたよ」

「あぁ、兄ちゃんみたいなよそ者は大体そう言うねぇ」


 苦笑いを返して、男は木製のカップを傾ける。

 酒気を帯びた息を吐き出し、視線は何もない天井の方へと向ける。

 それは王城のある方角だった。


「そりゃ、最初の頃は結構な大騒ぎだったがね。

 陛下は亡くなられて、跡継ぎは《忌み姫》様――王女殿下一人だけだ。

 夫をお決めになったら、そのまま玉座を継ぐと誰もが思ってたさ」

「で、蓋を開けたらこの状況か」

「まったくビックリだったよ。玉座は継がぬし、夫もいらぬとさ。

 俺ぁしがない平民だからな、その時はなんだか妙に騒がしいなぐらいだったよ。

 けどいつの間にか、王城にいた連中は全員姫様によって叩き出されちまったのさ」

「……改めて聞くと、とんでもない話だよな」


 思い出すのは、ヒルデガルドの姿だ。

 その悪夢じみた強さの前に、何人の英雄が屠られたのか。

 これほど度々ミンチにされるのは、ガイストでも初めての経験だった。


「で、まぁ言った通り、最初はみんな混乱したさ。

 けど王城で騒ぎが起こってすぐに、姫様が城下にお触れを出したんだ」

「お触れ?」

「そうさ、自分は王とはならないが、変わらず王都を治める。

 皆はこれまで通り、この国と都の民として変わらず暮せば良い、ってね」


 そう言って、男はカップに残ったエールを呑み干した。


「考えてみりゃ、王都の外に出たってそう行くアテも無い。

 姫様は恐ろしい怪物かもしれんが、王城を占拠する以外に危ない事もしなかった。

 結局、俺たち平民の生活にはそう大きな影響はなかったのさ」

「ふーむ、なるほどな」

「どころか、たまに城から黒い兵隊さんみたいなのが出てくるんだけどよ。

 その兵隊さんから、街のお偉い方に金品を下賜するんだよ。

 ありゃ多分、姫様と婚約しようとして失敗した連中の持ち物だろうなぁ」

「あー……」


 確かに、実力や身分のある英雄なら、身に付けてる物は相応以上に金になる。

 ヒルデガルドからすれば、それらは無用の長物だ。

 それを回収して民に与えるというのは、なかなか合理的な手段に思えた。


「後は兄ちゃんみたいに、都の外から来る人間も大分増えたからな」

「噂を聞いてお姫様に求婚しに来た、命知らずな連中だよな」

「あぁ。なんだかんだ、人が多けりゃ商いも繁盛する。

 そういう意味じゃあ活気は前よりあるぐらいだ」

「……けど、素性の知れないよそ者が増えるとか、治安は大丈夫なのか?」

「城から追い出された兵士たちの一部が、姫様の命令で衛兵をやってるからな。

 あんまり酷い場合は、城から黒い兵隊さんが出てくる時もあるよ。

 ま、そっちは滅多にあることじゃないけどな」


 黒い兵隊。それは王城で見た、あの影に似た戦士のことだろう。

 確かにアレが出てきたなら、そこらのゴロツキ程度では相手になるまい。

 どうやらヒルデガルドは、思った以上に都の民を気にかけているようだった。

 玉座に着いていないだけで、王として振る舞っているとすら言える。


「……だったら何で、王にならないんだろうかね。あのお姫様は」

「アンタもそう思うかい?」


 話しかけてきたのは、酔っぱらいの男とはまた別の人間だった。

 まだそう歳も行っていない、体格の良い男が一人。

 こちらも酔いはそれなりに回った様子だが、立ち姿に隙は少ない。

 戦う事を生業にした人種だと、ガイストはひと目で理解した。


「おたくは?」

「王城から叩き出された、元兵士さ。今は見ての通りのザマだけどな」

「城を追い出した姫様から恵んで貰った金で、毎日酒呑んでるロクでなしさ」

「言うなよ、こっちだって分かってるんだ」


 皮肉めいた男の言葉に、元兵士は苦笑いで返した。

 言葉の内容にトゲはあるが、どうやら彼らにとっては定番のやり取りらしい。


「まぁ、所詮俺は下っ端だけどな。

 それでも兵士としてそれなりにやってたところ、いきなり放り出されたらな。

 文句の一つぐらい、言いたい気分にはなるさ」

「災難だった――としか言えんなぁ、部外者としては」

「良いさ、気持ちだけでもありがたい」


 ガイストの言葉に、元兵士は手にしたカップを呷った。

 酒気の混じった息を吐いて、近くにあった椅子に適当に腰を下ろす。

 ふと、酒場の一角で一際大きな声が響いた。

 エールをちびりと呑みながら、ガイストは一瞬だけ視線をそちらへと向ける。

 そこでは、複数人の武装した集団が宴の勢いで騒いでいるようだった。


「……姫様がお見張りになられてるとはいえ、ああいう輩も増えたからな」

「やっぱ、婚約者様御一行って感じか? アレも」

「昨日辺りか? 街に入ってきて、前祝いだと結構派手に騒いでる連中だよ」

「ふむ」


 恐らく、合わせた人数は十人ほどか。

 身なりもそれなりに立派で、どこぞの貴族の私兵集団かもしれない。

 距離もあるため、集団の主が誰かまでは判別できなかった。


「あんまりジロジロ見てやるなよ。ガラの良さそうな相手じゃないからな」

「おっと、こりゃ失礼」


 元兵士に咎められ、ガイストは素直に目線を外した。

 彼らの目当てが《王器》であるのなら、近い内に王城に挑む事になるだろう。

 そして死の迷宮と化した城に叩き出されるか、姫君に出会って殺されるか。

 待ち受ける運命がどちらかなのか、ガイストは特に興味もなかった。


「……まぁ、姫様も大変だよな。

 あんな連中が、それこそひっきりなしにやってくるんだ。

 俺個人としちゃ文句もあるけど、流石に同情しちまうよ」

「先王が生きておられた頃は忌み子扱いで、今は玉座のおまけ扱い。

 不憫と言っちゃなんだが、不憫な話だよ」

「婚約だの何だの言って、アイツらは姫様の顔も知らないだろうしな」

「それを言ったら、俺らだって似たようなもんだろ?」

「違いない!」


 ゲラゲラと意味もなく笑い出す酔漢二人。

 彼らの横で、ガイストだけは不思議そうに首を傾げた。


「アンタら、姫君の顔も知らないのか?」

「ん? あぁ、そりゃそうだろ。いや、お前は元兵士だろ? 見た事ないのか?」

「ないさ、あるわけない! 言っただろ、あの方は王家じゃ忌み子扱いだった。

 都の人間の間ですら、《忌み姫》様なんて通り名を口にするぐらいだ。

 先王陛下は、ただ一人の我が子の力を酷く恐れられているようだった」


 好奇心と畏怖、それに憐憫を含ませて。

 追憶に視線を彷徨わせながら、元兵士の男は静かに語った。

 忌み子扱いという噂は、ガイストも多少なりとも耳にしていた。

 しかし、覇王ガイセリックは武力で成り上がった王。

 人間離れした力を我が子が持って生まれたなら、逆に歓迎しそうなものだが。

 首を傾げたままのガイストに、男たちは苦笑いをこぼした。


「言いたい事は分かるよ、兄ちゃん。けど、こればっかりはな」

「あぁ、先王陛下が姫様をどう思ってたとか、俺らには想像もつかんよ。

 噂じゃ、姫様を出産した時に奥方様が亡くなったのが原因とも言われてるけどな」

「ま、止そうぜ。そういう話は酒が不味くなっちまう。

 俺ら平民としちゃあ、早く姫様のお眼鏡に適う益荒男が現れるのを祈るぐらいだ」

「ははは、違いねぇな」


 王城が人命をすり潰す地獄と化したのとは裏腹に、彼らの営みは平和そのものだ。

 地獄からの生還者であるガイストは、その傍らで酒を呑む。

 新たな干し肉を、相棒の狼に与えるのも忘れない。


「で、兄ちゃんは今日も行くのかい?」

「あぁ、そうだな。もうちょっとゆっくりしてから行こうと思ってる」

「ん? あぁ、もしかしてアンタが噂の?」

「どういう噂になってるのか、流石にちょっと気になるね」

「逃げ帰る奴は珍しくないけど、懲りずに何度も挑む奴は滅多にいないからなぁ」


 どうやら、ガイストが思っている以上に話が出回っているらしい。

 別に評判などこだわる質ではないので、然程気にする事でもないのだが。


「こんだけ男どもを惑わしちまうとは、姫君はきっと絶世の美女に違いないな!」

「オイオイ、俺らは顔も知らないって話したばかりだろ?」

「そうだけどよぉ、死の王城を命懸けで抜けたのに、姫様が美人じゃなかったら逆に悲惨だろ?」

「いや、実際すげー美人だったぞ。ビックリして面喰らっちまったもん、俺」

「はははは、そりゃ夢のある話だな!」

「酔っ払いの冗談もいいが、流石にそろそろ不敬だぞー?」

「マジマジ、冗談じゃないって。玉座まで辿り着いて、ちゃんと見たからな」


 ただ、自分が見たものをそのまま口にする。

 この時のガイストは、単なる世間話をしている程度の認識だった。

 酔っ払い二人も、それを真面目に取り合わず、ただの冗談だと受け流した。

 当然だ。途中で逃げ帰る者はいても、姫君の顔を見て生きて帰ってきた者はいないのだから。

 しかし不幸にも、その話を『冗談』と受け取らない者がいた。


「おい、そこの貴様!!」

「……ん? 俺?」


 耳を打つ怒号に、ガイストはゆっくりと振り向く。

 あまりの声量に静まり返った酒場、その中心に大柄な男が立っていた。

 金の髪を軽く振り乱し、鳶色の眼でキツく睨みつけてくる。

 先ほど目にした、貴族の私兵集団らしき連中の一人だ。

 一人……いや、恐らくその人物こそが、彼らの長なのだろう。

 身に付けた胸甲鎧に刻まれた、火を吹く竜の紋章。

 バルド王国の貴族は、自らの紋章に力の象徴である竜を使う事を好む。


「聞き捨てならんな、貴様のような無頼漢が姫君の尊顔を拝しただと?

 それが真であると言うのなら、捨て置くことはできんぞ」

「そういうおたくはどちら様よ」

「貴様、無礼であるぞ!! 速やかに頭を垂れよ!」


 部下らしき男が、目を血走らせて威嚇の声を上げる。

 酒場の客たちは速やかに距離を取り、ことの成り行きを見守る構えだ。

 下手に動けない酔っ払い二人から、ガイストの方から席を立った。


「生憎と流れ者でね、礼儀もアンタの名前も知らないんだよ」

「……ふん、良いだろう。

 無知蒙昧の輩よ、オレの名をその足りない頭に良く刻んでおけ」


 短く切られた金髪を指で整え、鍛えられた五体に力を入れる。

 胸筋をことさら膨らませて、その男は堂々と自らの名を歌い上げた。


「我が名はメグロス。

 偉大なる覇王ガイゼリックの父祖、ラーガンディアの血に連なる者。

 そしてヒルデガルド王女を妻とし、《王器》を継承する次期バルド国王なるぞ!」

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