1-2「じゃあ、話を聞かせてもらいたいんですがね」

「じゃあ、話を聞かせてもらいたいんですがね」

 逃亡防止に腰縄を打たれ、その端をくくりつけられたパイプ椅子に座った青年と、机を挟んで正対する事務椅子に座った安藤は、少し考えて改めて口を開いた。

「その前に、弁護士を呼びますか?」

 日本の警察では、洋画の警察のように被疑者の権利をわざわざ説明してやることはまずない。

 だが、相手は「黙秘」という言葉を知っていた青年だ。逮捕された被疑者に弁護士を呼ぶ権利があることを知っている可能性は高い。

 何を考えているのかわからないだけに、取調べの問題点を突っ込まれて面倒な事になるのは避けたかった。

「一回は、無料で弁護士に相談できますよ?」

「当番弁護士制度は知っていますが、私には不要です」

 案の定、青年は弁護士を呼べる事を知っていたが、わかっていて呼ばないというのは、やっぱり何を考えているのかわからない。

「録画は、しても構いませんか?」

 昨今は取り調べの可視化ということで、被疑者が拒否しないのなら録画をすることになっているのだ。

「はい。どうぞ」

 部屋の角に固定されているカメラのスイッチを富田にノートPC経由で入れさせて、安藤は改めて青年に向き合った。

「では、はじめますか。お名前は?」

「砂川史朗です」

「生年月日は?」

「平成4年11月19日生まれです」

「住所は?」

「T市みどりが丘〇〇の✕✕✕、塩手高等学校蛍窓寮S1です」

 聞き覚えのある住所に、安藤は首を傾げた。

「これは、被害者の自宅の近所に住んでるってことですか?」

「近所といえば近所ですね。学校の敷地と、理事長の自宅の敷地は隣接していますから」

「学校ね……。塩手高校って、あの、少人数全寮制の私立高校ですよね? 金持ちの医者の出来の悪い子供を預かって、昼も夜も先生がつきっきりで勉強を教えて、やたら金のかかる私立の下の方の医大に何とか入れるようにしてくれるって。……あなた、その年で高校生なんですか?」

「まさか」

 青年は笑った。

「私は職員です。寮監……男子寮の寮監室に住んで、施設管理と寮生の監督をするのが主な仕事でした。学校敷地内の設備管理も少し担当していました」

「蒼田さんとは、どういう関係だったんですか?」

「雇用者と、被雇用者です」

 ただの被雇用者が、いきなり雇用者を殺していたら、世の中、殺人事件だらけになってしまう。

「理事長が、直接あなたを雇ってるんですか?」

「厳密にいえば、私を雇用しているのは学校法人蒼田学園になりますね」

「年収は?」

「ええと、700万位になるはずです」

「最近の景気の悪さを考えるとなかなか高額ですが、それは額面ですよね? 実際に、あなたが手にしていた金額は?」

 安藤はそうたずねた。

 雇用者を被雇用者が殺す場合、まず考えられるのは金のトラブルだからだ。

「寮に住み込みだったんでしょう? 住居費、光熱水道費などを天引きされて、手元にどの位残りますか?」

 書類上は高給取りだが、様々な名目で天引きされ、実際は雀の涙程の給料しかもらっていない、というのはよくある話だ。

「住居費、光熱水費、それと、学食での食事の食費が引かれて、月に手取りで15万円くらいでしょうか」

「え?!」

 小さく驚きの声を上げたのは、隅のデスクでノートPCに向かって調書のためのメモを取っていた富田だった。

 取り調べ中は話に割り込むなと言っておいたのに。あとで説教だ。

 富田をひと睨みすれば、富田は慌てて調書作成用のノートPCに目を向けた。

「高校の寮監さんって、そんなにもらえるんですか?」

 改めて安藤はたずねた。

 警察官も民間に比べればもらっている方だが、住居費光熱水道費食費を除いて15万は、正直羨ましくなる金額だ。

「雇っていただいた時には、父が入院していまして……それは気の毒にと、理事長が扶養手当を10万円つけてくれたんです」

「そりゃあ、恩人ってやつじゃないですか」

「そうなりますね」

 安藤の言葉に、青年は目を伏せてそう言った。心なしか、口元に笑みが浮かんでいるように見える。

 何か、思うところがあるのかもしれない。

「そんな恩人を殺したんですか? どうして?」

 安藤はさらりと聞いてみた。

「言いたくありません」

 青年はにこりと笑った。「引っかかりませんよ」と言っているようだった。

 やっぱり一筋縄では行かなそうだ。

 しかし、養い守らなければならない扶養家族がいる人間が、簡単に殺人事件を起こすとは思えない。起こしたとしても、あっさり自首するとは思えない。

「お父さんは……亡くなったんですか?」

「先月みまかりました」

 安藤の問いに、青年は目を伏せて予想通りの答えを返した。

「他に家族は?」

「いません」

「家族以外に、大事な人は?」

 その言葉に青年は顔を上げた。一瞬見開かれた目に、初めてこの青年の素の顔が見えた気がした。

「あなたがこんな事件を起こしたら悲しむ人は?」

「いません」

 青年は、つかの間覗いた素顔を穏やかな笑みで綺麗に隠してしまった。

 一筋縄ではいかねえな。

 安藤はいったん背筋を伸ばして、左右に首を傾けた。

 とりあえず動機は置いといて、固められる所から固めて行くか。

 

 

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