第7話 育児からの魔王城追放(前編)

 夜のとばりが下りてきた魔王城。


 庭園でライライの鼻にキスをして別れた後、ベストに挟んでいたドラゴンのモコちゃんが元気なく鳴いているのに気がついた。

 専属メイドのコロンに助けを求める。


「なんて可愛い赤ちゃんだよ、とりあえずヒト型魔族用のミルクを作ってみるよ。子育て支援のために常備されてるから、すぐ出来るよ」


「子育て支援って……赤ちゃんが産まれたら、誰かが一緒にお世話をしてくれるってこと?」


 コロンは戸棚から箱を取り出して、白いサラサラの粉を丸みのある長方形の瓶に入れていく。やかんからお湯を注いで、振って溶かす。


「ほとんどのメイドが保育士のスキルを持っているから、かわりばんこで面倒を見るんだよ」


 ミルク瓶を、水を張ったおけで冷やしていく。口を火傷しないように、肌ぐらいの温度にする必要があるらしい。


「じゃあ、どこかの部屋に赤ちゃんが?」


「今は居ないよ。みんな出産より前の婚活に悩んでいるんだよ」


 城従事者はだいたい住み込み。休みの日には城下町に出かけるけど、給料が良すぎて恋人が出来にくいのだとか。働く女性って素敵なのにな。


《好きな女には頼られたいモンなんだよ》


 頭に響くスカイブルーの声。

 うーん、男のプライドってヤツなのかな。


「最近やってきた人狼の坊やは人気あるよ。真面目で可愛いって。ケド心に決めた相手がいるらしくて、誘いを全て断っているんだよ」


 キョウ君のお店は大繁盛していたもんな。年上キラーなのかもしれない。今度会ったらモテる秘訣を聞いてみようかな。


「はあ、人狼の坊やが気の毒でならないよ。脈が無さすぎる。さあ、出来たよ」


「ありがとう。モコちゃん、ごはんだよ」


 机に座らせて哺乳瓶を口に持っていくけど、プイップイッと首を振ってくわえてくれない。おかしいな、お腹すいてるはずなのに。


「抱っこして欲しいって言ってるよ」


 抱きかかえてみるけど、ジタバタしてすぐに抜け出した。視線を合わせながら顔を包み込むようにしてみる。もぞもぞしてから落ち着いた。

 いきなり瓶は抵抗あるのかな?


「はーい、指だよー。あたたた!」


 何度か指を噛ませてから、隙をついてミルク瓶を噛ませてみる。一瞬「あれ?」みたいな顔になったけど、すぐにゴクゴク飲んでくれた。

 あっという間に無くなって、催促するように顔を手の甲に擦り寄せてくる。

 三本分を飲みきったら、ウトウトし始めた。


「背中を軽く叩いてゲップをさせてあげるんだよ」


「モコちゃん、はいトントン」


 ミルクをドパッと肩口に吐かれた。あれ、叩く場所を間違えたかな。力が強過ぎたかな。コロンを見たら顔の横で丸を作っている。


 シャー。

 威嚇ではない。お漏らしだ。

 お腹が温かくなっていく。オムツが必要かな?


「ドラゴン用のトイレを作ってみたよ」


 コロンは木の風呂桶をアレンジした物を持ってきてくれた。真ん中に太い枝が入っているから、そこに足を置いて用を足すのだと思われる。


「モコちゃん、トイレはこの木の枝のとこ。トイレはここ」


 体をつかんで置いてみたけど、すぐにパタパタと飛んでいってしまう。赤ちゃんと意思の疎通を図るのは難しい。


「メイド長にはワタシから伝えておくから、着替えてくるといいよ」




 自室に戻り、モコちゃんをベビーベッドに寝かせて汚れた服を脱いでいたら、ノックの音がした。


「どうぞ」


「なんか育児で大変だって聞いて──ちょ、着替えてるなら言えよ!」


 キョウ君が一度引いてから、困ったようにトレイを持って入ってきた、湯気の立つ緑のお茶と、見慣れないお菓子を乗せている。


「夜空の星みたい。キレイだね」


「コンペイトウっていうんだ。夕飯前だから団子はやめた。食べ残すとメイド長さんが怖いからな」


「うん、怖いよ。今のお城で一番偉い方だからね。お仕事はまだあるの?」


「終わりだけど」


「それなら一緒に食べたいな」


 キョウ君の頭頂部からオオカミ耳がピョコッと生えた。フサフサのしっぽもブンブン左右に揺れている。紅茶セットは自室に常備してあるから、彼の分を用意しよう。


「うーん、食べるのがもったいない」


 えいっと噛んでみると、サクッと軽やかな音がした。優しい甘さが口の中に広がっていく。まるで今日も一日お疲れ様、と労ってくれているみたい。


「甘くて、とってもおいしい!」


 夢中になって食べていたら、紅茶をゆっくり飲みながら、キョウ君が静かに呟く。


「トリィが寝込んでいる間、ずっと心配だったんだ。このまま治らなかったらどうしようって──」


 そうだ、キョウ君は両親を狂犬病で亡くしているんだ。おじいさんを治すために魔王城にドロボウに入るぐらいに、病気は怖いんだ。


「美味しいお団子をたくさん食べられたから、すっかり元気だよ。ありがとう」


「そっか、良かった」


「優しくて頼りになって、キョウ君はいい旦那さんになるね」


 バキッと鋭い音を立てて、カップの取っ手が粉砕された。落ちた本体がテーブルの上をワンワン回って赤いシミを広げる。


「悪い。今、片付ける!」


 キョウ君は光の速さでテーブルをキレイにして、逃げるように部屋から出ようとして、ドア付近で立ち止まった。


「こ、今度さ……城下町に、一緒に行かない?」


「うん、行こう!」


「ああ、じゃあまた!」


 廊下をスキップする軽快な音が鳴り響く。そんなに遊びに行きたかったのか。城下町には楽しいお店がいっぱいだから案内役がんばろう。


《人狼が不憫でならねえ》


「なーに、コロンと同じようなこと言って」


 その時、モコちゃんが目を覚ました。

 とても機嫌が悪い鳴き方をしている。抱き上げて背中をポンポンするけど、バッと逃げ出してぐるぐる回っている。


「ウーピーピーピー!」


 ぐずり最高潮。壁から壁を行ったり来たりし、テーブルと椅子をひっくり返す。姿見の留め具が外れてグルングルン回っている。


「ピ──────!」


 大きく口を開けたと思ったら、ビームみたいな火を噴いた。クリーム色の壁に黒いボーダーの模様が出来て、窓ガラスを盛大に割った。


「何の騒ぎですか!」


 疲れてフラフラと落下するモコちゃんを抱きとめたタイミングで、紺色の長い髪をサイドテールにした、冷たい美貌のメイド長さんが現れた。


「コロンから報告を受けて来てみれば……ドラゴンを室内で飼える訳がないでしょう!」


「ごめんなさい!」


「魔王の城を火事にする気ですか、このままレッドが戻らぬ方がいいとでも?」


 息が詰まって声が出なくなる。そんなはずない。レッドが居ない毎日は寂しくてたまらない。早く帰ってきて。心がすり切れそう!


「はやく……レッドに会いたいです……」


 気がつくとボロボロ涙がこぼれていた。腕の中のモコちゃんにピタピタと落ちていく。メイド長さんの深いため息が聞こえた。


「この子には親がいません。元の場所に返せば死んでしまいます」


「はあ、それが自然の摂理です。早く捨ててきなさい。夕食はそれからです」


 メイド長さんの気持ちは変わらない。今、選ばなければいけないんだ。お城か、モコちゃんか。


 ぼくは──

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