第2節

2ー1「では、今日、ここに出頭するまで何をしたのかを、順番に教えて下さい」




「では、今日、ここに出頭するまで何をしたのかを、順番に教えて下さい」

「午前中に、身辺を整理して自首する準備を整えてから、昼過ぎに学校から貸与されている軽自動車で玄関前に乗りつけて、理事長の自宅を訪ねました。

『理事長のおかげで、父の入院費用を賄うことができ、無事に父を見送ることができましたので、改めてお礼にうかがいました』と言ったら、『君も大変だったね。まあ、入りたまえ』と私に背を向けました。

 チャンスだと思って、隠し持っていた果物ナイフで理事長のわき腹を刺しました。

 理事長は『なにをする』と騒ごうとしましたが、鉈をちらつかせたら黙りました。

 玄関だと誰かが訪ねてくるかもしれないと思い、理事長を鉈で脅して書斎へと行きました。

 そこで理事長を椅子に縛りつけて抵抗できないようにしてから、背後に回って鉈で首を掻き切りました。

 理事長が死んだことを確かめてから、持参した新聞紙で鉈をくるみ、玄関先に停めてあった軽自動車に乗って、真っ直ぐここに来ました」

 すらすらと淀みなく、青年は言った。

「悪いことをしたと、思っていますか?」

「はい。生徒を含めた学校の皆さんや、警察の皆さんに、ご迷惑をかけることをしたと思っています」

 青年の言い回しに、安藤は少し引っかかった。

「被害者に悪いことをしたとは?」

「思っていません」

 穏やかに断言する青年に、迷いはない。

「あなたは、『自分は正しいことをした』と思っているんですか?」

「いいえ」

 続きの言葉を待ったが、青年はその先を続けようとはしなかった。ここで言葉を重ねてくれれば、動機の手掛かりになったかも知れなかったのだが、やはり甘くはないようだ。

「被害者の家族には? 悪いことをしたとは思っていませんか?」

「理事長に家族はいないと聞いていますが?」

 きょとんとした顔で青年が聞き返してきた。

「いますよ。この2月に、両親のいない兄妹を養子にしています」

「あ!」と、青年は声を上げた。

「ああ。そうでしたね」

 青年の眉がわずかに寄った。初めて見せる「痛み」を感じさせる表情。この青年の「揺らぎ」だ。

 安藤は、家族として現場検証に立ち会い、捜査員の事情聴取に応じていた被害者の義理の息子を思い出した。

 塩手高校の制服の金ボタンが光る黒いカシミヤの学生服で、青ざめた顔をしながら気丈に捜査員の質問に答えていた、まだ線の細さの残る17歳の少年。

 13歳の妹は、150キロ離れた名古屋の大学病院に長期入院中なのだと言っていた。

「あなたは、両親を失って病気の妹を抱えた17歳の少年から、やっと見つけた頼れる大人を、養父を奪ったんです。そのことを、どう思っているんですか?」

「み……ご家族には……申し訳ないことをしたと……こんな結論しか出せなかったことを、申し訳ないと……」

 初めて歯切れが悪くなった。

 だが、その言葉には相変わらず、「しなければよかった」という反省のニュアンスがない。

「申し訳ないことをしたとは思っているけれど、したことは後悔していないと?」

「はい」

 青年は再び迷いのない口調になっていた。

「したことは認めます。関係者の皆さんには申し訳ないとも思います。自分に正当性があるとも思っていません。けれど、後悔はしていませんし、反省もしていません」

 安藤は少し考えてから、あえて聞いてみた。

「それを調書にそのまま書くと、検事や裁判官の心証が悪くなるかもしれません。それでも、いいんですか?」

「はい、構いません」

「せっかく自首してきたのに、ですか?」

 

 刑法では、「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる」と定められている。

 この青年のように、警察が犯罪の発生を認知していない時点で自主的に出頭して来た場合は、刑法上の自首として認められる。裁判の時に刑を減ずる理由になるのだ。

 この青年は、どうやら刑事事件捜査や刑法についての知識があるらしい。

 殺意を明確に認めていること、弁護士を呼ぶ権利があることを知っていることから、それは明らかだ。

 となれば、自首の意味を知っている可能性も高い。

 

「刑の減軽を目的に自首したわけではありませんから」

 案の定の答えだ。

「じゃあ、あなたは、何のために自首してきたんですか?」

「犯した罪は償うのが道理というものですから」

 シンプルな言葉。

「それから、他の人に容疑がかかって迷惑をかけないようにという意図もありました」

 穏やかな穏やかな笑顔で、青年は続けた。

「私は、犯した罪の分の罰を受けなければならないと分かっていて罪を犯しました。ですから、できるだけ他の方に迷惑をかけないように、警察、検察の皆さん方の手間を最小限にして速やかに罰を受けようと考えて、自首することにしました」

「なんでそこまで気配りするのに、犯罪を犯さない、という気配りはできなかったんですかね?」

 安藤がため息を吐けば、青年は「すみません」と一礼した。

「富田」

 安藤は、モバイルプリンタに接続したノートPCに向かってメモを取っていた部下に声をかけた。

「今までの話で『緊急逮捕手続き書』と『弁解録取書』を作れ。弁録の締めは、『私が殺意をもって蒼田統さんを殺害したのに間違いありません』だ」

「はい」

 富田がかちゃかちゃとノートPCのキーボードを叩きはじめる。

「緊急逮捕手続き書」は緊急逮捕した時に、その逮捕に足る事実を記載した書類だ。これを元に後から逮捕状を請求することになる。

「弁解録取書」は、被疑者を逮捕したら必ず一番最初に作る調書、いわば、最初の弁明のチャンスだ。

 容疑を否認していれば「やっていません」「そんなつもりはありませんでした」という類の言葉で締められることが多いし、容疑を認めていれば「逮捕事実に間違いありません。申し訳ないことをしたと反省しています」と締められることが多い。

 裁判で不利になると教えてやったのに、容疑を認めているのにもかかわらず反省の言葉を口にしないというのは、もしかしたら、この青年は裁判を受ける気がないのかもしれない。

 そんなことを思いつく。

 穏やか過ぎるのは、すでに自殺をして罪を償うことを決めているからかもしれない。

「あなたは、『犯した罪は償うのが道理』と言ってましたね?」

 安藤はそう探りを入れた。

「どうやって罪を償うつもりなんですか?」

「ひと一人の命を奪った罪は、命をかけて償わなければならないと思っています」

 青年は伏し目がちに言った。

 警務部の留置場担当に、自殺防止の厳重監視を指示しておくか……

 そう思いかけた時、青年は顔を上げて安藤を見た。

「まずは、法に定められた手続きにのっとり、与えられた罰を受ける。その後は、少しでも人の役に立つことを重ねることで罪を償い続ける。一生、『人殺し』であることを忘れず、『人殺し』として生きる。それが、私の思う罪の償い方です」

 真っ直ぐにそう言う、真摯な眼差し。

「自殺をして……自分の命で罪を償うことは、考えないんですか?」

 あえて言葉に出して、安藤は聞いてみた。

「自殺は逃げです。罪に罪を重ねるようなものです。そんなものは償いではないと、私は思います」

 キッパリと青年は言った。

「うん……うん。そうだな」

 うなずきながら、安藤は口元が緩むのを感じた。

 安藤は、初めてこの青年に好感を持った。

 

 真実を見つけたい。

 この青年の犯した罪を、裁判官がより適切に裁くことができるように。

 誰に利用されることもなく、間違った不利益を受けることもなく、したこと相応の罰を受けることができるように。

 それは、この青年にとっては不本意なことであるのかもしれない。裁判で不利になることも厭わず動機を隠そうとするこの青年にとって、真実を明らかにされるのは望んでいないことだろう。

 それでも、真実を見つけたい。

 刑事の自分にとって、この青年と真摯に向き合うということは、そういうことなのだから。

 

「ええと、砂川さんでしたね?」

 安藤は青年の名前を思い出しながら、言った。

「調書が出来上がるまで、少し時間がかかります。その間に、お茶でもいかがですか?」

 砂川青年は「ありがたいです」と笑った。

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