1-3「グルカナイフは、どうやって入手したんですか?」



「グルカナイフは、どうやって入手したんですか?」

「あのなたは、学校の備品です。夏場に背丈よりも茂った藪を刈るのに使う物です」

「『鉈』?」

「違うんですか?」

「まあ、鉈としての使い方もされるものだそうですが……」

「あれは、実際に握ってみるとバランスが良くて、案外扱い易いんです。握って振ってみるとすごく楽に思うように振るえますし、グリップの形が良いので逆手に持って引き切るのにも動かし易いんです」

 青年は、軍用ナイフとして採用されることもある殺傷能力の高いナイフを、あくまでも鉈だと思っていたらしい。

「包丁とか、他にも刃物はあるでしょう?」

「食事は学校の食堂か外食だったので、包丁は持っていなかったんです」

 青年は言った。

「私の管理下にある、一番使いやすそうで、大きくて丈夫な刃物があの鉈だったんです。

 大型カッターナイフもあったんですが、持ってみると後ろから頸動脈を切るのには持ちにくくて。

 身近な刃物を持ち比べて検討した結果、とどめをさすのはこれがいいだろうと鉈を使うことに決めたんです」

「『後ろから頸動脈を』……最初から、とどめはそうすると決めていたんですか?」

「はい。あまり痛くなく、怖く無く、確実に、苦しませないように、と考えました」

 安藤は、青年に会う前に見て来た現場の様子を思い出した。

 確かに、被害者が死に際して苦しんで暴れた形跡はなかった。それがわかることの異常さはさておき、確かになかった。

「なのに、刺してるんですね」

 自宅の書斎の椅子に手首と肘を結束バンドで拘束され、両の頸動脈と気管をまとめて一息に掻き切られた被害者の、右わき腹から飛び出していた果物ナイフの柄を思い返しながら、わざと曖昧に言った。

「はい」

「何故ですか?」

「いきなり襲いかかって致命傷を与えようとしても、抵抗されたり、逃げられたりする可能性がありますから。

 不意を突いて背後からわき腹を刺してから、鉈をちらつかせて脅して拘束しました」

「ふむ」

 安藤は立ち上がると、ポケットからスマフォを取り出して机に置いた。

 青年の後ろに回って腰縄の端をほどき、「ちょっと、立って下さい」と青年を立たせてから、青年にスマフォを差し出す。

「富田」

「はい」

 調書担当用のデスクでメモを取っていた富田が、わかってますよと言わんばかりに立ち上がる。

「彼が被害者、そのスマフォが凶器だと思って下さい」

 富田を青年の向かいに立たせてから、安藤は青年に言った。

「どうやって凶器を刺したのか、やってみせて下さい」

「はい」

 青年は迷いなく富田の背後に回った。左手でスマフォをナイフに見立てて握り、手首を返し、右掌を柄尻にあてると、自分の右腰のあたりに左手で保持したスマフォを、体ごとぶつかりながら右手で押し込むように、富田の右わき腹に押し付けた。

「ありがとうございます。

 では今度は、そのスマフォを『鉈』だと思って、どうやって被害者を殺害したのか、やってみせて下さい」

「はい。……椅子に座ってもらえますか?」

 後半は富田に向けた言葉だ。

 青年は富田をパイプ椅子に座らせると、背後に回って富田の目のあたりを右手で押さえて軽く引いた。富田の顎が上がり、髭の剃り残しのある喉がさらけ出される。青年は富田の前に左腕を回し、富田の右頸動脈のあたりに左手で逆手に持ったスマフォの側面を近づけ、右から左に一息に動かしてみせた。

「ありがとうございます」と安藤が右手を差し出せば、青年は左手でスマフォを安藤の右掌に乗せた。

「左利きなんですね」

 パイプ椅子に座るように促しながら言えば、青年はいやに慎重なようすで椅子に座ってから、「はい」と答えた。

「『箸とペンは右手で』と躾られましたが、細かい作業や力仕事は左です」

 富田が青年の腰縄を椅子に結び付けるのを待ってから、安藤は質問を続けた。

「先に刺した凶器は、元々持っていたものですか?」

「いいえ。理事長を殺す事に決めてから、購入しました」

「いつ、どこの店で?」

「昨日の夕方、国道沿いのホームセンターで。さっき服と一緒にお渡しした財布に、レシートが入っています」

「ホームセンターなら、他にもいろんな刃物があったでしょう? 何故、あの凶器だったんですか?」

「あの『果物ナイフ』が、隠して近づくのに手頃なサイズだと思ったんです」

 安藤がずっと「凶器」としか表現していなかったものを、この青年は確かに果物ナイフと言った。

「……果物ナイフも、左利き用を?」

「いいえ。あのホームセンターには、左利き用の果物ナイフはなかったんです。どうせ突き刺すだけですから、こだわりませんでした」

「なるほど」

 安藤はうなずいた。

 

 とりあえず、遺体の状況は供述と合致している。この青年が被害者を殺害した可能性は極めて高い。それは認めよう。

 だが安藤は、青年の供述をうのみにする気にはなれなかった。

 青年が待つ取調べ室に来る前に寄って来た、遺体発見現場の様子を思い出す。

 白い壁紙と、あちこちにあしらわれた金の唐草模様の意匠と、クリスタルの豪奢なシャンデリア。どこのヨーロッパのお城かと聞きたくなるような組み合わせの、でもどこかペラペラで安っぽい印象の2階建ての洋館。

 その2階の奥にあったのは、そこだけはブラウン系でシックに統一された、寝室と続き部屋の落ち着いた書斎。

 重厚なデスクの向こうで、椅子の肘掛に両腕を結束バンドで拘束され、わき腹に果物ナイフを突き立てられ、首を掻き切られて血まみれで息絶えていた50才ほどのスーツ姿の男性。

 その遺体の状況を見た時に、一目で気づいた不自然さ。

 その遺体は、あまりにも「大人しかった」。

 安藤は、元は県警本部の刑事部捜査課の刑事だ。

 T市は年間の殺人事件発生件数が0か1という平和な田舎だが、ここに異動になる前には県庁所在地のG市を中心に、数々の凄惨な事件の現場を目にしてきた。

 それらの現場に比べて、今日見たあの現場はあまりにも「乱れて」いなかったのだ。

 血しぶきで汚れてはいてもデスクの上のものは綺麗に整えられており、拘束された両手首には結束バンドの縁で擦れた傷がわずかにしかなかった。

 わき腹を刺され、グルカナイフで脅迫され、意に反して拘束されたのだろうに、拘束から逃れようと足掻いた様子がほとんどなかったのだ。

 不自然な点はまだある。

 現場には、玄関の内側から階段を通って書斎まで、血痕が点々とついていた。

 滴下血痕は血を流している人間の移動の方向と速度によってによって形が変わる。

 現場に残されていた血痕は、二種類。「玄関から書斎に向かって低速で移動している血痕」と、「書斎から玄関に向かって中速で移動している血痕」の二種類だ。

 二種類の血痕が両方とも確かに被害者のものであるのかは科捜研のDNA鑑定結果が出なければ確定しないが、おそらくは被害者のものだろう。

 つまり、被害者は玄関で背中から刺され、そこから書斎まで階段を上がって移動して、拘束され、それから殺されたということだ。

 書斎から玄関に向かって移動している血痕は、被害者の血を浴びたこの青年が屋敷を出る時に、袖などから滴り落ちたものだろうが、それはこの際、問題ではない。

 問題は、被害者が玄関のドアのこちら側で、背中から刺されたということだ。これは、被害者が加害者を家の中に招き入れようとしていたということを意味する。

 いくら近くにあるとはいえ、仕事上の付き合いの相手を職場ではなく自宅に訪ねるのは、ハードルをひとつ越えた行為だろう。被害者と青年の間に仕事上の関係以上のものがあった可能性が高い。

 用意周到に自首してきたことを考えれば、青年の動機が金目当てなどでないことは明らかだ。となれば、怨恨というのがセオリーだが、殺してやりたいと思われるほどに恨まれている相手に、被害者があっさりと背中を向けるというのは不自然だ。

 

 この青年は、何かを隠そうとしている。

 安藤はそう確信していた。

 動機、それ自体を隠そうとしているのではない。動機だけを隠すことに、被疑者のメリットはないからだ。

 全面的に捜査に協力したという事実は、裁判の時に自分の犯した罪を反省しているという証拠になる。一部とはいえ黙秘するというのは、反省の色がないと判断される危険が高い。

 さらに、動機がそれなりの理由と認められれば、情状酌量の余地ありと判断されるかもしれない。自首していることだし、同情すべき事情があれば、自ら凶器を用意した計画的殺人であっても減刑される可能性が高い。

 被疑者にとって、動機を隠すことにデメリットこそあれ、メリットは無いのだ。

 なのに、動機を隠す理由。

 それは、動機とは別の「何か」を隠したいからだ。

 動機を供述したら明らかになってしまう、または、動機を供述しようとしたらボロがでてしまう「何か」を隠したいのだ。

 

 もしかしたら、誰かをかばっているのかもしれない。

 被害者を本当に殺した、真犯人を。

 あるいは、被害者を殺す動機を持っていて、殺害計画を立てた、主犯を。

 はたまた、被害者の殺害に協力した、共犯者を。

 この青年は、かばっているのかもしれない。

 

 その可能性がある限り、刑事である自分はこの青年と闘わなければならない。事実を明らかにしなければならないのだ。

 寮監が、勤める学校の理事長を殺す動機。

 それをはっきりさせないことには、この事件の事実は見えてこない。

 ちらりと、安藤は自分の腕時計に目をやった。

 18時34分。

 逮捕した被疑者は、48時間以内に身柄を検察に送致しなければいけない。いわゆる「送検」というやつだ。

 検察に送るまでに警察が整えた証拠と送検時に検察官自身がした取調べによって、被疑者を起訴するか、釈放するか、身柄を拘束してさらに捜査を続けるために、裁判官に勾留請求するかを、24時間以内に検察官が決める。

 勾留請求が通れば10日間の勾留が認められ、勾留延長請求が通れば、さらに最長10日間までの勾留が認められる。

 この間は、被疑者を拘束しての取り調べが可能だ。

 逆に言えば、別件逮捕などの裏技的手段を取れないのであれば、この最大23日間しか、警察は被疑者を拘束して取り調べることができない。

 逮捕をした瞬間に、「絶対伸びることのない締め切り」が決まってしまうわけだ。

 そして、この23日間……検察官が人的証拠・物的証拠を吟味検討する時間も必要なので、実質18日間ほどで、警察は被疑者を起訴するに足る証拠を整えなければならないのだ。

 

 こいつは、「案外やっかいな事件」どころじゃあねえな。

 そう思いながら、安藤は「緊急逮捕手続書」と「弁解録取書」を作るための取り調べを続けた。

 

 

 

 2へ続く

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